松韻を聴く旅 初夏の東北へ(1)太平洋側を青森へ北上
1日目5月10日 栃木の老松に再会
晴天の午後に自宅を出発。渋滞することなく圏央道から東北道にスムーズに入り矢板ICで降りて「二本木の笠松」へ。前回2月に訪れた際は暖冬で足元に少し雪が残る午前の光で撮影したので今日は夏が近い夕暮れの光を見てみようと考えた。周辺は田植えが始まっていて初夏の装い。とても爽やかな夕暮れを満喫できた。
栃木県矢板市にある山縣有朋が開いた山縣牧場だったエリアに佇む推定樹齢500年の「二本木の笠松」。立て看板を読むと、矢板市の天然記念物に指定されており、幹回り3.1m、樹高7.3mながら、東西16.3m、南北9.2mも枝を伸ばす。のどかな風景の中で斜めになった巨体を人々が用意した支え棒にゆだねながら伸び伸びと枝を広げている。足元は地元の人によって手入れされていて美しい。大正5年に山縣有朋がよんだ歌が看板に記されていた。「かえりみぬ 人こそなけれ 伊佐野原 世に珍しき 松の姿を」
恒例の日帰り温泉は、観光客と地元客に愛用されている那須高原のあかつきの湯。泉質はアルカリ性低張性高温泉で源泉掛け流し68.4℃。ぬめり感のあるお湯で一気に芯から温まった。
2日目 5月11日 推定樹齢1000年近い老松の明暗と地域の文化財
今日は那須高原から一気に松川浦を経て東松島市へ。田園風景にの佇む推定樹齢がなんと1000年の「月観(つきみ)の松」は宮城県では最大級の黒松。松では宮城県で唯一の天然記念物に指定されている。交通量がそれほど多くない道路沿いで風通しがよく、日差しもしっかり受け止められる住環境でとても樹勢が良い。まだまだ元気でいてくれそうだ。平安時代の豪商がこの地に住み月を鑑賞したという言い伝えから、この推定樹齢を出していると思われるため実際はもっと若いかもしれない。しかし推定樹齢1000年を公式に伝えているのでとてもロマンを感じる。この松を取り囲む田んぼは水を入れ始めており田植えはこれからのようなので、今日はあらゆる角度から撮影をしてロケハンとし、数日後に立ち寄ると田植えが終わっていることを期待するが、空模様はきっと今日が撮影に最適であろう。撮影の出会い頭とはそういうものだ。
登米市に向かう途中、石巻市で大きな赤松の並木が横目に走ったので向かってみると旧北上川の川畔にある石巻市桃生植立山公園だった。中には樹齢を重ねた赤松もあり、公園のため掃除が行き届き明るい松林であった。少し離れた町中に道標があり、「北上川と迫川の合流により堆積した泥砂を元和3(1617)年に北上川改修工事で掘り上げ松を植えた。さらに享保年間(1716-1736年)に砂防のため松を植え密林とした」と記されていた。
1972(昭和47)年に出版された河北地区文化財保護委員会の「ふるさとの文化財」にさらに詳しく記されていた。長くなるが抜粋すると「北上川の本流が迫川と合流して、中津山西南を通り追波に注いだ当時、両川の泥砂が堆積してここに大砂丘が出現していたという。元和3(1617)年登米館主・伊達宗直が、北上川の大改修工事を行い柳津から西方に新川を掘って迂回し迫川に合流させたとき、この砂丘を掘削し掘り上げたのがこの砂山で防砂林として松を植えたので植立山という。享保年間(1725年)中津山領主・黒沢俊栄が、さらに松を植えて密林とし、やがてこの密林が繁茂して大松林となった。北上の清流に臨み、いわゆる白砂青松の勝景の地である。」
やはり風光明媚な景観として地域で守られてきていたのである。その頃の松が残っているのか不明だが思いがけず良い出会いであった。それにしてもこのような地域の文化財を伝承する書籍は素晴らしい。後書には、「文化財とは過去と現代の人々をつなぐ、そして現代から未来の人々との間の架け橋としての、特殊な使命を帯びた遺産である」「一見つならなそいうな石碑や仏像にも、数百年にわたる人々の祈りや執念が込められているのに心してほしい。そして私たちは「古いもの」に対して、必要以上の慎重さ、謙虚さを持ってのぞみたい」とある。約150ページの非売品書籍だがpdfで全てダウンロードできる。
登米市豊里町にある笑沢自然公園からさらに山中に入り未舗装の道を行くと、指定樹齢800年とも1000年ともいわれた「笑沢の笠松」が佇んでいるという情報を登米市のHPや巨樹のHPで見ていたのだが、周辺は雑木がはびこり人を寄せ付けない状態になっていて、車のルーフキャリアに乗って探すと完全に立ち枯れて目の前に静かに佇んでいた。少しでも近くから撮影しようと思い獣道もない雑木の中を分け入ったが数メートルまで接近できたもののそれ以上はあらゆる植物が繁茂して無理。
登米市のHPには現在も「豊里町の笑沢自然公園内に笠松と呼ばれる赤松があります。笠松は周囲3.67m、樹高約10mで、樹齢は推定800年といわれています。昭和30年ころまでは、枝が四方に張り地面まで垂れ下り、再び上に向くという「笠」のような形の松であったと言われています。その後2度の台風により枝が折れてしまい、今の形になりました。」とある。枯れた理由は不明だが推定樹齢1000年近いの松の明暗を見た一日となった。
恒例の日帰り温泉は、気仙沼市にある「ほっこり湯」へ。光明石という鉱石を水に浸して溶け出す水溶性ミネラル分による人工温泉。冷え性や肩こり、腰痛、リウマチに効能がある水質へと変化するそうだ。東北のこの辺りは太平洋側に天然温泉が少ないのが残念だが、確かに天然温泉のように足裏や腰のあたりがジンジンとして良い感じではあった。
雑木林に佇む笑沢の笠松の亡骸(撮影:Hasselblad 907X CFV II 50C + XCD4/45P)
3日目 5月12日 気仙沼の津波に耐えた松がある景観
今日は5時過ぎから気仙沼周辺で撮影。大谷周辺は、御伊勢崎、岩井崎など松が存在感を発揮する景観が点在し、2021年に出版した「松韻を聴く」では何点も掲載した。久しぶりに来てみると、何もなかった海岸には切り立つような巨大防潮堤が立ち、多くの松はマツクイムシ被害で立ち枯れ、決して同じような写真を撮ることはできないが、松がある現在の風景として表現することを考えればなくてはならない場所なのである。これまではあまり気にかけていなかったが、震災から10年以上も経ちその存在に改めて考えさせられるのが、被災松「龍の松」だった。ここも津波被害にあっているのだが、残った部分いかにも龍が空を泳ぐような姿にも見えることから保存加工をして残された。以前はこういった観光資源化されて誰もがカメラを受ける松を撮影することは意識的に避けていたのだが、「日本の暮らしと松」をテーマにした現在、こういった思いが込められた松は被写体として考えるべきなのだろう。まだ納得できる撮影はできていない。再訪したい。
午前中は5年ぶりに南三陸の戸倉にある「たみこの海パック」を訪ねる。2016年に「南三陸戸倉っこかき」のASC取得から販売など、戸倉の牡蠣部会の関係者のみなさんと「海さ、ございん」という委員会を立ち上げて議論を重ねた。阿部民子さんはその中でも販売する立場から様々な意見を出していただいて助けられたことを思い出す。
恒例の日帰り温泉だが、昨年7月から開始した撮影旅では初めて宿に宿泊。大谷海岸で津波被害に遭いながらも2年後に復興した「はまなす海洋館」。温泉ではないが明るいうちに貸切状態で大谷海岸を眺めながらゆっくり浸かった。
4日目 5月13日 終日の雨
今日は5時過ぎから撮影開始。切り立つ巨大防潮堤と松と岩による風光明媚な地形の組み合わせがこの地域ならではの景観となってしまった。数十年から数百年に一度かもしれな災害に備える構造物の存在。これに対して自然の営みはこれまで通りに再生するのか。これだけの構造物のメンテナンスはどうなるのか。自然と人間が共生する景観とはどうあるべきなのか。この問題は多様な価値観により意見も分かれる。その地域の生業で暮らす人々にとって最適な状態は単なる訪問者にはわからない。あまりにイビツだと感じても地元の人が望んだ景観であれば受け入れるしかない。間違いなく歳月が答えを出してくれる。少なくとも撮影する立場から見える風景は「白砂青松」という情緒から「白壁青松」という構造になってしまったと感じている。
複雑な気持ちになる海から離れて、この季節に満開を迎えているツツジの名所である南三陸の田束山に登ってみる。この南三陸は稜線にアカマツが多い。しかしプロジェクトで撮影しているHasselbladでの標準レンズとモノクロの組み合わせではこの景観を表現するには厳しく、カラーと望遠レンズの組み合わせで気持ちを落ち着けるために撮影しておく。雨によって霧がかかり、真っ赤なツツジの色にその霧が染まっているように見える。幻想的であった。
午後から、青森に向けて三陸道を北上開始。唐桑半島の景勝地「大釜・半造」。「大釜」は浜から見ると大きな釜の中でお湯が煮えたぎっているように見えるとか、沖にある八幡岩が蓋に見えるとかが名称の由来。この周辺の海の資源が豊かで、アワビなどの貝類を採って生活し繁盛したことから、言葉がなまって「半造」となったと言われている。なんとも生活感のある独特の命名で親しみを感じる。「半造」はアカマツが豊かに織りなす景観なのだが、マツクイムシ被害により悲惨な状態になってしまっていた。
大船渡市内を抜けると「吉浜、奇跡の集落」といわれた大船渡市三陸町吉浜がある。岩手日報のHPによると、1896(明治29)年の三陸大津波で200人を超す死者が出て、歴代の村長が職住分離を徹底し高台移転と低地の開墾を進めた。1933(昭和8)年の三陸大津波では17人が犠牲となったが明治より激減。東日本大震災では行方不明者1名であった。他の地域に比べ被害が少なかったことから奇跡の集落と言われている。その吉浜の海岸にはアカマツ林があり下草は刈り取られ木々は青々として健全さを保ちマツクイムシ被害は見当たらない。集落の中心部の道路の真ん中に、大きなアカマツがロータリーの役割を果たすように佇み良い雰囲気を醸し出しているのだが、特に名前があるわけではなさそうだ。意外だが、暮らしに溶け込んだ松のある景観ほど素敵なものはない。
恒例の日帰り温泉は山田町にある「光山温泉」。太平洋側の数少ない天然温泉。単純冷鉱泉、源泉は12℃で加水、加温。湯船は小さいけど45℃と43℃の2つ。雨で冷えた体を芯から温めてもらった。
吉浜の松林(撮影:Hasselblad 907X CFV II 50C + XCD4/45P)
5日目 5月14日 朝から抜けるような青空
今日は5時過ぎから行動開始。引き続き青森を目指して三陸道を北上。一度も足を運んだことがなかった岩手県田野畑村の鵜の巣断崖へ立ち寄ってみる。駐車場から展望台へはアカマツ林を歩いていく。断崖の上はアカマツ林だ。松がある風景としてなんとか形にしたいので違う天候の時に立ち寄ってみたい。
田野畑は海は200mの断崖が続くが、内陸も深い渓谷をいくつも越えなければならない厳しい場所でまさに陸の孤島であった。その渓谷には今も多くのアカマツが自生している。思惟大橋の袂にある「たのはた物語」という石碑によると、村に赴任を命じられた役人や先生がまず出会う難所が槙木沢。ここで先へ行くか戻るかと思案をしたので「思案坂」と呼び、やっとの思いで超えて次の難所でさらに深い松前沢で気持ちが折れて職を投げ捨てたので「辞職坂」と呼ばれた。昭和40年にようやく槙木沢に「槙木沢橋」が、昭和59年になって松前沢に「思惟大橋」が架った。
「思惟大橋」とは、教育の村、思考の村を象徴し「人も心も運ぶ」という意味と深く思惟し続けていく村の願いが込められているという。それにしてもこのような逸話が昔話になったのは高度経済成長も終わろうとする時代だったのかもしれない。田野畑村には素朴な時間が流れているように風景からは感じられる。
2019年に偶然にも迷い込んで訪れHasselblad 500c+プラナー80mmでフィルム撮影し、4月にも立ち寄った洋野町有家駅と踏切。旅情をくすぐるというか無条件に好きな風景なのだ。ここは今日のようなカラッとした青空が似合う。何度でも撮影し佇んでいたい場所。駅の内陸にはアカマツの丘があり津波の避難路がある。
少し北上して青森県の階上町に入ると、何やら見覚えのある路地が目につき入っていくと、やはり2019年に撮影した場所に続く路地であった。こういうのは既視感とは違い記憶に焼きついた風景とでもいうのだろうか。時々、旅をしていてここは間違いなく一度走ったと確信を持てる建物や交差点などを見つけることがある。すると記憶が手繰り寄せられ点から線へと記憶が蘇る。そしてその時の自分の心情を切なくなるほど思い返すことになる。これも旅の醍醐味なのだろうか。続いて見晴らしの良い小舟渡海岸に立ち寄り、いよいよ宿願の「階上岳天狗の松」に向かう。
この旅は、一般財団法人日本緑化センターの皆さんの多大なるご協力のもと取材先リストを作成しつつ、Webサイト「全国巨樹探訪記」など全国の松の巨樹情報を頼りに訪ねたい老松を特定している。この巨樹巡りは今も生きる上位のアカマツはほぼ会うことができ、クロマツも半数ぐらいは会うことができている。そんな中で、アカマツでは浅虫の「馬場山のアカマツ」に次ぐ二番目の大きさである「階上岳天狗の松」にはなんとして会いたい。
しかし、4月には登頂ルートが冬季閉鎖などで断念し今回も3つのルートいずれも駄目であった。舗装路でつつじの森キャンプ場からの道が通行止め、県道11号の田代から入る道も通行止め、そして県道42号の晴山沢から入る未舗装の林道。この林道では何本もの倒木を避けてかなり接近できたのだが、あと数分というところで完全に倒木が道を塞ぎ走行不可で引き返す。幹回りが7m近くあり日本最大級のアカマツだけに元気であって欲しいし会いたい。いつになったら会えるのだろう。
日没までは時間があるので巨樹リストを調べ直し、八戸市南郷に佇む推定樹齢300年で幹回り4.1mの「黒坂のアカマツ」に向かう。マタギが残したであろう三頭木の老松で根元には山の神が祀られているとの情報を確認。江戸時代に街道松として植えられたとも伝わる。行ってみると何と1本の太い幹が根元から折れて倒れている。折れた部分はまだ白くそんなに時間は経っていないようだ。新緑が覆い始めているがその幹があったであろう場所はぽっかり空が見える状態。そして山の神の祠は倒れた幹が乗り掛かってかろうじて耐えていた。この状況も作品として表現すべく2時間近く粘って撮影する。
老松が佇む雑木林から外に出ると清々しい夕暮れ。まだ日は高いがドッと疲れを感じたので恒例の日帰り温泉に向かうことにした。八戸市の熊ノ沢温泉は久しぶりの源泉掛け流しで茶褐色で少しヌメリ感のあるナトリウム塩化・炭酸水素塩(低張性弱アルカリ性低温泉)。大きめの銭湯という感じで地元の人が通いやすい480円。疲れた体をすっかり癒してもらった。
黒坂のアカマツ(撮影:Hasselblad 907X CFV II 50C + XCD4/45P)