松韻を聴く旅 伊豆半島と旧東海道の夏(2)三保松原と伊豆半島での出会い
4日目 7月20日、三保松原に集う人々
夜明けから「三保松原」。4月に訪れた際は冠雪していた富士山は、うっすらと浮かぶ夏富士となり松林と海が美しい。
昨日のランチタイムに行った「三保松原」を見下ろす「日本平」には昭和30年代の「三保松原」の写真があった。女性が頰被りをして大きな竹籠を背負い、熊手で富士山を望む砂浜に立つ松の根元の松葉をかいているのだ。ずっと追い求めている「松の国」の日常風景そのものである。こんな写真が撮れたら、きっと撮影の旅を終えてもいいと思えるのではないだろうか。
今日は終日「みほしるべ」の山田祐記子さんのセッティングで三保松原で保全活動を行っている様々な個人団体の人たちへの撮影取材。
7時半に三保生まれ三保育ちの川口昇さん。「羽衣の松」や「みほしるべ」などから約3kmあり三保灯台通りに面した「清水三保海浜公園」の清掃や草刈りなど松原の手入れを続けている。今日もこの暑さの中、草刈機を抱える姿はとても87歳には見えない。川口さんの若かりし頃はここまで美しい松原が延々と続いており、地域の人が松原に入って松葉かきをして内陸の田畑を守る機能を発揮していたが、近年になり田畑に入る人も減り松原の機能を気にする人もいなくなる。そして、砂浜の減少による養浜や公園の造成のために入れた山土に海の植生ではないクズの種などがあったようで、一気に蔓草に覆われてしまい松は衰弱しマツクイムシ被害もあり激減。
平成25(2013)年に三保松原が「富士山世界文化遺産」の構成資産に登録されたことをきっかけに、この周辺が「清水三保海浜公園」として整備され松も植林される。本来は行政が管理し年に数回清掃は行なっているようだが、残念ながら鬱蒼として人が入れる松原ではなくなっている。川口さんは、記憶にある延々と続く美しく明るい松原を、未来の世代にも残したいという思いと、世界遺産を期待して訪れる観光客にも楽しんでもらいたいという思いで、地元の方々と協力して日々この周辺の作業を続けている。実生発芽の小さな松苗に「元気に育てよ」と声をかける川口さんの姿に心が打たれる。
次にお会いしたのは「みほしるべ」に近い松原でチガヤの根っこを根気よく掘り起こしている望月正光さん。この姿が最も望月さんらしい姿らしく、誰もが望月さんの根気よく作業を続ける姿を見ているという。清水区内ではあるが三保松原からは少し距離があるところにお住まいにも関わらず定期的に通っている。ご家族の健康状態を心配しながら、やはり郷土の誇りである三保松原を美しい状態にしたいという思いで言葉少なく黙々と作業を続ける姿に心を打たれる。
三保松原の基礎的な美観は、こういった地元の人の郷土愛による地道な作業に支えられているのだ。
「一般社団法人三保松原3ringsプロジェクト」の藤田尚徳さんは、飲食グループ「なすび」の専務さん。兄弟でお父さんが創業した会社を受け継いでグループを成長させ、離職率一桁台の多様な人事制度を実施する革新的アイデアで経営をしている。そんな多忙な立場でありながら、この非営利団体を立ち上げ「松葉かき交流会」と称して毎週土曜に個人から団体など多様な人々を集めて松葉かきを実施。
「1,000人のチカラで1,000年先まで三保松原の景観を守る」ことを目的とし、保全活動に多くの人が参加し続ける仕組みづくりに取り組んでいる。1,000人と1,000年先にかけて3ringsと命名。今日の参加者も幅広い世代が集まっていた。強い日差しが差し込むが松原には涼しい風が抜ける中で集合写真を撮影。
やはり経営者の視点は持続可能な仕組みに着目するのだなあと、この「参加し続ける仕組みづくり」という行動の起点に共鳴した。松原に経済循環を入れ込むことの必要性に気づき、そのヒントを求めることも旅の目的となってきていたが、もしかしたらこの「参加し続ける仕組み」があってこそ松原に経済循環が入りやすくなるのかもしれない。
現にこのプロジェクトは、集めた松葉で再生した用紙「みほのまつがみ」を開発。アイデアを形にしたのはこのプロジェクトのメンバーで高校生のときから松を研究している増田彩香さん。江戸幕府の御用紙だった修善寺紙とコラボして1年かけて開発。売上の10%は三保松原の保全活動に寄付。若い世代も参加し続ける仕組みがあるからこそ商品開発に繋がったともいえる。
「みほしるべ」でマルシェを主催している「三保コミュニティデザインLabo」。団体を立ち上げたのは元代表の染谷理絵さん。染谷さんは、マルシェ好きが高じて出展者の立場から三保松原に近い駿河国三之宮「御穗神社」の宮司さんに飛び込み相談をしてマルシェを開催し始めた。
「御穗神社」は羽衣伝説ゆかりの神社で、羽衣の切れ端が所蔵されていると伝わり、「羽衣の松」に降臨した神様が「神の道」を通って向かってくると言われている。延喜式にも記載され今川氏や徳川氏など歴代の武将にも大切にされてきた。
三保のシンボルのような場所からスタートしたこの取り組みは「みほしるべ」が完成して会場を移した。三保に生まれ育った染谷さんは普段は認知症施設で働き地域の社会課題そのものに向き合いながら、三保松原の保全を通して地域に住む人のつながりをデザインしたいという郷土愛が行動のエネルギーになっている。
そして現代表となっているのが増田彩香さんだ。マルシェには様々な出展者がいるが「松葉かき」の主催者テントもある。そこへ続々と地元の小学生や中学生が「松葉かきをしに来ました」と言って何人もやってくる。必ず「6袋と熊手をください」と言って松原に向かう。1時間ほどすると6袋分の松葉を集めて戻ってくると、テントでマルシェで使える地域通貨300円分を受け取っていた。6袋と交換した通貨で出展者の美味しいドリンクが買える仕組みになっているのだ。増田さんはこれもコミュニティデザインですよねと笑顔で話す。素敵な取り組みである。
増田さんは、母校の静岡大学でサステナビリティセンターの特任職員として勤めるなど、多様な立場に身を置きながら持続可能な三保松原との関わりをデザインしている。
もう一人のLaboメンバーは常葉大学4年生の宮城嶋開人さん。三保で生まれ三保の自然に育まれてきたが、松原の維持には地域の人が生活で関わっていたことを知り、賑わっていた海水浴場なども寂れていく様子に危機感を持ち、自分なりの「まちおこし」の機会を考え「三保海浜マラソン」の開催にこぎつけた。周囲の人を巻き込み助けを受けながら実現。来年からは地元企業で自分の知恵を活かせる仕事に就く。
会話をしていると本質に気づきそれを自分の言葉に置き換えて確認をしてくれる。とても素直で聡明だと感じる。やはり自然循環や自然共生を理解すると思考も柔軟で連続性に想像が働くようで、松原が育んだ人材だと思える。この撮影取材「松韻を聴く旅」の「松を通して自然共生社会を見つめる」コンセプトに間違いがなく自信を深めることとなった。
三保松原の松葉ペレット「まつぺれ」を試作した寺尾依左央さん。拠点である「もくぺれ×GALLERY kino」を訪ねた。とても素敵なギャラリーでちょうど10周年の記念展示を行なっていた。「まつぺれ」は試作して以降の商品化には至っていないようだが、継続的な松原保全のために松葉を資源とした経済循環の仕組みづくりへの熱い思いを共有させてもらえた。こういった地域の地に足のついた仕組みづくりが動き始めることを大いに期待したい。
全国の松原の中でも世界遺産ブランドという恵まれた条件の「三保松原」。この保全活動を活性化させる余白の中で、行政との対話によって解決すべきことや、個人や民間団体が松林を資源にした事業を創発すべきことなど、まだまだあるのだが、そのスペースに気づいて動き出している多様な人材が豊富であることがよーくわかった。とても可能性を秘めたワクワクする場所である。
恒例の日帰り温泉は明日の南伊豆町に向けて走り伊豆市の「湯の国会館」へ。泉質は源泉温度51.1℃のナトリウム硫酸塩温泉と、源泉温度25.3℃のアルカリ性単純温泉。ナトリウム硫酸塩温泉はぬめり感がすごくて一気にお肌スベスベ。内湯と露天を堪能した。
松葉かき交流会に集った人々(撮影:Hasselblad 907X CFV II 50C + XCD4/45P)
5日目 7月21日、南伊豆の白砂青松
今朝は伊豆市から南伊豆町に向けてゆっくりスタート。天城越では寄り道をして雰囲気の良い旧天城トンネルを歩いてみたらとーーっても冷涼な風が抜けてオアシスであった。
海水浴シーズンに突入している週末に、南伊豆の海水浴場にズボンに靴を履いて撮影取材だけのために向かうということに疑問を抱きつつ(笑)、海水浴客でごった返す「弓ヶ浜」へ。海辺の駐車場は日中は2000円。砂浜沿いの道を徐行しながら松の状態を眺めて下賀茂にある「531 Coffee & Bake」へ向かう。
ここでHARDWOOD株式会社の森広志さんと待ち合わせ。というかこのお店は森さんのご自宅の敷地内にあり奥さんの朝子さんが営んでいるのだ。なんたる理想的な移住生活。森さんは全国を駆け巡る樹木医であり松保護士であり林業家でありサーファーであり(ちなみに朝子さんもサーファー)、、、と共通言語があまりに多い人。今回の撮影取材の旅に出る前に、森さんが「弓ヶ浜」の松林整備に関わったことがあるという情報を得て電話で問い合わせた際、電話のやり取りで意気投合したため会いましょうとなった。
朝子さんが作る美味しいコーヒーやスムージーをいただきながら、オープンテラスというか緑豊かなお庭のテラス席で語り合うこと3時間以上。照りつける太陽はジリジリ来るが、日陰を抜ける風は涼しくあまりに居心地が良い庭なのであった。
海のある暮らしを求めて脱サラ移住し、体力には自信があったのでいきなり林業の求人を見つけてその道に入る。現場の技術を身につけていくと、林業の可能性を拓くためには様々な基礎知識が必要だと考え松保護士と樹木医の資格を取る。そして現場と事務の両立が可能となって独立し起業して5年。それこそ全国各地から、官民関係なく多様な依頼主から山の最良の管理設計から現場の緊急対応まで非常に幅広い業務を引き受けている。松の直近の仕事を聞くと目黒の庭園美術館にある松の巨樹の手入れをしているそうだ。林業という事業の可能性を感じるだけでなく、日本の山々が若い世代が本気なって参入することで健全になり、自然共生社会の基盤が構築されるという希望を抱けた。
今日の森ファミリーは、地元民らしい過ごし方なのだが、「弓ヶ浜」で遊んでから海の家で夕食を予定している。とても良い生き方をしているのだ。今後は撮影取材の「松韻を聴く旅」への情報提供などの協力を申し出てくれて感謝の日となった。
太陽が傾いて来たので、石廊崎方面に向けて海沿いを走ると南伊豆町の「大瀬漁港」に比較的大きな松が佇む。南伊豆らしい漁港風景に松を写し込む。そろそろ良かろうと思い「弓ヶ浜」に向かうと、人もすっかり減って駐車場はすでに開放され静かな海辺となっていた。海岸林の松の根元ではハマユウが咲き乱れ、急に田中一村の絵が連想され構図を求める。夏の夕暮れに伊豆半島の南端の白砂青松の海辺で、お気に入りの絵画を思い浮かべながら構図を探究するという自由。藪蚊に刺されて痒いのもまた良いのだ。少年の夏休みである。ささやかな幸せである。日没よ少しだけ待ってくれ。
恒例の日帰り温泉は、南伊豆市が運営する「下賀茂温泉銀の湯会館」へ。源泉は100℃で掛け流し、泉質はナトリウム・カルシウム塩化物温泉で温泉成分が濃く、高張性のため、温泉成分が身体に浸透しやすいようで、ぬめり感があり塩っぱいお湯に癒してもらった。温泉半島も満喫である。
南伊豆町大瀬漁港(撮影:Hasselblad 907X CFV II 50C + XCD4/45P)
6日目 7月22日、南伊豆のビューポイント
今朝は夜明けから「弓ヶ浜」。まだ人は少なく風も涼しいなかを探究。石廊崎の駐車場はまだ空いていない時間だったが、ゲートの手前に車を停めて延々歩いてみると灯台周辺には松はなく雲間から太陽が差し込む崖下の迫力のある風景を眺める。車に戻り少し先に行くと奥石廊崎のビューポイント「愛逢岬」の風景には松が欠かせないことがわかった。こういった発見があるから先へ先へと向かいたくなる。これこそが旅のエネルギーなのだ。「愛逢岬」の広い駐車場には店舗がある。これは伊豆急不動産の所有らしく元々は伊豆急物産が売店を運営していたが石廊崎ジャングルパークの閉園などにより交通量が減ったことから閉店。2012年に南伊豆町観光協会が伊豆半島ジオパーク構想と連携したビジターセンターと売店を開設し来場者が増加。2019年に石廊崎オーシャンパークが開園しビジターセンターは移転されてしまったが、現在は2023年に開店した「サウスポイント カフェ&ギャラリー」が人気を呼んでいるようだ。残念ながら営業時間外だったので店内を見ることはできなかったが、人工物が目に入らない奥石廊崎の景観を独り占めできる素敵な場所で自分のお店を運営する人生は素敵だなと思う。
10時に南伊豆町役場の地域整備課の大野雄一さんを訪ね、大野さんと一緒に湊区長の山田晴之さんにお会いする約束。まずは役場で大野さんから話を聞く。「弓ヶ浜」は静岡県から「高度公益機能森林」に指定されている。「高度公益機能森林」とは、「森林病害虫等防除法」によると、「森林法に定められた保安林として指定された特定森林及びその他の公益的機能が高い特定森林であって特定樹種以外の樹種からなる森林によっては当該機能を確保することが困難なものとして政令で定める特定森林をいう」とある。まさに海岸林においては潮風に強く痩せた土地に強い松を守る法律とも言える。その証としてこの「森林病害虫等防除法」は、「森林病害虫等を早期に、且つ、徹底的に駆除し、及びそのまん延を防止し、もつて森林の保全を図ることを目的とする。」とあり、定義には「この法律において「森林病害虫等」とは、樹木又は林業種苗に損害を与える次に掲げるもの」とし2つある項目の1つめは、「松の枯死の原因となる線虫類(以下「線虫類」という。)を運ぶ松くい虫」とある。静岡県で「高度公益機能森林」に指定されているのは「弓ヶ浜」の他に「三保松原」「千本松原」「城ヶ崎」などがある。いずれも松の名所である。
「弓ヶ浜」に関する情報は、昭和51(1976)年に青野川が氾濫して町役場も浸水し過去の資料が消失しているため「弓ヶ浜」の松林についても資料がない。植樹時期は昭和以降しかわかっていないようだが、数年前に枯死した松の樹齢は区長さんたちが年輪を数え140年(明治初期の植樹木)だったことがわかっている。その切り株があるのは杉並区の所有地で同様に太い松が何本も佇んでいる松林がある。このエリアは南伊豆町は杉並区との連携の痕跡とも言える。
南伊豆町や杉並区の資料によると、この松林に守られる場所に昭和49(1974)年に杉並区が虚弱児童等の転地療養のための施設として区立の全寮制養護学校 「杉並区立南伊豆養護学園(南伊豆健康学園に改称)」と、南伊豆町内の小学校との児童間交流なども行う杉並区民の保養所「弓ヶ浜学園(弓ヶ浜クラブに改称)」があった。南伊豆健康学園は当初の目的を終え閉園。その後も移動教室は継続し災害時相互援助協定の締結も行なったが、令和5(2023)年度末をもって弓ヶ浜クラブも廃止された。
南伊豆町の4つある地域再生計画の一つ目に南伊豆町生涯活躍のまち 「南伊豆の大学づくりプロジェクト」があり、総合計画の基本目標4の「 南伊豆町が持つ環境を活かして生涯健康で元気に暮らせる地域社会を創出し、アクティブシニア層の転入を増やし、後期高齢者の転出を抑える」を目指している。杉並区の施設や老松が並ぶ景観はその資源として是非とも良い活用がなされることを願いたい。
南伊豆町は、マツクイムシ対策として、弓ヶ浜、石廊崎周辺、愛逢岬の松は5月と6月に3回に分けて地上散布を行い、7年ごとに樹幹注入を行なっている。徹底した対策により被害木は年間数本程度に抑えられている。
役場から弓ヶ浜へ移動し区長の山田晴之さんを訪ねる。運営されている海の家「Beach House MOKI」でお話を伺う。山田さんは役場を長年務め今は海の仕事をされている。開口一番「弓ヶ浜周辺の住民は、年齢に関係なく弓ヶ浜の観光資源として松が欠かせないと考えている」とおっしゃった。年に数回は共有管理会が草刈りを行い松葉もかき集めるので比較的林床の状態は良い。ただ砂浜はかなり狭くなり風で道路側に吹き上げられることが多い。しかし海沿いの道路と砂浜を隔てる人工物はなく今では貴重な海岸となっている。これこそ観光資源として考えており、津波対策の防潮堤の話もあるが、この景観を守ることを第一優先として検討を進めているという。まさに弓ヶ浜とともに生きる人の話である。平日とはいえ海の家が忙しいお昼時になってもご対応いただき大変に有り難いと思っていたら、ランチも人気メニューの「豚バラキャベツ丼」をご馳走になってしまった。
日中はあまりに日差しが強いので昼寝をして、夕暮れの撮影を目指して城ヶ崎に向かい「橋立の吊り橋」と「対馬の滝」を再撮影。
恒例の日帰り温泉は、湯ヶ島にある「河鹿の湯」へ。狩野川沿いにあり地元の人御用達の共同浴場で350円。泉質はカルシウム・ナトリウム硫酸塩泉、源泉45.3℃の掛け流し。とても清潔感があり湯船からお湯をすくって体を洗うこじんまりした浴場。大正解。毎日こんな温泉で体を癒せたら幸せだろうな。
弓ヶ浜の老松(撮影:Hasselblad 907X CFV II 50C + XCD4/45P)