(いよいよ北海道(2)より続く)

 

1月26日 休養日のはずが、、、 

 

川汲町から鹿部町へ北上してみると並木や斜面にアカマツやクロマツが使われている。「函館市縄文文化交流センター」で国宝土偶に遭遇してから松前町に向けて走り始める。

函館市を過ぎて北斗市に入ると幹線道路の並木はクロマツ。海沿いの国道228号を走ると少し樹齢を重ねた松が数本並んでおり「松林」と書かれた北斗市教育委員会の看板を見つける。「文久2(1862)年に、当時、箱館奉行支配組頭の栗本端見が、自ら植栽した松苗をこの地に植構したもの」とある。以下要約すると、栗本は安政5(1858)年に七飯町に薬園を開き、佐渡より取り寄せた松の種子を10万本の苗に育て五稜郭のほか函館や七飯町などの道路に植林したようだ。

道南いさりび鉄道の釜谷駅手前にある高台の踏切周辺にクロマツが目立ち始める。暗くなってからも先を行くと木古内町、地内町にも松のシルエットが感じられる。道南には本州と同じような感じで松が普通に佇んでいるのに正直驚いた。クロマツもアカマツも自生は青森県が北限とされているが、江戸後期に本州各地から持ち込まれた種や苗を育てて今に至るのだろう。このため数百年を超えるような巨樹は少ない。

恒例の日帰り温泉は「吉岡温泉ゆとらぎ館」。泉質はナトリウムカルシウム硫酸塩泉、源泉は46.1℃。2024年4月に建て替えオープンしたばかりで、地元の杉材をふんだんに使った素敵な施設。たまたま今日は26日(ふろの日)のため無料。

 

日没の道南いさりび鉄道(撮影:Hasselblad 907X CFV II 50C + XCD4/45P)

 

1月27日 松前城には松が似合う

 

夜明けとともに道の駅北前船松前から始動。松前町の町の木は「マツ」。「福山城(松前城)」に期待して行ってみると城壁や城門と松が織りなす個性的な風景があった。しかし雪がない。

松前町のサイトから抜書きしてみる。

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北辺警備の重要性から幕府が築城を命じ、高崎藩の兵学者市川一学の設計により嘉永3年に着工、安政元年に完成した最後の日本式城郭。明治8年に城内は開拓使の命によって取り壊したが残された三層の木造天守と本丸御門と東塀は昭和16年に国宝指定。しかし、昭和24年6月5日の役場火災の飛火により国宝であった木造天守が焼失。天守再建期成会により全道的な再建運動が展開され、横浜国立大学工学部・大岡實教授の設計のもと昭和35年に鉄筋コンクリート製の復興天守が完成。

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松前町から知内町へ向かう。ちょうど昼頃に「知内温泉」に到着。北海道最古の温泉で800年の歴史がある。少し山中にあり他に比べれば積雪が多い。サイトによると「北海道最古の知内温泉は歴史も古く「大野土佐日記」によれば元久2年(1205)、砂金を求める荒木大学の渡来に遡り、宝治元年(1247)に薬師堂を建立したのが始まり」とある。

温泉は上の湯と下の湯があり、明礬(みょうばん)泉と塩泉が強く、肌に良いとされる「上の湯」の泉質はナトリウムー塩化物・炭酸水素塩泉で源泉は60.4℃、浴槽温度43.0℃。鉄分泉が濃い「下の湯」は源泉49.6℃、浴槽温度43.0℃。いずれのお湯にも癒してもらう。確かに湯上がりの肌のスベスベ感がこれまでにないほど。最上級のお気に入りになりそうである。

知内町内に降りていくとクロマツの海岸林が続く。下見と思って入り込んで行ったらキタキツネが駆け抜ける。被写体にできたら最高なのだが、中判で標準レンズのみでは撮れないのは確かだ。せめて北海道らしい建物を被写体に海岸林のある風景を探す。知内町から木古内町に向かうと内陸にも一列に並ぶクロマツが見えてくる。昨日の夕暮れに見つけた木古内までの道南いさりび鉄道に沿ってクロマツが点在していたので、これはやはり廃線になった松前線の鉄道林の名残であろうとの確信に近づいた。

それにしてもこの周辺にはクロマツが本州のように当たり前のように点在している。やはり防風防砂に強い機能を期待されて、海岸林、神社林、屋敷林として使われたのであろう。今日は寄り道だらけの行程で木古内町に止まる。

 

三本松土居と搦手二ノ門の背景に松前城の天守閣(撮影:Hasselblad 907X CFV II 50C + XCD4/45P)

 

1月28日 青森へ渡る

 

好天である。雪の気配はない。知内町の森越にある松の遥か背景に大千軒岳が明るく浮かぶ。

知内町にある「荒神社の黒松」に会いにいく。この松は、石碑によると「寛永14(1637)年、荒神社の祭神である松前由廣の弟で知内を知行地にしていた松前安廣が、兄を弔うため仙台から差し送り奉納した十二本の黒松の成長した姿である」とある。これが事実だとすると苗木を植えたとすれば樹齢は390年以上になる。北海道にそのような由緒の松が存在するのだ。

知内、木古内には海岸林などの黒松が点在し、マツクイムシ被害が全くないため高度経済成長前にあった松が佇む日本の原風景は意外や意外にもここにもあると言える。16時の函館から大間に向かう津軽海峡フェリーに乗船。明日は津軽の松たちを撮影したいが天気次第で一気に南下する可能性もある。

恒例の日帰り温泉は、風間浦村の「桑畑温泉」。下風呂温泉は定休日。泉質は含硫黄-ナトリウム・カルシウム-塩化物温泉、源泉は35.4℃で加温循環のようだ。硫黄臭がして少し白く濁って滑り感がいい感じである。

 

木古内町に点在するクロマツのある風景(撮影:Hasselblad 907X CFV II 50C + XCD4/45P)

 

1月29日 やはり津軽は松の宝庫

 

下北半島の横浜町は小雪がちらつく朝。積雪は正月ごろのものが残っている感じで最近のものではないため撮影には厳しい。しかしせっかく青森にいるので津軽方面で撮りこぼしている2カ所に向かってみる。

五所川原市の「旧平山家住宅」は雪に埋もれていて撮影には良さそうだったが、肝心の松がない。母屋に寄り添うように佇む老松がネット検索で見つけた写真に写っていたのだが、どうやら近年に伐採されたようだ。雪が深いので切り株を見つけることができなかった。

木造の住宅街に佇む「千代の松」はつがる市教育委員会の看板によると「津軽4代藩主信政公は新田開発の大業がやや成った貞享元(1684)年に、木造代官所内に御仮屋(仮館)を建築しその落成を記念して松をお手植えになり「千代の松」と名付け」たとある。小さな苗で植えたとして樹齢340年になる。

この周辺にはこのような樹齢のクロマツとアカマツが本当に多く残り点在している。やはり津軽は松の宝庫なのだ。

今回は北海道の雪化粧を撮影して東北の撮り残した松を訪ねる予定だったが、天候の読みが甘くて北海道に長く滞在してしまったため、東北の時間がほぼ持てない状況になってしまった。よって、最も気になっている場所1点に絞って向かうことにする。山形県の天童高原スキー場に隣接するキャンプ場に佇む「しめ掛けの松」を目指す。

東北道をひたすら南下し仙台宮城で降りて国道48号線を走り始めると吹雪いてくる。行けば行くほど激しくなり峠道は路面も積雪状態となった。天童高原に向かう県道281号線に入るとますます雪が増えてくる。対向車に自衛隊の車が続くのが気になる。天童高原に着くと雪が多すぎてとてもたどり着けず撮影どころではない。「天童高原地域交流センター」の方に相談すると、スノーシューがあれば問題ないがブーツだと厳しいだろうと言われたり、いや行けるだろうと言われたりだったが、平日は毎朝自衛隊の隊員たちがスキー訓練のために来るので圧雪している部分もあるという。その圧雪したコースを歩くと「しめ掛けの松」までなんとかブーツでも行けるだろうという人もいた。明日の朝トライしよう。

恒例の日帰り温泉は「天童温泉はな駒荘」。泉質はナトリウムカルシウム硫酸塩泉、源泉69.4℃と62.2℃の二つからとっているようだ。

 

津軽4代藩主信政公お手植えの「千代の松」(撮影:Hasselblad 907X CFV II 50C + XCD4/45P)

 

1月30日 雪深い天童高原

 

天童温泉から天童高原に再び向かう。「天童高原地域交流センター」の受付のみなさんからは、昨日の積雪と今日の天候だとスノーシューがあれば問題ないがブーツだと厳しいだろうと言われたが自分で判断しながら行くことにする。

「しめ掛けの松」まで約1kmほどだが、自衛隊のスキー演習のため平日は開放していないコースを圧雪している部分があるのでそこを歩いて登る。途中は道路のポールは立っているが圧雪していないため膝まで埋まりながら慎重にラッセルして歩く。汗だくになってなんとか到着。それなりに吹雪く中、3時間ほど撮影に没頭できた。

「しめ掛けの松」は山岳信仰にまつわるもので、田麦野から面白権現への参道にあり、詣でる人々がしめ縄と御礼をかけて面白権現に向かったという。

今日は山形、福島が大雪になっているようで、雪の東北道を南下して、恒例の日帰り温泉は飯坂温泉の共同浴場「鯖湖湯」。泉質はアルカリ性単純泉、源泉は51℃の掛け流し。明治時代の名残で更衣室と浴室の仕切り壁はなくワンルームなのだ。さらにシャワーやカランはなく湯船からすくって湯船の周りの床に座り洗う。最高の温泉だった。

 

天童高原に佇む「しめ掛けの松」(撮影:Hasselblad 907X CFV II 50C + XCD4/45P)

 

1月31日 南会津で用水路に落ちる

 

雪景色を眺めながら東北道を南下していると、南会津の松が雪をまとっている様子を想像し、白河インターチェンジで降りて国道289号線を走る。途中、2024年2月15日にも撮影した「高清水の松」の脇を通るので立ち寄る。

その昔、甲子峠を越えて白河から南会津を結んだ甲子路。その脇に「高清水の松」は佇んでいる。地形からその古道が伺えるが今は雑木が繁茂している。当時は松の近くで水が湧き茶屋もあって旅人が休んだ場所だったようだ。目の前をゆくアスファルトの旧道ですら除雪されず通行できない。時代から取り残されていく場所であることは間違いない。賑わった当時の面影を松が背負っている。

雪深い南会津。「塩江の五本松」周辺の雪は深く近づくことが難しい状態にあったが2024年4月27日に来た際に見つけたアングルでまずは撮影する。付近の地形は理解できているつもりで少し離れた農道から撮影しようと雪深い部分を歩き始め少し小高くなっているので盛り土してある場所かと油断して歩みを進めると、一瞬にして視界が変化。雪の中に落ちたようだ。次の瞬間、冷たさが伝わってくる。しかし身動きできない。雪の中に埋もれた三脚につけたカメラはレインカバーをしている。肩にかけているカメラはギリギリ水没を逃れている。用水路に落ちたのだと理解した。

自分の腰あたりまで水に浸かっているようだ。這いあがろうと手をかけると雪が崩れて上がれない。どんどんスノーブーツの中に冷水が入ってくる。下半身も濡れ始めている。焦っても仕方がないので、どうにか用水路の縁らしきところに手をかけ体を持ち上げるように這いあがろうと何度も繰り返しているとようやく動けた。そして這い上がれた。腰から下が冷たい。ブーツの中は大量の冷水が溜まっている。

撮影は終了として冷え切る前に車に戻って着替えることにした。ここまで浸水してしまうとブーツの中もなかなか乾かない。キリもいいのでこれにて今回の旅を切り上げることにして東北道に戻り一気に南下する。

今回の走行距離は3,173km。

 

「塩江の五本松」このあと用水路に落ちる(撮影:Hasselblad 907X CFV II 50C + XCD4/45P)

 

(北海道から能登半島へ(1)へ続く)