(伊豆半島と旧東海道(2)より続く)

 

7日目 7月23日、西伊豆の松を訪ねる

 

西伊豆で、付け根の沼津以外で松に関して特に情報がなかったため念のため土肥に向かう。すると「土肥海水浴場」にそこそこの老松が林立するその名も「松原公園」が隣接している。

伊豆市の資料などによると、土肥には、江戸時代に第一期黄金時代、明治から昭和にかけて第二期黄金時代を迎え佐渡金山に次ぐ生産量を誇った「土肥金山」があった。1370年代の足利幕府直轄の金山奉行が土肥を支配し盛んに金を掘ったのが始まりと言われ、昭和40(1965)年に鉱量枯渇のため閉山された。昭和47(1972)年に坑内の一部を観光坑道として整備し一般公開している。閉山までの坑道総延長は約100kmで深さは海面下180mに及び、推定産出量は金40t、銀400tであった。

金山開発中の1600年代に坑道の一つから温泉が湧出したのが「土肥温泉」の始まりと言われ、近代温泉は明治33(1900)年に飲料用の井戸を掘ったところ温泉が湧出したものが始まりと言われている。しかし、昭和初期頃から鉱山の坑道掘削が進むにしたがって次第に湧出量が低下し枯渇してしまう。そこで昭和24(1949)年に当時の土肥町と鉱山が協定を交わし坑道内に湧出する温泉を無償で供給されることとなり「土肥温泉」を復活させ現在に至る。

このような歴史背景のある町に残された松原には、樹齢400年はあるとされている松が100本程度並び、土肥ゆかりの若山牧水や島木赤彦の歌碑や彫刻などがある。そしてまさに今月の2024年7月から運用が開始された松原公園津波避難複合施設(テラッセ オレンジ トイ)が松林に見事に調和して建っている。平時は観光施設として運営され、防災と観光を統合した全国初の施設のようだ。

せっかくなので「黄金崎」に足を伸ばすと、通称「馬ロック」の岩の上にはやはり松。ただ説明看板に使われた少し前の写真よりも松の数は明らかに少なく、マツクイムシ被害を受けたことは容易に想像ができる。周辺も松が点在しており富士山を展望できる松のある風景は、冠雪の富士山を夕暮れに撮影してみようと思う。

ランチ&コーヒータイムに熱海で東京都市大学名誉教授で「日本海岸林学会」元会長の吉崎真司さんにお会いする約束。専門は環境緑化工学で海岸防災林、乾燥地緑化が専門。特に砂漠化対処に尽力されたご経験から海岸防災林にも精通されていることがお話を聞いてわかってきた。嬉しいことに、このブログ「松韻を聴く旅」に注目してくだっさっていたという。今後、日本海岸林学会のウェブサイトでも紹介いただくなど連携をさせていただくことになった。とても励みになる。感謝感謝である。(早速8月13日に関連メディアで紹介いただいた)

明日以降は旧東海道にいくつか残る松並木を訪ねるため、熱海から函南を経由して三島に出て新東名を西に向かった。恒例の日帰り温泉は豊川市にある「本宮の湯」へ。第三セクター運営のいわばスーパー銭湯だが、泉質はナトリウム塩化物泉、源泉は25.9℃でぬめり感ありと、ナトリウム塩化物・炭酸水素塩泉、源泉は27.1℃でシュワシュワ刺激感ありの2種類。ともに気持ちよく癒してもらった。

 

馬上の松(撮影:Hasselblad 907X CFV II 50C + XCD4/45P)

 

8日目 7月24日、街道並木の起源を考察

 

早朝から旧東海道の松並木。今回は愛知県に点在する松並木を訪ねてみた。まず岡崎市の「藤川の松並木」。「藤川宿」周辺で国道1号線から脇に入って車がほとんど通らない旧道約1kmに比較的樹齢の若いクロマツ90本が立ち並び美しく整備され往時の雰囲気が伝わる。続いて知立市の「知立松並木」は約500mにどっしりと樹齢を重ねたクロマツが約170本が立ち並ぶが、こちらは幹線道路となっていて車が絶えないが、側道があるのが特徴的でこの地で行われた馬市のため馬をつなぐ場所だったのではないかと考えられている。加えて6月19日に訪れた静岡県の「舞坂宿松並木」も美しい景観を維持している。

さて、これらの街道の松並木だが、慶長9(1604)年に幕府は五街道の一里塚と並木を設置することを各藩に命じた。これは軍事上の配慮との説もあるが、街道を往来する人々には夏は木陰を提供し冬は防風や積雪を防ぐ役割を果たした。現在も旧東海道には宿場街だけでなくその名残の松並木が自治体や地域住民により保全されている。

ちなみに、国交省関東地方整備局横浜国道事務所ウェブサイトに、街道の並木は奈良時代の天平宝治3(759)年に、東大寺の僧普照の奏上によって、駅路の両側に果樹を植えたのが始まりだと書かれている。「レファレンス共同データベース」では、「街路樹」(山本紀久1998)に奈良時代の759年に宮符により五畿七道(東海道、東山道、北陸道、山陰道、南海道、西海道、山陽道)の両側に「果樹」を植えたのが街道並木の始まりとされると書かれているとある。

保土ヶ谷にある神明社のウェブサイトに、街道並木について詳しく記されている。やはり天平宝字3(759)年に発せられた太政官符とされ、中国を見聞した東大寺の僧・普照法師の進言によって出来上がった制度と書かれているので、街道並木の起源はこの史実に間違いないとしたい。また、この太政官符が「類聚三代格巻七・牧宰事」に収められていることも記されている。その内容も読み下されているのでここに独自に解釈し転載する。

「畿内七道諸国の駅路の両辺にあまねく果樹を植える、東大寺の普照法師が奏状をとなう、道は百姓の来去絶えず、樹はその傍にあって休息場所となる、夏は陰を作って暑さを避ける、飢えたるときは実を摘んで食べる、そこで城外の道路の両辺に果樹を植えることを進言する」

ここまで調べるとなぜ江戸幕府は松並木にこだわったのかを知りたくなる。土木史研究講演集Vol.24「近世東海道の並木について」に並木整備の実態を明らかにした研究論文があり樹種選定の考察が記されている。「痩せた土地でも成育することができること、掃除や手入れなど日頃の負担が少なくすむこと、土木用部材としてリサイクルが可能であることから、松や杉が選ばれたのではないか」とまとめられている。松だけに特定することは叶わなかったが、松が個性的な樹木であり、旅情を楽しむ景観を成すことから好まれたであろうことを、勝手な想像として書き加えておく。

日本交通公社による「美しき日本」全国観光資源台帳にも「東海道の松並木」のページがあり、補足情報として諸説が記されていて興味深い。

さて今日の最終目的地は岐阜県海津市にある「油島千本松締切堤」である。揖斐川と長良川の締切堤約1kmにわたって連なる松並木。宝暦5(1755)年、幕府の命を受け薩摩藩が多数の病死者、自殺者(何らかの責任をとっての切腹)を出しながら「宝暦治水」と呼ばれる難工事を完成させた。この事業は幕府が島津家の財政を弱らせることが目的だったと言われ、過激な家臣は戦さもやむなしと考えたが、水害で被害を受ける住民がいることは事実であり、薩摩藩はその民を救うことを使命とし事業を手掛けたと言われている。

三重県環境生活部文化振興課のサイトに詳細が記されている。

完成後、薩摩藩士は地元から取り寄せた「日向松」1000本を記念植樹をした。松並木の1kmを歩いてみると、近年のマツクイムシ被害対策に鹿児島県が開発した抵抗性松「スーパーグリンさつま」を植樹したことが「千本松原再生支援鹿児島県実行委員会」の看板に書かれてあった。

また「木曽三川千本松原を愛する会」が数年前に記念植樹した看板もあり、ネット検索すると現在の活動実態を把握することができた。いずれお会いしたい。薩摩藩士たちはどんな思いで「日向松」を植樹したのだろうと思いを馳せながら撮影した。

さて恒例の日帰り温泉は千本松原から数分のところにある長島温泉の「松が島共同浴場」。営業時間が平日の17時から20時。源泉掛け流しで地元御用達の銭湯で150円。源泉はナトリウム塩化物・炭酸水素塩泉で60℃。加水して45℃程度の暑い湯船だ。湯船は小さく蛇口は数箇所あるが、床に座り込んで湯船からすくって体を洗う人もいる。大正解。身も心も癒された。

湯島千本松(撮影:Hasselblad 907X CFV II 50C + XCD4/45P)

 

9日目 7月25日、旧東海道から三保松原へ

 

早朝から旧東海道の松並木。一度撮影した豊川市の「御油の松並木」だ。戦時中に資材として供出されることのないよう地域住民が政府に働きかけ、昭和19(1944)年に旧東海道の松並木では唯一の国の天然記念物に指定されている。現状は、老衰なのかマツクイムシ被害なのか看板などの写真に比べ老松の本数が圧倒的に少ない。しかし、ここは旧東海道の松並木の中で在りし日の街道の雰囲気を残しているように感じ、前回の1月28日の撮影では納得できるものがなかったので探究を深めた。

浜松市の「姫街道の松並木を考える会」会長の藤田伸哉さんに10時にお会いする約束。「姫街道」沿いに新しくオープンしたカフェで早速お話を伺う。

「姫街道」は磐田市の見附宿から浜名湖の北側を通り豊川市の御油宿に至る東海道の脇往還と言われているが、一説には東海道は浜名湖を船で渡るため、女性は陸路である「姫街道」を好んで歩いたと言われているそうだ。松並木が残るのは浜松市の追分交差点から花川町までの約4km。そこに約180本のクロマツとアカマツが並ぶ。

藤田さんが保全に関わるようになったのは、2003年6月に幹の空洞化によって1本の老松が倒れ地域の人たちの生活と松との共生を考えるプロジェクトが立ち上がった際に話し合いに参加したことから。観光資源として地域の宝だと考える人がいれば、日常の生活を脅かす可能性があると考える人もいたため、「守る会」ではなく「考える会」とし、松並木だけでなくまちづくりという視点を持ってスタートした。

興味深く感じたのは、商業施設や会社の営業所などが「姫街道店」と名付けているのは松並木がある周辺だけ。つまり松並木が旧街道を見える化し地域ブランドとしての価値を創り出していると受け取れる。それ以外の場所は単に「県道」と捉えられているようだ。「姫街道」の松並木で一番大きな推定樹齢250年の根元で藤田さんを撮影。

夕方は三保松原で「みほしるべ」の山田さんの紹介で「三保コミュニティデザインLabo」の染谷理絵さん、増田彩香さん、宮城嶋開人さんとお会いする約束。

染谷さん、増田さん、宮城嶋さんのエピソードは「7月20日、三保松原に集う人々」で詳細を記したが、染谷さんが三保地区でマルシェを開催したいと考えて「御穂神社」の宮司さんに直談判をして開催。そこへ「松を食べる人」と称して松を材料にしたお菓子などのお店を出店していた増田さんや宮城嶋さんが合流し、「みほしるべ」開館と同時に会場を移して三保松原の松葉かきボランティア活動と絡めて開催するようになった。きっかけとなった御穂神社への「神の道」でお話を聞きながら撮影した。

今回の旅はこれで終了。最後に念のためと確認したら富士山がくっきりと見えていたので、不安定な気候で多様な表情を見せる空を背景に日没まで撮影。新東名などを走り約150kmの茅ヶ崎の自宅に帰宅。日帰りにも程よい距離感なので、来年度の「みほしるべ」での展示を目指して、たびたび「三保松原」通いができたらと思う。

今回は、梅雨の末期に開始した撮影取材「松韻を聴く旅」だが、あっという間に梅雨明け猛暑&熱帯夜の日々となり、傘をさすことなく9日間を過ごした。神奈川県から岐阜県の間を伊豆半島を含めて行ったり来たりで走行距離は通常より少なく1850kmほどだった。昨年7月からの総走行距離は42,996kmとなった。

 

三保コミュニティデザインLabo(撮影:Hasselblad 907X CFV II 50C + XCD4/45P)

 

ここで2023年7月から2024年6月までの年間報告を記しておく。

年間走行距離=41,058km、年間排出CO2=9,075kg、年間購入クレジット=11トン

この車中泊による「松韻を聴く旅」は、「日本の暮らしと松」をテーマに持続可能な日本らしい自然共生社会のあり方を「松と人」との関係から見てみたいと考えた。松のある風景、美しい松の姿、力強い松の姿と、松に関わる人々の姿を写真作品に収めたいと考えた。

そのため、当然ながら環境負荷を与えるような車ではなくEVカーやせめてハイブリットカーを足にと考え、身体に優しく長く車中泊を続けるためにはやはりキャンピングカーが最適だと考えたのだが、ワンボックスカーの構造上まだEVカーもハイブリッドカーも市販されていない。

そこでコンパクトな車体のトヨタタウンエースの内装を改造したいわゆる「バンコン」に乗ることにして、キャンピングカー専用のバッテリーは屋根につけたソーラーパネルでも充電できるようにカスタムした。もちろんそれでも大量のCO2を排出するので、排出したCO2はクレジットを購入してカーボンオフセットすることとした。クレジットは国内で場所と所有者が明らかになっている良質な森林吸収源に特定したく縁の深い南三陸の森林を考えた。

南三陸町の森林は2014年春に初めて訪れ、林業家の佐藤太一くんと出会い「FSC(国際森林認証)」の取得に関わり、さらに林業家の速水亨さんにお声がけいただいて立ち上げに関わった「フォレストック認証」も取得している。「フォレストック認証」とは、毎年「森づくりにおける森林吸収源・生物多様性等評価基準」に基づいてモニタリング調査を実施するものだ。

このように縁の深い森林はそんなに多くなく、友人である「グリーンプラス」の飯田さんに相談したところクレジット購入が可能とわかり、毎月旅を終えるごとに手続きをお願いすることにしたのだった。クレジット費用の一部は南三陸の森づくりに還元される。

とはいえ、「カーボンオフセット」はあくまでもみなし排出量ゼロを謳うもので、実質はCO2を年間で10トン近くも排出している。明らかに未来社会に迷惑をかけているのだ。日本の車会社やエネルギー会社には少しでも早く環境負荷を低減した、いやできれば本質的に環境負荷がかからない車とインフラを開発してほしいと願っている。

地方に行けば個人でガソリンスタンドで生計を立てる人も多く、どんなに集落が少ない土地に行ってもガソリンスタンドがあるので安心して旅ができる。このインフラを活かした新たなエネルギー源を開発してもらえばそんな人たちも廃業しないでも済むだろうし、今のガソリン車のようにどこへ行っても安心してエネルギーを補給できる。そんな日常が実現することを願う。

 

松が似合う車になってきた(撮影:Hasselblad 907X CFV II 50C + XCD4/45P)

 

(9月の山梨と長野で真夏の入道雲へ続く)