(信州の老松たち(2)長野は赤松の巨樹の宝庫だったより続く)

 

1日目(3月20日)再び雪の予報を聞き飛び出す

 

春分の日の今日は、全国的に低気圧の発達により荒天となる予報で長野に再び積雪の予報。ただ、どの程度の荒れ方なのか検討がつかないのでお昼に出発。

中央道の小淵沢ICから冬タイヤ規制と出てきて一時停止してチェックを受けたので降雪は間違いない。すると段々と対向車で雪を被った車が増えてくる。この雪を被った対向車って、これから向かう先々の降雪を知らせてくれるので不謹慎かもしれないがワクワクしてしまう。フロントガラスを叩く雨の音が変わり始めると見渡す風景も白くなっていく。

まず向かったのが、茅野市の「中村の二本松」。ネットで確認した写真だともう少し見晴らしのいい場所にあったようなのだが今は新しい住宅街の中に悠然と佇んでいる。その雰囲気を表現するためいろんなアングルを試したくて、家々の前を物色するかのようにうろちょろする怪しい男になっていたが、通報されずよかった。雪は降っておらず、足元にうっすら積もっている程度。推定樹齢300年で幹回り3.9mのため、リストでは上位に入っていないが十分に立派な姿だ。その昔、「富士講」が盛んだったころ、村人が富士行者を送迎しこの松の下で酒宴をしたと、古老の言い伝えとして看板に記されていた。「富士講」を簡単に記すると、江戸時代から昭和初期にかけて庶民に広がった信仰で各地の講の代表が富士山を参詣していたようである。

見晴らしのいい場所にある老松に会いたいと思い、北安曇郡松川村の水田に佇む「川西の一本松」へ。長野道を北上し安曇野ICを降りて白馬八方尾根に向かう気持ちの良い山麓線(県道306号線)を走ると、たくさんの雪を被った車と次々とすれ違う。きっと朝から気持ちよく滑って来のだろう。笑顔で助手席の人と語らいながら運転しているのがよく見える。

段々と横殴りの雪が激しくなったあたりで「一本松」が白い風景に浮かんで見えて来た。推定樹齢200年、幹回り3.8m。幹にもうっすらと雪が積もり雰囲気がとてもいい。山麓線からは数十メートル離れているが、江戸時代には「一本松」の横を南北に古道が貫き多くの物資が行き交い、古くから親しまれた銘木だったようで地域住民が大切に保護してきたそうだ。

雪も小降りとなり日没まで撮影し、恒例の日帰り温泉は安曇野市穂高にある「松柏」。浴室はコウヤマキ湯船はヒノキで造られ雰囲気が良い。源泉70.9℃で加水して湯船は43℃。適温を保つためボイラーで加温。アルカリ性単純泉で心なしか肌がスベスベする。県民500円、県外700円。車中泊は温泉近くの「道の駅安曇野松川」

 

北安曇郡松川村の水田に佇む「川西の一本松」(撮影:Hasselblad 907X CFV II 50C + XCD4/45P)

 

2日目(3月21日)善光寺は親鸞聖人のお花松

 

期待通りの白銀の朝。昨日の夕方に撮影した北安曇郡松川村の「川西の一本松」へ。一面の雪化粧の中で静かに佇んでいる。

「松韻を聴く旅」の撮影機材は「Hasselblad 907X CFV II 50C」に単焦点レンズの「XCD4/45P」だけだ。35mmサイズで言えば標準35mm相当のレンズになる。これは関西支社勤務時代に大阪写真専門学校(現ビジュアルアーツ大阪)の夜間部に通っていた際に教訓のように染み込んだ言葉がある。「標準レンズを知らなければどんなレンズも使いこなせない」「標準レンズで望遠効果と広角効果の両方が得られる」それ以来6cm x 6cmスクエアの中判フィルムカメラ「Hasselblad 500C」に「Planar80mm」という35mmサイズで言えば標準50mm相当のレンズ1本でモノクロ写真を30年に渡って撮影してきた。出版社した写真集も「一年後の桜(2005)」「芦屋桜(2015)」「松韻を聴く(2021)」と3冊になった。この視野で世界を見ることが面白くなってしまったのだ。決して簡単ではないし、思うように撮れないことも多い。諦めた被写体もあるし、思わぬ副産物のような作品も撮れた。人間の視野に近いと言えどもその左右上下の幅は正方形で定められており、決して同じではないと思っている。 この正方形に表現することも面白くなってしまった大きな要因だ。なんとなく和歌や短歌の世界というか、日本人の気候・風土・気質にあった表現ができるように感じていた。Instagramによってこのスクエアの世界にハマってしまった人も多いと思う。

「既視の風景」と「現実の風景」の違いをここでも痛感したことを記しておく。「川西の一本松」が周辺の風景の中に溶け込むように佇む姿を収めたいのだが、そのバランスがしっくりくる配置がとても難しく、右にフラフラ、左にフラフラ、前にフラフラ、後ろにフラフラと、全方位にヨタヨタと移動しながらそのアングルを探す。誰かが見たらとても不審な要注意人物であることは間違いない。人間の記憶はとても都合よく見えていたようにできているようで、あのいい感じの木立があり、あの雰囲気のいい家があり、その要素の中に松があるといったように、一枚絵が残像つまり「既視の風景」として心に浮かぶのだが、現実の配置では全てがバラバラに見えていたものを、願望というかそんな写真を撮りたいという思考が記憶の壁に自由に貼り合わせてくれていたようで、モニターに見える「現実の風景」は決してそのように都合よく構図ができるわけではない。いつもこの記憶に翻弄されながら「松韻を聴く旅」ならではの松樹の写真を追い求めている。この探究の旅こそが写真家としての楽しみでもある。

国道148号線を白馬方面に向かうと大町市海ノ口に佇む「海ノ口のアカマツ」。立て看板には「天然記念物赤松樹」との名がついている。「塩の道」と言われる千国街道の海ノ口宿があった場所で、この1本だけが残ったようだ。推定樹齢300年以上、幹回り4.1m、樹高20mはありそうで丘に立つのでさらに大きく感じる。丘にも登り松の背後からも眺めたが、やはり国道148号線から見上げるオーソドックスな眺めがこの松樹の魅力を一番よく伝えることができそうであった。それにしても大糸線の向こう側に広がる木崎湖周辺の雪化粧をした風景が美しい。すぐ近くに見える小熊山のなだらかな斜面に赤松が点在しているのもよくわかる。しばし眺めていたが緑の季節にはパラグライダーを楽しむ場所らしい。納得である。

ここまで来たら「善光寺」と考え県道31号線を走っていると、小川村の丘の上に社があり大きくはないのだが、雪をたっぷり積もらせた松が随分と存在感がありたまらず寄り道。この寄り道であるが、成果があるかどうかというのはあくまでも結果であって、この寄り道こそが人生だと思ったりするのだ。何が良いのか悪いのか行動せずに思考だけで語るのは、訳知り顔の評論家のようなもので当事者ではなくその言葉に説得力はない。人として何かを語る際、裏付けのない言葉がもっともらしく並んでも力がなく魅力がないと思うのだ。もっと言えば、人生を豊かにするのは力のある言葉をどれだけ持ち得ているのか、ということでもあるように思う。

「善光寺」の本堂の背後にある駐車場に車を停めて境内に入っていくと本堂周辺で目につく樹木は松、松、松。一人テンションが上がってしまい、全体を俯瞰する前に焦点も定まらぬまま撮影を始めてしまった。由緒ある善光寺の赤松たちがマツクイムシ被害を受けることなく美しい佇まいを維持することを心から願いつつ眺めた。

少し気持ちを落ち着かせ、2年ほど前に盗難の被害にあった本堂にある「びんずる尊者」にお会いして腰のあたりを何度も擦った。300年も人々の痛みを受け入れツルツルになって座り続けるその姿には感銘を受ける。その「びんずる尊者」の横に大きな松の若木が供えられている。この松を確かめるのが目的でもあった。これが「親鸞松」または「親鸞聖人のお花松」と呼ばれているもので、親鸞聖人が旅の途中で善光寺に参詣された際、善光寺如来の御前に松の枝を供えられた故事にちなんで年間を通して供えられているものだ。松らしい古事に出会い感激である。

恥ずかしながら、今回の旅に出るまでは知らず「善光寺」なら松もあるだろうと思って、「善光寺 松」とキーワード検索をしてこのことを始めて知ったのであった。今回は静かに眺めることにとどめ、いつか「親鸞聖人のお花松」の撮影許可をいただけるように精進したいと思う。きっと良い巡り合わせが来ると信じて。その思いを刻むために本堂の斜め前で松の枝をもつ親鸞聖人の銅像を時間をかけて撮影した。大晦日には本堂に正月の松飾りをして「お松立て」が行われる。高さ3メートルもある松飾りは上から7回、5回、3回と縄で巻きつける「七五三巻き」と呼ばれる縁起のよい巻き方で飾られている。これは是非とも撮影したい。

長野道の安曇野ICを降りて安曇野市豊科から松本市に向けて国道143号線を行くと両側の斜面の赤松林がマツクイムシ被害で壊滅状態で呆然とした。酷いところは崖崩れまで起こしている。これまで書いてきた通り長野県内ではどこを向いても健全で美しい赤松林しか見ていなかったのでこのギャップに驚嘆である。明日の取材で長野県の状況をお聞きできるので確認したい。

松本市の善光寺街道の会田宿の近くにある「岩井堂のアカマツ」に会いに来たのだがその姿を確認することができなかった。直前に付近で崩壊状態の赤松林を見てきたのでマツクイムシ被害を受けたのかもしれない。そのためかドッと疲れを感じて珍しく体が急に重たく感じたので明日に供えて木曽方面に向かうことにした。真っ暗になってから中山道の宿場街を通過したので、明日以降で時間を見つけて宿場街の松を探索する。

恒例の日帰り温泉は「代山温泉せせらぎの四季」。泉質は含二酸化炭素-ナトリウム・カルシウム-塩化物・炭酸水素塩冷鉱泉で、湧き出す時は透明で空気に触れて赤褐色になっているようだ。源泉温度は低いのでボイラーで温度調節。施設は新しく内湯も外湯も温泉の色も合わさって雰囲気はとても良く、疲れ果てた体を癒すには最高の温泉。宿場街ごとに道の駅があり車中泊は「道の駅木曽福島」

 

善光寺の本堂と松(撮影:Hasselblad 907X CFV II 50C + XCD4/45P)

 

(信州の老松たち(4)長野の赤松の実情を多様な視点で知るへ続く)