松韻を聴く旅 伊豆半島と旧東海道の夏(1)真鶴半島から安倍川へ
1日目 7月17日、真鶴半島から城ヶ崎へ
伊豆半島と東海道の夏をゆくという感じになりそうな今回。まずは神奈川県内は真鶴からスタート。ここ真鶴半島には「お林」と名付けられた巨樹の魚付林がある。
江戸時代、明暦の大火で大量の木材が必要となり、幕府の指示で小田原藩に15万本の松苗が割り当てられ当時は茅場だった真鶴半島に植樹。以降、立ち入り禁止の「御留山」となり、維新後は皇室の「御料林」となってクスノキを植樹。その後スダジイが自生し始める。昭和27(1952)年に真鶴町に払い下げされるまで、291年間も幕府や宮内庁の管理下に置かれ開発を逃れてきた。その後も神聖なる場所として大切に守られ現在に至るまで、363年を経てクロマツとクスノキとスダジイの巨樹が林立する全国でも稀有な場所となっている。ただ町有林となって72年の間に自然遷移が進み、現在ではクロマツは林内に点在するか日当たりの良い稜線や海岸に近い縁に多く残り、クスノキとスダジイが大半を占め下層植物も繁茂し照葉樹の迫力ある巨樹林となっている。
昼前後は、伊豆半島を南下し吊り橋と松の組み合わせを期待して伊豆ジオパークを代表する景観の城ヶ崎へ向かう。約4000年前に大室山から流れ出た溶岩でできた海岸線にはやはり老松が生い茂っていた。駐車場から目と鼻の先にある「門脇吊橋」はSNSの影響なのか中国人で賑わっていたが、少し降った先に存在感のある松が佇んでいた。さらに南下した「橋立吊橋」と「対馬の滝」は、伊豆高原駅近くの駐車場から徒歩10分程度の距離にあるがほどほどの人出で静か。樹齢を重ねた松の存在感もあり吊橋の構図はこちらがしっくりきた。
城ヶ崎周辺の松林の存在感は思った以上にあったのだが、やはりマツクイムシ被害を受け以前よりも景観を損なってしまっているようだ。静岡県のウェブサイトによると、平成14(2002)年に地元有志が立ち上がり「城ヶ崎海岸の松と自然環境を守る会」が発足していた。樹幹注入や植樹など地元の小学校と協働した保全管理活動により景観形成したことが評価されている。
城ヶ崎にある蓮着寺は、弘長元(1261)年に流罪となった日蓮上人が鳥崎の俎岩に置き去りにされこの地に2年弱を過ごし御罷免となり鎌倉に戻ったが、時代は進み室町時代に日蓮上人の霊跡として鳥崎を日蓮崎と改めるなどして開創された。この日蓮崎も松のある風景である。日蓮上人に由来する「袈裟掛けの松」と呼ばれる松は各地に点在し、この蓮着寺にも伝わっていたが昭和9年の火事で焼けている。2代目の松も10年ほど前までは健在だったが枯死したのか切り株が残る。ここ城ヶ崎も松の名所といえる。
再び真鶴に戻り、真鶴町役場福祉課長の卜部直也さんと久々にお会いする。卜部さんは「真鶴町まちづくり条例」のデザインコードである「美の基準」に魅せられ2000年に入庁し10年間運用に携わった。「美の基準」は当時の町長がリゾート開発に一石を投じるために様々な有識者を招いて作り上げたものだった。
卜部さんは持続可能な真鶴町を構築する中で、2015年に民間企業にCSRとして「お林」の調査に協力を呼びかけ「魚付き保安林プロジェクト」を立ち上げ、町民も数百人が参加する「お林調査」を開始した。「お林」は魚付保安林であり漁業者にとっては海の恵みを育む森なのだ。観光資源、健康保養、漁業活性など、景観保全が様々な価値を生み出すことを卜部さんは呼びかけた。この調査結果を受けて2017年には「お林保全協議会」を発足。現在は観光推進課の通常業務として継続し毎年12月に「お林調査」を実施している。明日はその観光振興課と観光協会に取材する。
湿度が高い夕暮れ時、水平線を背景に「お林」のクロマツの巨樹を眺める。
恒例の日帰り温泉は、隣にある湯河原町の「こごめの湯」へ。ナトリウム・カルシウム塩化物・硫酸温泉で源泉は60℃。雰囲気の良い温泉で蒸し暑さに参った体を癒してもらった。
城ヶ崎で出会った松(撮影:Hasselblad 907X CFV II 50C + XCD4/45P)
2日目 7月18日、真鶴半島から沼津へ
真鶴半島にある「お林」をもう少し深掘りする。9時に真鶴観光協会で真鶴町役場観光推進課の高田大輔さん、観光協会事務局長の鈴木勝さんと待ち合わせ。「お林」をさらに観光資源として活用したいという思いを聞けた。
高田さんは卜部さんが2015年から始めた町民参加の「お林調査」を担当している。毎年12月ごろに定点調査を継続しており、ポイントはクロマツを植樹したことが「お林」の起点であったことを踏まえて毎年測定するのはクロマツのみ。クスノキやスダジイは3年に一度測定している。調査プロットは95m格子で域内43ポイントと丁寧な作業となっており、森林総合研究所森林植生研究領域長であり日本森林学会長の正木隆さんの指導のもと行っている。周囲30cm以上の樹木を測定しおり、クロマツにはテンドロメーター(バネのメーター)が巻きつけてある。「お林」内には推定2000本のクロマツが残り測定しているのは現在は112本。クスノキやスダジイは942本を測定している。森林整備に関しては孟宗竹やカミヤツデなどの外来種対策を考えている。ビロウは検討中だ。
御料林だった頃の古い写真が残っている。松の巨樹だけが並び、林床の下層植物は小さく明るい林内で、きっと当時は地域の人々が家庭の燃料確保のために定期的に御料林に入って松葉かきをしていたのではないかと想像される。1970年ごろからマツクイムシ被害が始まり、1973年からお林全域への薬剤散布が始まっている。その後、空中散布の問題から2007年からは樹幹注入に完全に切り替え現在に至る。
鈴木さんは森林セラピーガイドの資格を持っており、企業の福利厚生やインバウンドなどで「お林」での森林浴をもっと活性化させたいと考えている。森林セラピーガイドとは「森林を訪れる利用者に対して、森林浴効果が上がるような散策や運動を現地で案内する者」と森林セラピーソサエティのサイトに記されている。「お林」は多くの巨樹が息づき、視覚的にも精神的にもとてもポテンシャルが高く可能性を感じる場所だけにぜひ推進してもらいたい。そのためにも町役場には雨でも歩きやすい遊歩道に整備してもらいたい。
「お林」には、神奈川県内で最も巨樹と言われたクロマツの亡骸がある。高田さんに場所を案内してもらいそのクロマツに会った。江戸当初からの個体であれば推定樹齢は300年を超えて生きてきたことになる。老衰なのか、日差しが足りなかったのか、害虫被害なのか、雑木の中にあり中折れした幹は朽ち始めていたが在りし日に思いを馳せた。真鶴町役場は「お林」の松は歴史的資産と捉えており、自然遷移に任せるが沿岸部の崖地などに生き残っている松や、植栽された松や実生発芽で育っている松を保全する方針を打ち出している。また内陸部など松の育成に適さなくなってきているエリアでは、倒木や枝落ちなど危険回避のため松は伐採し、資材として活用することでお林の保全費用に充てていくとしている。この旅は「日本の暮らしと松」がテーマである。この「お林」のクロマツは防風防砂のためではなく江戸時代の用材として植樹されたもので、自然遷移によって生きるエリアが絞られている。これもマツが生きる風景であり姿なのだ。
ランチは真鶴町在住の小島まき子さんと「たかはしふぁーむキッチン」で待ち合わせ。真鶴農家直送の季節の野菜が楽しめる素敵なお店でガラスケースに並ぶ惣菜を選ぶ。小島さんは僕の著書「未来をつくる道具わたしたちのSDGs」の編集者で大変にお世話になった。「松韻を聴く旅」について聞いてもらい、発信の仕方について相談に乗ってもらった。今は多様な意見を耳にしたいのだ。
夕方は、沼津まで向かい、「千本松原」と「沼津御用邸」に足を運ぶ。この2か所は2022年5月にこの「松韻を聴く旅」に出る練習で立ち寄っていた。「千本松原」は戦国時代に松原が焼き払われ、地域が潮害や飛砂に見舞われるようになり、旅の僧侶長円が住民の生活の安定を祈願し天文6(1537)年に松苗を植え始め、住民もその姿に心を打たれ植林を行い現在の千本松原になったと言われている。
狩野川を挟んで佇むのが「沼津御用邸」だ。明治26(1893)年に大正天皇(当時皇太子)のご静養先として造営。第二次世界大戦により焼失し戦後まもなく御用邸が廃止。昭和45(1970)年より都市公園として一般公開された。平成28(2016)年には園内を囲むクロマツ林や林間から望める富士山など優れた景観や近代日本における近郊海浜保養地として歴史的・文化的価値があるとして国の名勝指定を受けている。
いずれも優れた松の名所であり、どうしても気になっていた老松があり再会してきた。やはり魅力的だった。御用邸の門前には推定樹齢400年の根上松があるのだか、以前と比べて心なしか元気がないように感じられた。まだ納得できる撮影ができていないので再訪したい。
恒例の日帰り温泉は「あおい温泉草薙の湯」。スーパー銭湯だが、内湯は高濃度炭酸泉、露天はカルシウム・ナトリウム・塩化物泉で濃い塩味。良い癒しとなった。
神奈川県最大の松の亡骸(撮影:Hasselblad 907X CFV II 50C + XCD4/45P)
3日目 7月19日、安倍川の松並木
今日は夜明けから安倍川沿いの松並木。東海道新幹線や東名高速で安倍川を渡るとき、大きな老松が多数見えるのでいつも気になっていた。徳川家康が慶長11(1606)年に駿府城拡張工事をした際に、近くを流れる安倍川の土手も天下普請として薩摩藩が手がけ「薩摩土手」として残る部分もある。海岸林と同様、河川敷にも松を植え河川に吹く強風から家々を守ってきたと言われている。
国土交通省中部地方整備局静岡河川事務所の「安倍川水系河川維持管理計画・平成30(2018)年3月」によると、江戸時代末期より植林された松は約215本が残り、近年は枝などが飛散し民家に被害が出ていることから必要に応じて剪定や伐採を行なっているとある。また、河口部の堤防には昭和初期に撮影された写真にかなりの本数の松並木が写っている。堤体内には過去に伐採したそれらの松の根株が残り、これが腐朽してできた空洞により堤防の陥没が発見され、「河川堤体内の空洞化点検技術への取り組み」が進められている。
加えて、いくつかの個人ブログの情報をまとめると、現在は推定樹齢は100年以上、地元の樹木医の見立てでは400年を超えるものもあるようだ。少し歩くだけで相当な樹齢を重ね素敵な樹形の松たちが次々と現れなかなか迫力がある。その中で樹形がヤシの木のようなものが多く気になったので調べてみると、平成15(2003)年に松葉が雨樋に詰まるなどの苦情が住民から寄せられ、住宅側の枝を伐採したところ風の抵抗が受けやすくなり、さらに枝の伐採をする際に高所作業に限界があることを理由に下部の枝を伐採してしまったからだという。平成23(2011)年9月の台風12号による倒木をきっかけに住民が署名を集め国交省に提出。これを受け国交省は伐採を決定したが、伐採を見直す要望書が市民団体から提出され伐採時期を延期し、住民の意見がまとまらないことから伐採されず現在に至っているようである。
これらは、いずれも複数の個人ブログからしか情報が得られず、それらを抜粋したもので自身が取材したものではないことはお断りしておく。
旧東海道エリアで富士山を背景にした松並木が残る景観は、歴史ある観光資源として大切にしてほしいと願いたいのだが、地域の日常の暮らしを踏まえると「松のある風景」の管理のあり方の難しさを考えさせられる。
午後からは三保松原の「みほしるべ」で、静岡市観光交流文化局三保松原文化創造センターの山田祐記子さん、小林美沙子さん、五十嵐遥さんと来年度の企画展示の打ち合わせを行った。山田さんは4月に訪れた際に松への思いを共有した人。まだ旅も途上で、どのような世界観を作り出せるのか見えていない状態だが、気がついたら3時間以上もディスカッション。より展示室で実際の展示物を見ながら具体的な展示の方法、素材、大きさなど基本構成を妄想。通常の展示方法のブックマット形式、大型パネル、タペストリーなどなど。ここを起点に松にゆかりのある各地へ展開することも想定。大変に有り難い機会を得た。
恒例の日帰り温泉は、焼津市の住宅街の中にある「焼津黒潮温泉なかむら館」。創業60年ほどの地元に愛される共同浴場を3年前にリニュアル。完全掛け流しで源泉は52℃のナトリウムカルシウム塩化物泉。お湯は塩っぱくてなめらか。ゆっくり浸かって癒してもらった。
安倍川の松並木(撮影:Hasselblad 907X CFV II 50C + XCD4/45P)