松韻を聴く旅 九州・四国、心残りの場所へ再訪(3)
5月28日 10日目 国東半島にある砂嘴「住吉浜」
夜中閉鎖だった九州道の佐伯インターは6時から走行可能。それに合わせて始動。一気に杵築市の住吉浜へ。数日前にアップしたFacebookに九州大学の清野聡子さんから住吉浜へ是非とのコメントをいただいたことがこの行動になっている。
清野さんは学生時代からカブトガニの調査フィールドとして住吉浜に通われていたようで、「住吉浜リゾートパーク」施設長である釘宮浩三さんと30年来のお付き合いがあるという大変にありがたいつながりでご紹介をいただいた。前回の旅で住吉浜は民有地で大型施設に管理されているのを確認し伝手がなかったので撮影せずに通過した経緯があったのだ。
8時半には住吉浜の目の前まで辿り着いたので、ほぼ飛び込み状態で釘宮さんご本人に電話をしてみたらすぐにお会いできることになった。早速、オフィスで社団福祉法人博愛会がこの施設を運営するようになった経緯をお聞きする。聞かせていただいた内容は松原管理の一つのあり方だと思えた。園内には江戸時代に植えたと思われる巨樹が数本ある。
住吉浜は珍しい砂嘴として江戸時代から浮世絵「豊後簑崎」として描かれるなど全国に知られる名所だった。昭和50年までに全線廃止されたが、大分県各地に軽便鉄道があり戦後合併して大分交通となった。住吉浜にも駅があり杵築市から国東町まで約30kmの区間に国東線が走っていた。しかし、昭和36(1961)年に大雨で被害を受け、時代の流れもあり昭和41(1966)年に全線廃止となった。潮干狩りや奈多宮の祭事に合わせて臨時列車も走らせたようだ。
昭和40年代まで住吉浜は地域の入浜(入会地)で海産物の干場だった。それを大分交通が買い取って開発に着手し、高級ロッジ300棟ぐらい建てて年間10万人が訪れていた。しかし施設の劣化と共に衰退し、社会福祉法人が買い取って事業継承している。現在この地は、県立公園、鳥獣保護区、杵築市の土地計画公園に指定されており、また社会福祉法人という特性が奏功し自然環境を維持しながらリゾート地として活用できている。
江戸時代の松を中心に砂嘴全体には約20,000本のクロマツが育成しているが、ある年にはマツクイムシ被害で2,000本を切ることもあった。伐倒駆除、焼却処分、燻蒸処分など行政と連携して乗り越えてきた。以前はヘリコプターの空中散布でスミチオンを撒いたこともあるが今は地上散布に切り替え、樹幹注入と合わせて行政の補助を受けて徹底して防除に努めている。確かに枯れている松を目視で見つけることはなかった。
松の利活用については、タバコ畑やミカン畑に松葉の需要があったことから堆肥化を考えている。それと松の育成に炭がいいので枯れた松を炭焼きすることも考えている。今は苗を育てて植林にも努めている。釘宮さんはこれまでの住吉浜の歩みを「リゾート開発の功罪」と表現していた。現在の姿を見ると砂嘴全体(松原と砂浜)を自然資本としてフル活用し、健全に観光業を経営する全国でも稀な好事例となっていると思う。
釘宮さんは思いつたら即行動、人の繋がりは財産と考えている人で、博報堂OBならと「株式会社きっとすき」社長の北康夫さんにすぐに電話。席も近くよくお話をした先輩なのだ。懐かしい。テニスの話をすると関西支社時代にお世話になった関西テニス協会の幹部だった佐藤政廣さんにも声をかけてくださって4人で夕食会となった。全く違う接点の方と杵築市という共通点でお会いするというのは不思議な体験であった。お店は住吉浜リゾートパークでシェフをされていたという「おわたり」。リーズナブルで美味しい。
恒例の日帰り温泉は杵築市内にある「いこいの湯」。泉質はアルカリ低張性単純泉で源泉温度は不明だが掛け流しとある。ぬめり感があり市民のいこいの場になっているようだ。
釘宮さんに勧めていただくままに、2023年6月に開始したこの旅で初めてのオートキャンプサイトでの車中泊。目の前は砂浜と海。背後は松林。芝生と松林を歩いて洗面&トイレ。この旅では夢空間である。曇天で星は見えないけど18℃程度で過ごしやすく至福の場所と時間。また訪れたい。
住吉浜リゾートパーク(撮影:Hasselblad 907X CFV II 50C + XCD4/45P)
5月29日 11日目 九州から四国へ、佐田岬の思い出
4時半はまだ暗く5時から撮影開始。住吉浜らしい砂嘴とわかる風景は難しく松が演出するリゾートパークの雰囲気を1時間ほど思案する。佐賀関に向かうため6時半にゆっくりスタート。9時の国道九四フェリーで三崎港へ。40年前はとても最果て感があり旅情満点だった三崎港はすっかり雰囲気を変えていた。桟橋も雰囲気が違い真新しい大型の観光施設ができていて、周辺に残るこじんまりとした古き良き街並みとは世界が違っていた。
40年前には線路にホームが挟まれていて、誰もいない田舎駅だった下灘駅を見ておきたくて向かうと、国内外の多くの観光客が入れ替わり立ち替わりやってくる観光地となっていた。しかし本当に素敵なロケーション。今日は海がかすみ雰囲気がとてもいい。やはり世界水準の絵柄なのだ。
40年ぶりというのは、大学生として最後の時間だった1985年の冬にバイクで四国や九州を旅したのだった。その時の写真が残るが、写真は意外と色褪せず残っているので40年の歳月をあまり感じない。もちろん写っている本人と今の姿は全く違うのだが、鏡に映る顔に昔の面影を追いかけてしまうのか自分では比べられないようで気にならない。それだけに、40年ぶりに走る風景の激変ぶりに戸惑うばかりだ。
三崎から伊方町への25kmの道のりも、現在は細長い半島の背骨のような尾根を国道197号線がスムーズに走り抜けるが、当時はこの道が部分開通していて、曲がりくねってアップダウンする旧道を主に走ったのだ。海辺の集落に降りて行ったり、山間部のみかん集落を走ったりと旅情満点で遠くを旅している気分を十二分に味わえた。もちろんそれだけ時間がかかったし、事故を起こしそうな場所も多かった。当時は今より住民も多かっただろうと思うが、スピードを出さずに生活道を走るので人に話しかけたり話しかけられたりする機会が多かった。旅ってそういうことを言うものだと思っていた。
そう思うと、地図でイメージした通りに移動をしやすくなり利便性は確かに高く、目的を持って撮影するこの旅では有り難いのだが、寄り道というか思わぬ出会いや発見の機会が減ってしまって、どこか味気なく「旅」と呼ぶには気恥ずかしいものになってしまったようにも思う。特にこの佐田岬ではそれを強く感じたので記しておく。
もちろん、今でも寄り道大魔王となったり、出会いや発見もしているので、十分に旅を満喫する機会もある。この旅ではあまり意味がない場合もあるのだが、人生においては豊かな時間であり実りがあると思っていることも記しておく。
一路、松の国・香川へ。2023年7月に初めて訪ねた琴弾公園の巨樹に会いに行く。銭形砂絵の周りに佇む江戸時代からの巨樹たち。いずれも低い位置から湾曲し独特の樹形で全国を見てきての再訪でやはり唯一無二の迫力があり貴重な撮影ポイントだと認識。小雨が降ったり止んだりで撮影には抜群の光線だった。銭形砂絵の展望台に向かうと前回あった松が伐採されていた。枯れてしまったのだろうか。こうして常に今が最良と思える撮影をしておく重要さを痛感する。もう2度と得られないのだ。一期一会となってしまうのだ。
「銭形砂絵」とは、観音寺市のウェブサイトによると、有明浜にある東西122m、南北90m、周囲345mの巨大な砂絵で、寛永時代(1624-1644年)に藩主を歓迎するために地元民によって一夜にして造られたもので、この砂絵を見れば健康で長生きしお金に不自由しないそうだ。その周辺に佇む老松たちもこの頃のものではないか。だとすると推定樹齢は400年を数える。しかし観音寺市観光協会のウェブサイトには推定樹齢200年とある。もしかしたら老松を伐倒した際に年輪を数える機会があったのかもしれない。
少し早めに恒例の日帰り温泉へ。環の湯。鉄分多めの黄金の湯(弱酸性単純冷鉱泉)と滑り感がある白銀の湯(アルカリ性単純冷鉱泉)。源泉温度は不明。明日は栗林公園の開園時間に行くため香川県内の山中にある道の駅しおのえへ。
琴弾公園の老松(撮影:Hasselblad 907X CFV II 50C + XCD4/45P)
5月30日 12日目 栗林公園の庭師
5時半の開園に合わせて4時半起床で5時に動き始める。開園と同時に入場し5時半過ぎから撮影を開始し10時半まで園内にいた。
「栗林公園」は江戸時代初期の270年前に松平家が作り始め明治時代に入ってから香川県が完成させた公園。明治以降は県立公園として公開され昭和28(1953)年に特別名勝に指定。
事前に連絡をしておいた庭師の森川茂仁さんと再会。前回2023年9月1日に初めてお会いしたのは、灸まん美術館で和田邦坊を研究する学芸員の西谷美紀さんからこんな話を聞かせていただいたことがきっかけだった。
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栗林公園の植木職人が最近お揃いの半纏など衣装を新調し見られることを意識しているという。きっと撮影依頼を受けてくれるのではないかというのだ。これはトライするしかないと、その場で栗林公園観光事務所に電話をして松の維持管理をしている植木職人さんの撮影をさせて欲しいと伝えたところ、とても丁寧な対応で造園課に繋いでもらえ何度もやり取りをして撮影の了解をいただけた。明日の9時半に栗林公園の箱松の前で待ち合わせとなった。(2023年8月31日のブログより)
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その時の撮影についてもブログに記しているが以下に転載する。
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今朝は5時起床。「栗林公園」に6時前に入園し撮影開始。と言っても公園全域で朝の散歩をするようなもの。ただ違うのは、風景を凝視し途中で三脚を立てて風景を採集していくということだろう。気が付けばあっという間の8時半。少し休憩して9時半に香川県栗林公園観光事務所造園課の森川さんと待ち合わせ。すると植木職人の半纏を着た集団がやって来た。この半纏は、公益財団法人松平公益会が、2022年12月に、高松藩の初代藩主松平頼重の生誕400年を記念して寄付したもの。徳川一門の家紋は諸説あるが松平家の家紋として葵の御紋が大きく背中に染め抜かれており、インバウンド観光客の注目も期待されている。さて酷暑の中の作業時間を割いてもらい全員で9名による集合写真の撮影である。三脚を立てまずは数枚シャッターを切ると、なんと薄日になり絶好のコンディションになる。「撮影に絶好な薄日になってくれました!」と叫んで笑いを誘いつつパターンを変えて無事に撮影終了。ハイテンションで撮影していたのだがドッと緊張感から解放されたことに気づく。(2023年9月1日のブログより)
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実は、この撮影はとんでもない大失敗をしていたことを記しておく。それがきっかけで作品作りの幅が広がり、想像を超えたというか未知の領域に足を踏み込んで作品世界を構築できているのだ。失敗は成功のもとというか、枠を取っ払って感性に素直に従い機材の特性を大いに活用することが重要だと気付かされた。
真夏の朝、撮影のために半纏を着て勢揃いしてくださった職人さんたちを撮影するという突然訪れた決定的なチャンスを楽しむために、普段にはないほどにカメラの状態を確認して撮影に臨んだ。全員横並びで撮影したあと剪定の光景も撮りたくてお願いした。足場を決めてアングルを選んでシャッターを切っている時だった。この作品のフォーマットは1×1(正方形・スクエア)に限定して作品作りを行ってきた。ところがモニターにクロップがないのだ。フルサイズ(645)に設定されてしまっていたのだ。しかしそのフレーミングが大変に心地良く違和感なく撮影していたのでこの時まで気づかなかったのだ。自分らしい作品作りへのこだわりからフォーマットを決め込んでいたので焦りに焦ってしまった。この暑い中、もう一度最初から撮影をお願いすることは憚れる。まして職人さんを相手に真剣に向き合って撮影したものが失敗だったかも、などど言える雰囲気はかけらもない。後で冷静に考えることにしたのだった。多分、普段以上に気をつかっ設定確認をした際に何らかの拍子に設定が初期化されてしまってクロップもフルサイズにリセットされてしまったのだろう。
ただ、それ以前に1枚だけフォーマットを変えて撮影した老松があった。スクエアではその場の魅力や雰囲気が再現できずスクリーン(16:9)がしっくりきたのだった。ただその時は自分のフォーマットから逃避した負け犬的な気分で自らの力量不足を責めるような感覚があった。しかし今回、完全な設定ミスを犯して貴重なシャッターチャンスをやり過ごした。後日、フォーマットを修正できないかトライしたのだが、見れば見るほどフルサイズの画角に収まる職人たちのバランスがよく完成度が高いと感じるようになる。そして結論は「これでいいやないか」である。
それ以降、ボディ(Hasselblad 907X CFV II 50C)とレンズ(XCD4/45P)は限定するが、基本フォーマットはスクエアとしながらも、描きたい世界、魅力を引き出すなど、その被写体に応じて、3つのフォーマットで表現しようと思い至る。レンズへのこだわりは強く、フィルム時代から標準の単焦点レンズを使用している。デジタルに切り替え少し広い標準レンズ(35mmサイズで35mm程度)を使用しているがこれ1本で全ての被写体に向き合う。写し手の被写体への想い、哲学、人生観、あらゆることが求められているように思うのだ。きっとこの機材選択によってこの撮影旅が修行のように感じるのだろう。自己を追い詰める作業はキツいのだが、撮影し終わってみれば幸せなことだと感じている。
森川さんは、園内の特徴的な松やその意味合いなど多様な理解を話してくれる。クロマツとアカマツによる造園にいろいろな思想を反映しているのではないかと話し出したら止まらなくなった。松は祝い事にも使われることから、お姫様の健康を祈願をしてお雛様の配列の如くクロマツとアカマツを植えたのではないかと当時の殿様たちの思いを推理する哲学者だった。
藤堂高虎の縁者たちによる作庭だという推理から、盆栽の手法を念頭に置いたり、枯山水庭園や池泉庭園の仏教的な意味を持たせる釈迦三尊石という配置に、流枝松(なげしまつ)の枝が伸びる方向や幹に残る傷から400年前当時の殿様や庭師の思惑を推理する。何より森川さんは、その時代の出来事を知ることで穏やかに生きたいと願った当時の人の思いに立って推理する。
「鶴亀松」は栗林公園で最も美しいと称されるクロマツで、亀を連想させる110個の石組の上に鶴が舞うような形であることから名付けられた。その時代の庭師が専属で手掛け、剪定は代々の庭師たちの声を聞く時間でもあるという。今はそれが森川さんなのだ。栗林公園の見え方が全く変わってきた。
栗林公園で、松との向き合い方を改めて考えさせられたので、原寸大の巨大な盆栽のような老松が佇む琴引公園に引き返し考え直しながら再撮影。ありがたいことに日差しが和らぎ撮影中は曇天が続き没頭できた。この辺りでいいだろうと切り上げて、明日の講演を依頼を受けている津田の松原に向かう。
庭師:森川茂仁さん(撮影:Hasselblad 907X CFV II 50C + XCD4/45P)