松韻を聴く旅 冬の丹後・若狭・湖西をゆく(3)懐かしい景観が守られている湖西
5日目(1月27日)琵琶湖の白砂青松
今日は琵琶湖の白砂青松の2カ所を訪ねる。
午前中は湖西線の近江舞子駅に近い「雄松崎」。この周辺を管理する「南小松入会地管理会」会長の小村廣光さん(71歳)に10時にお会いする約束。その前に2時間ほど撮影。波穏やかな湖畔に松が佇む白砂青松が湖西には点在する。
「雄松崎」の地名は、雄松と言われる黒松が多く育成していたこの周辺の地名が雄松となりその岬という意味から名付けられた。古来より風光明媚な場所として名を馳せており、昭和25年に琵琶湖国定公園に指定された際に「琵琶湖八景」の一つ「雄松崎の白汀」として選定されたと小村さんの資料にある。
永年にわたって比良山系からの花崗岩が流出し浜が広がり、この地に住む祖先が防風のため松を植えるなど、居住地を共同で守りながら周辺の自然資源を地域財産として管理してきたこの地域特有の歩みがあった。
居住周辺の土地は、明治19年から昭和9年に居住していた住民によって「共有土地入会権」が登記され所有権は南小松住民の共有とし、この土地の運用によって得た利益は南小松住民の公共に供するものとし総会の協議により決するものとするため「南小松入会地管理会」規約を作成している。
「雄松崎」周辺は、1933(昭和8)年に名勝地として文化財に指定されたことを契機に行政とは別に「保勝会」を設立して、地域住民のボランティアで永続維持管理をしたが、1955(昭和30)年の町村合併促進法で南小松財産区法の土地となり町長の管理下となったため、自治法に基づいて「財産管理会」を設置することとなった。
1990(平成2)年、志賀町財産区条例が廃止となり志賀町より南小松住民への所有権が無償譲渡され、3年後に「南小松財産区規約」を制定したが、2002(平成14)年に「南小松入会地管理会」に「財産区」を合併させた。
現在も地域の土地や自然を共有管理しており、住民の高齢化や減少、新たな住民自治会もあり、関わる人は同一のため現代に沿う仕組みで運用されている。
例えば、自治会が「雄松崎」にある「近江舞子水浴場」の駐車場を管理し売上を「南小松入会地管理会」に上納している。ただ、「南小松入会地管理会」規約はあくまでも住民による規則であり自治体の制度や条例ではないため、水泳場を利用する観光客に対してルールを定めて規制することができず、お願いレベルにとどまることが難点であるという。
小村さんは、志賀町役場、合併後の大津市役所、そして滋賀県と自治体職員を務め上げ、退職後は地域のためにと自治会長を務めた後、現在は「南小松入会地管理会」の会長を務め、先祖代々受け継がれてきた規律を資料や伝聞などから整理し今後の継承のあり方を模索されている。
先祖伝来である土地を規約によって維持管理し、居住、生業、観光、このバランスによって、「雄松崎」がある南小松周辺の景観が守られ、松林にも人の手が入り明るく清潔な状態が保たれていることがわかった。
このことに関しては、現在まで継続されてきた共同管理の要因を探り土地所有形態と管理体制の変遷を明らかにすることを目的とした論文「地域組織による入会地管理の歴史的変遷ー滋賀県大津市南小松の観光開発と景勝保全を実例としてー」がある。小村さんも資料提供をした。
結論として、公益的な利益配分を前提とした財産保全の組織が存在することが、共同精神で持続的な運営管理を可能にしたとし、今後については地域の知的資源を流動増進させるため、専門家や外部機関との積極的な連携を指摘している。
午後は高島市マキノ町にある「知内浜オートキャンプ場」で、支配人の上川昭夫さん(72歳)と「広域たかしま知内(知内区農地・みずべ環境保全向上協議会)」の鳥居庄市さん(75歳)とお会いする約束。鳥居さんが多数の資料と今日のための資料を作成し丁寧に説明してくださった。
琵琶湖の北西に位置する高島市マキノ町知内は、琵琶湖に注ぐ百瀬川と知内川による扇状地にあり、古くから水害などの被害から地域を守る仕組みが確立し、自然共生の暮らしを続け現在も地域自治の連帯感が根付いている。
明治末期に防風林と魚付林として湖岸に松を植林。1963(昭和38)年ごろに知内浜キャンプ場を住民主体の「知内区」で設置。1992(平成4)年に知内浜オートキャンプ場としてリニュアルし松林を管理してきた。台風などの際には自主的に区役員が夜を徹して見回りをして、被害があった場合は区民が協力して補修を行っている。
高度経済成長の差し掛かり時期にキャンプ場ができた背景は、家庭の燃料のための松葉かきをしなくなったため、常に松林の地面が露出した状態を作り、明るく清潔なテントサイトのキャンプ場を作ることで健全な松林の環境を維持するという、ボランティアで清掃するのではなく松林を経営していくという知恵だったのではないかと推察する。
また「知内区」には約260年前から歴代の区長が書き続けた古文「むらの日記」が「帳蔵」に保管されており、有識者によって解読された内容を月一回の「知内の記録を読む会」を開催。区民が地域の歴史を学ぶことで郷土愛を育む機会を提供している。
キャンプ場があるマキノサニービーチは1987(昭和62)年に「白砂青松百選」指定、2006(平成18)年に「全国快水浴場百選」指定、2005(平成17)年には知内川が「全国水の郷百選」指定、2015(平成27)年には日本遺産(海津、西浜、知内)の重要文化的景観に選定。
2008(平成20)年から始めた、琵琶湖からニゴロブナが産卵のため排水路を遡上して水田に侵入できるように魚道を整備した「魚のゆりかご水田米」の取り組みも、当初は0.5haだったものが現在では約20haに拡大している。
そして2019年には、これまでの取り組みが総合的に評価され「広域たかしま知内(知内区農地・みずべ環境保全向上協議会)」が農林水産大臣賞を受賞した。
このように「知内区」での暮らしや営みと景観維持が連動して現在も優れた成果を挙げており、区民による主体的な暮らし方が、松林を含む自然生態系のバランスを維持管理できている。
しかし高齢化や近郊への通勤などライフスタイルの変化に伴い、「知内区」の運営に関与する人材や農業に従事する人材の確保は他地域と同様に喫緊の課題である。
湖西周辺は、今森光彦さんのフィールド「里山」があり、「雄松崎」や「知内区」の白砂青松をはじめとする景観が維持されているのは、自然と共生する住民の知恵が受け継がれているからだと、今日の2カ所で教えられた。学生時代にこの周辺が好きでバイクで何度となく走った理由がようやく理解できた気がする。
なお「雄松崎」周辺には積雪はなく「知内区」周辺は一面が雪で覆われていた。最寄駅で言えば湖西線の近江舞子駅とマキノ駅で、距離はわずか30kmほどの同じ湖西地区だが、見えない気候のラインが横たわっていた。
琵琶湖の夕暮れを眺め、日没まで雪化粧の知内区の松林を撮影し、恒例の日帰り温泉は「マキノ高原温泉さらさ」へ。ここはファミリースキー場に隣接しており、週末とあって家族連れや若者が多数入浴。泉質はアルカリ性単純温泉。今日は一時的に雨が激しく降る中、雪が積もった松林などをかなり歩きへとへとだったが芯から温めてもらった。
湖西の松(撮影:Hasselblad 907X CFV II 50C + XCD4/45P)
6日目(1月28日)最終日は番外編 国の天然記念物の松
昨夜は「道の駅マキノ追坂峠」が改装中だったため、一気に南下して琵琶湖大橋のたもとにある「道の駅びわ湖大橋米プラザ」まで進んでおいた。このため今日は帰路に、国の天然記念物に指定されている2カ所を撮影することが可能となった。
まずは琵琶湖大橋を渡り、ほぼ東へ一直線に走り滋賀県湖南市にある「平松のウツクシマツ自生地」へ。旧東海道の宿場街から少し山裾に入った旧道沿いにあり、その名も「美松山」の南東斜面一帯に多数のウツクシマツが自生し、江戸時代から名所として知られ歌川広重「東海道五十三次水口平松山美松」にも描かれている。
ちなみに広重の「東海道五十三次」には年齢とともに制作された様々なバージョンがある。30代で制作し一気に広重の名を知らしめた「保永堂版」。50代になって円熟を迎え新たな画業を拓いた記念碑的な「隷書版」などだ。ここ「美松山」が描かれたのは「隷書版」で、その中でも完成度が高く水彩画を思わせ優美で情緒的。斜面に佇むウツクシマツたちがその効果をさらに引き出している。
1921(大正10)年に他に類のない自生地として国の天然記念物に指定。1970年代以降にマツクイムシ被害によって80%が枯死する事態となり、採取した種を育成するなど保全活動が積極的に行われている。
これまで「美松山」のウツクシマツは、特殊な土質の影響が考えられていたが、滋賀県立森林センター大田明氏により劣勢遺伝子みよる影響であることが明らかになっている。なお、天然記念物に指定されているのは、松でもなく、景観でもなく、自生地という場所そのものである。
今日は曇りの天気予報だったが、撮影している時間帯だけ青空が広がり光の強弱を待って撮影を試みた。「美松山」の斜面全体を見渡して感じたことは、同じ遺伝子を持つ家族親族が利害を共有しながら仲良く暮らす場所であった。2021年にシンボルツリーの1代目がマツクイムシにより枯死、現在は2代目が若木たちを従えて佇んでいる。
続いて、国道1号線から新名神に入り東名高速を経て、以前から行く機会を考えていた愛知県豊川市にある「御油の松並木」へ。1944(昭和19)年に住民の働きかけで国の天然記念物に指定され軍需用の伐採を逃れ、旧東海道の御油宿から赤坂宿の間約600mに現存する数少ない松並木となっている。
旧道ながら交通量が多く、端から端まで道路の左右の足場から構図を探し歩き、またマツクイムシ被害によるのか樹齢を重ねた松が少なく近年の植樹による若木が多いため、ポイントを絞り込んで構図を探求し夕暮れを迎える。
この撮影取材の「松韻を聴く旅」では、今日のように行き当たりばったりではあるが、どこに行ってもその場所にふさわしい天候や日差しに展開し間違いなく写真の神様がいると信じたくなる。しかし、せっかくの機会を得ているのに十分な作品として撮影できているかは別問題。この光でどう撮る?、この空模様でどう撮る?と問われて常に腕前が試されている。
どのような構図とするのか、どの場所も初めて訪れるため、少しでもあらゆる場所から己の眼で確かめることが大事なのだが、松樹の形状、背景、光線、そのほかの要素を、時間の経過によって変化する光を得ながら手応えのある場所を探し続ける。だからこそ「修行」という言葉がしっくりくる撮影旅なのだ。
ちなみに、国が指定するマツ科マツ属の天然記念物は、今日の2ヶ所の他に、東京都江戸川区にある善養寺の樹齢600年で繁茂面積日本一と言われる黒松「影向のマツ」、京都府京都市にある善峯寺の樹齢600年以上の五葉松「遊龍の松」、沖縄県久米島町に佇む樹齢250年のリュウキュウマツ「久米の五枝の松」、沖縄県伊平屋村に佇む樹齢300年のリュウキュウマツ「伊平屋島の念頭平松」、北海道様似町の「幌満ゴヨウマツ自生地」、北海道厚沢部町の「鶉川ゴヨウマツ自生北限地帯」がある。
この「松韻を聴く旅」は、一般的に松といわれる黒松と赤松を撮影取材の対象としているのだが、北海道と沖縄のマツ科マツ属にもとても魅力を感じているのでいずれ訪ねてみたい。
今回もこの旅で発生したCO2をオフセットするため、森林吸収による公式なカーボンクレジットを購入する手続きをした。使用したガソリンは168.43リットル、走行は1,485kmであった。
平松のウツクシマツ自生地に佇む2代目と若木たち(撮影:Hasselblad 907X CFV II 50C + XCD4/45P)