(初夏の東北へ(1)太平洋側を青森へ北上より続く)

 

6日目 5月15日 アカマツ林が豊かな風景

 

今日は青森から岩手に南下。五戸町でアカマツ林を背景に牧場が広がり馬たちが草を頬張っているという素敵な光景を発見。ネットで検索すると十和田市から引っ越してきたホースレジャー牧場だと思われるのだが、牧場の看板が出ておらず感染症対策なのか外部者を制限しているように見受けられる。改めて取材を検討したい。続いて岩手県に入り八幡平市石神に佇むアカマツに会う。推定樹齢300年上、幹回りは5mほどで今も健在なアカマツでは全国TOP10に入る大きさ。高台の旧街道脇の立地で根元には墓地がある。雪化粧も見てみたいロケーションであった。先へ進み、ちょうどランチタイムに小岩井農場に行けそうだと分かり、園外ショップのレストランで「小岩井牛バラ焼丼」と「小岩井低温殺菌牛乳」を堪能。

今日は13時半に森林総合研究所東北支所で中村克典さんに会う約束。東北支所は盛岡市の郊外で国道4号線沿いに立地し、広大な敷地には樹木園、実験林、苗畑などがある。中村さんはマツクイムシ被害の研究者では第一人者。全国各地で中村さんの名前を聞いていたのでお会いするのを楽しみにしていた。案の定、あらゆる質問疑問に全てわかりやすく返答してもらえた上に、松林管理で経済循環による根本的な解決策を妄想していたのだが、中村さんも同じことを考えていることがわかり感激。勇気をもらえた。しかも同学年で同世代の価値観や時代感覚も同じでとても良い波長。東北支所の敷地内にあるアカマツの周辺で中村さんを撮影。今日を機にお互い友情を深めていきましょうと握手。清々しい良い時間を過ごせた。

夕暮れも近づき、このところの睡眠不足で疲れを感じたので、恒例の日帰り温泉に向かうことにした。今日は「七時雨憩の湯」へ。「ななしぐれやま」という地名に惹かれたのだが、山間に立地する施設で雰囲気もよく、泉質は含む硫黄ナトリウム塩化物炭酸水素塩泉、源泉掛け流しだが14.2℃で加温、加水、消毒。しっかり疲れを癒してもらえた。

終日あらゆる風景にアカマツ林が見え隠れし、その印象を撮影したいと考えながら移動していたのだが、なかなか納得できるロケーションに出会えなかった。温泉から市街地に戻る途中、いよいよ日没というときにこれはと思える風景に出会う。何やら松のシルエットが丘陵地帯に点在しているように見えるのだ。星空ではないので、この時間での撮影は厳しいと考え明朝撮影を試みることにする。我ながらなんとも気まぐれな旅である。これこそ自由なのだ。

 

森林総合研究所東北支所の中村克典さん(撮影:Hasselblad 907X CFV II 50C + XCD4/45P)

 

7日目 5月16日 目まぐるしく変わる空模様

 

今朝は昨夕に見つけたアカマツが点在する風景が、大当たりであることが松を求めて微妙な移動を繰り返してわかってきた。ここ八幡平市若谷地の農業風景は、まるで今は亡き前田真三が撮影した美瑛町の丘によく似た風景に、北海道には自生しないアカマツがシンボルツリーのように佇む願ってもない場所だった。美瑛にアカマツがシンボルツリーになっている風景はないだろう。

前田真三の写真は、何より端正で緊張感がある。そして構図と配色や質感のバランスが心地よく美しい。自ずとその構図が意識の下層にあるのか、気がついたら潜在意識の中に思い浮かんでいる。それだけ風景を撮影する者への圧倒的な影響力がある。2021年にお孫さんの前田景さんが編集して出版された前田真三写真集「HILL TO HILL」は何度でもページをめくりたくなる。デジタルで取り込まれたのか、令和時代にふさわしい発色とセレクトされた作品で構成されているのだ。編集者である前田景さん自身も美瑛に住み丘の風景を撮影している。その視点が前田真三の心情を汲み取る力を育んでいるのだろうと思う。まさに世代を超えたハーモニーだ。前田真三自身が編んだであろう生前の作品集は昭和の香りがする少し骨太な感じがする。

これらを踏まえると、前田真三の視点はどんな時代の感覚にも受け入れられる極めて普遍性のある作品を作り出しているということがわかる。それは地域の景観を見た目の構成や配色で捉えるのではなく、地域を学び暮らしから成り立つ風景であることを理解し愛情を込めて向き合ってきたからではないだろうか。そんな作品づくりを目指したい。「HILL TO HILL」は良き教科書なのである。

雲の流れが早くドラマチックな空の下でダイナミックな光景を撮影することができた。

国道281号線を岩手町から久慈市に向けて走っていくと、ちょうどお昼時に葛巻町にある「水車蕎麦の店森のそば屋」の前を通りかかった。なんとなく佇まいが優しく、立ち寄ってみると良い雰囲気の民家を使った農家レストランで蕎麦は水車で挽いているという。メニューにある「水車そば」は、「ざる蕎麦」と「温かい蕎麦」に自家製の漬物とお野菜と少しのご飯が付いたセットで満腹。自家製の漬物が人気らしく「蕎麦屋なんですけどね」と、店を切り盛りしているお母さんは笑う。

昼過ぎに久慈市内に辿り着き、推定樹齢410年、幹回りは4.3mと全国でもトップ20の大きさの「大滝小滝大明神のアカマツ」に会う。枝ぶりがダイナミックでどう捉えるか右往左往。ダムや採石場に近くダンプの往来が激しく埃っぽい場所にひっそりと佇んでいた。この松も雪化粧でも会いたい。

気がついたら曇天で風が妙に冷たいので、これはヤマセかもと急ぎ小袖海岸に近い「つりがね洞」へ向かうと小雨が降り出し幻想的な風景。この状況を活かせる周辺の景観を把握できておらず、一気に普代村に至るがヘトヘトになったので、早めの夕食を普代村役場の前にある食堂みつよしで野菜炒め定食。充電し終え「普代海岸」で霧に包まれた岩に佇む松の景観を日没までになんとか撮影。

恒例の日帰り温泉は「国民宿舎くろさき荘」。黒崎灯台がライトアップされていたので撮影してから入浴。ここは人工温泉だが黒崎灯台を見ながら湯船に浸かれるのが良い。

 

名もなきアカマツが佇む丘(撮影:Hasselblad 907X CFV II 50C + XCD4/45P)

 

8日目 5月17日 岩手県の海沿いの村々

 

早朝から普代村の黒崎漁港に近い「ネダリ浜」に初めて訪れて撮影。海と岩と赤松の組み合わせが抜群。大気が不安定なのか、青空にちぎれ雲かと思ったら空全体が曇天となるほど雲の流れが早く、捉え方によっては抜群の撮影日和。NDフィルダーの組み合わせを試すなど様々なパターンで撮影することができ充実度は高い。4時間以上もとどまり好印象の撮影ポイントとなった。

ネダリとはアイヌ語の「ネッ・タオル」が語源と言われているようだ。意味は「流木が溜まる高岸」。手掘りのトンネルや断崖など、「ネダリ浜自然遊歩道」は、「海のアルプス」と言われているこの周辺の醍醐味を短時間で味わえる「みちのく潮風トレイル」の一部だ。

13:30に、普代村で奮闘しながら「地球のしごと大學」を主催する「株式会社アースカラー」の高浜大介くんを訪ねる。2019年に、当時は田野畑村に移住していた高浜くんに声をかけてもらって訪れたのだが、4月の撮影で久しぶりに訪ねてランチを食しながら近況を語り合った。その時に彼らしい冊子「地球のしごと図鑑」をもらったのだが、これが高浜くんがこの地域で培った脱炭素時代における現在の百姓とでもいうべき魅力的な内容だった。

今は、奥さんの菜奈子さんが代表となり地域おこし協力隊をスタッフに迎えて野外保育の「つちのこ保育園」を経営しながら、若手を雇用して農地の開墾を進めている。また、地域の失われつつある地場産業の事業継承をしながら、地域創生に関する仕事を粘り強く展開している。その中に松葉の販売もある。この周辺はマツクイムシ被害がなく薬剤散布もないことから、いわば無農薬の健全な松葉が提供できる。今回の再訪はアカマツが並ぶ稜線を背景に開墾を進める現在の百姓とも言える高浜くんのポートレイトを撮りたいと考えたのだった。こちらが生き方を考えさせられるような、良い風景の中で良い表情をもらった。

ところで先日発表された「若年女性人口(20-30代)」の減少による「消滅可能性自治体」では、岩手県の33市町村のうち80%近い26市町村が該当。このうち普代村は「若年女性人口」の減少率が78.6%と最も高く、2020年に20-30代の女性が120人だったのが、2050年には30人になると想定されている。田野畑村は70.2%。しかしながら、自然資産が極めて豊かにある地域であり、高浜くんが提示してくれたような冊子が理解されるような価値観への変化や、円安によるインバウンドの活性化などの影響を受け、6次化産業や観光産業で魅力ある仕事が創発されるなどして、持続可能な地域になる見込みは勝手ながら十分にあると感じている。

午後は、「みちのく潮風トレイル」の一部である田野畑村の机浜番屋群から北山浜に向かうコースで100mほどの断崖に登った。登り切ると尾根伝いに細い道を歩くのだが、尾根だからアカマツ林を抜けるように歩き崖下には海が見える。このような海沿いの断崖だけでなく内陸部には用材林としてのアカマツ林が無数にあり、そのいずれもが全くと言って良いほどマツクイムシ被害を目視することがない。とても美しく健全なアカマツと広葉樹などによるモザイク状の景観が広がっている。

何より岩手県の県木は「ナンブアカマツ」。岩手県のHPから抜粋すると、「ナンブアカマツは県内いたるところに生息している本県産の代表的樹種。特に古生層の丘陵地帯に多く早く成長。油脂分が多いため磨けば磨くほど優雅な光沢を出し純和風高級材として質量ともに日本一」なのだ。岩手県の民有地の樹種はスギとアカマツが共に19%を占めている。特に久慈市は民有地の30%はアカマツでマツクイムシ被害を受けていないという。この地域はまさにアカマツの宝庫。その中で多くのアカマツの巨樹が静かに佇んでいるのだ。

夕食は田野畑村の北川食堂で焼き魚定食(サバ)を食べて、恒例の日帰り温泉はちょっと内陸にある岩泉町の龍泉洞温泉へ。人工温泉ではあるがジンジンと足裏や背中から温まり癒してもらった。

 

普代村で現在の百姓を目指す高浜大介くん(撮影:Hasselblad 907X CFV II 50C + XCD4/45P)

 

9日目 5月18日 広い河原で休息

 

今日はこれまでの疲れを取りたくて午前中は岩泉町の小本川の広い河原で休息。夏の日差しだが風は5月の爽やかな風が車内を抜けていく。

午後から動き始めると道路表示に印象深い写真入りで「三王岩」とあり、恥ずかしながら田老は何度も足を運んでいたのにここは知らず向かった。確かに岩の存在感が圧倒的。その景観を良きものにしているのは松の存在が欠かせない名所でもある。この出会い頭のトキメキのままに撮影に没頭する。この「三王岩」は、三陸海岸の奇岩景観の中で最も圧巻とされている。1億年と言われる地層を1万年をかけて寄せてくる波や風によって形作られたという。まさに地球時間の営みなのだ。高さ37mの男岩を中心に、左に21mの女岩、右に13mの太鼓岩がある。男岩の頭には良い形のアカマツがそびえ立ち、まるで男性の岩像のように見えてくる。地球の顔をダンディなポートレイトとしても収めてみた。

その勢いで宮古市の「浄土ヶ浜」に向かうと夕陽がギリギリ差し込む時間。真っ暗になるまで撮影に没頭。岩と松の名所としてのアングルを探る。まるで夏の夕暮れのような気温で気持ちが良い。

これらの三陸海岸に点在する一般的には「岩の名所」だが、この撮影プロジェクトでは「松の名所」でもあり、そのいずれもが「みちのく潮風トレイル」のコースでもある。「つりがね洞」「普代海岸」「ネダリ浜」「北山崎」「鵜の巣断崖」「三王岩」「浄土ヶ浜」も松の名所なのだ。

恒例の日帰り温泉は「リバーパークにいさと湯ったり館」へ。天然鉱石風呂で効能はあるようだ。半日の撮影だったが「みちのく潮風トレイル」の階段の登り降りでかなり汗をかいて疲れたのでしっかり癒してもらった。

 

三王岩は松の名所(撮影:Hasselblad 907X CFV II 50C + XCD4/45P)

 

10日目 5月19日 根浜の松林で語り合う

 

釜石市鵜住居町の根浜には規模は大きくないが、忘れ難い佇まいの松林がある。松林と砂浜の連続性はないが堤防から見下ろす砂浜は白い。岩手県全体は自然植生や植林によるアカマツが圧倒的に多いのだがここはクロマツだ。90年ほど前に地域の暮らしを守るために植林されたクロマツが津波に耐え佇んでいる。その松林と道路を挟んで建つ「宝来館」。道路には松林の木陰ができて懐かしい日本の海辺の憩いの風景といえる雰囲気を醸し出している。

この「宝来館」女将の岩崎昭子さんと「一般社団法人根浜マインド」事務局の廣田一樹さんにお会いする。「宝来館」は2階まで津波に襲われ、岩崎さんは津波に呑まれながら生き抜いた方。語り部として多くの取材を受け今も検索すると様々な言葉を知ることができる。ある取材では、被災から10年は支援者に支えられ自分たちの思いを伝えてきたフェーズ。「女将のお話の時間」と言って宿泊客に語り部として語ってきたが報告義務という意識だったという。10年という節目を迎えてようやく3月12日を迎えたとして、これからは自分の経験を語るのではなく多くの人の話を聞く側になりたいと話している。今回は目の前の松林への思いをお聞きしたいために取材をお願いした。岩崎さんと一緒に松林を歩くと「山の草が生えてくるのでそれだけは抜く」と言って草抜きが始まる。自然に運ばれた砂だけではないからか、津波後は海岸植生以外の植物も混入してきたという。1.3kmほどあった根浜海岸の砂浜は半分が津波で削り取られ自生していた多くの海浜植物が消えてしまった。岩崎さんが大切にしていたハマナスも倒れていてダメかと思ったら、あの華やかな花を咲かせてくれて勇気づけられたという。今は「根浜ハマナスプロジェクト実行委員会」を立ち上げて多くの支援者と種まきや苗木を植え被災前に思を馳せる。わずかとはいえ、松林と海浜植物が残ったのは岩手県でこの根浜だけだったとも言われているのだ。白い砂浜、クロマツ林、そして海浜植物。防潮堤は被災前の5.6mで再建し、ふるさとの原風景の復元を目指している。

宝来館の周辺の松林は、懐かしい日本の原風景のように感じると岩崎さんに話すと、「この松林は多世代の多くの人の手が入っているので懐かしい風が吹いている」といったニュアンスの印象深い言葉が返ってきた。津波で流されてきた多くのゴミや残骸を多くのボランティアと共に除去してきた。そして地元の子ども達と清掃活動を行なっている。今日も堤防をジョギングをする人、松林のベンチに座り本を読む人。それぞれの過ごし方がある。コンパクトで樹間が広く明るい松林だからか人に優しい空間にも見えてくる。防砂林や防風林の機能だけを維持するのではなくて人が憩える場所としての機能が何より大事だと岩崎さん。そして「宝来館」の建物は松林と一体でありたくて、建物が松林より主張するような存在ではないようにしたいともいう。自然との一体感。この基本的な考えがあるからこその佇まいなのだ。津波を乗り越えて多くの人の思いに支えられたからこそ、多くの人を迎え入れるために被災前の良質で優しく懐かしい原風景を整えているのだ。宝来館の玄関で挨拶した際に話されていた、「津波の直後は目の前にある海を怖いと思ったけど玄関のガラスに映る海は怖くなかった」という言葉の意味がようやく理解できた。松林の中で岩崎さんと話しながら撮影していて、道路に面した宝来館の横長ガラスに映る松林と水平線がまるで屏風絵のように見えた。この取材は土地の人が見ている風景を写真として捉えるための行為でもある。今日も取材前後で松林の見え方が全く変わったのはいうまでもない。撮影取材「松韻を聴く旅」がますます面白くなってきた。人の数だけ物語はあるのだ。

英国人のロビン・ジェンキンス氏との出会いから「地域住民主体の英国式ボートレスキューの仕組みづくり」を実施すべく「一般社団法人根浜マインド」は設立され、「海を守って、遊んで、暮らす。持続可能な海辺の地域暮らし」を築くことを目標としている。宝来館のフロント業務を本業としながら根浜マインドの事務局を担う廣田一樹さんは、母方の祖父母が山田町にお住まいで幼少の頃から根浜に遊びにきていたことが原体験となり、震災後に居ても立ってもいられなくなり千葉から親族が住む釜石に移住して「宝来館」で働くようになった。移住というよりはまるで故郷へ里帰りしたように話す。廣田さんから見て地元の魅力が十分に発信できていないと感じたという。幼少の頃から通っていた廣田さんの感じたことが大切だと気づき、役割を見出し根浜が再び魅力を発信できるようにと行動している。今はマリンスポーツからボートレスキュー活動を共有するなど活動を行なっている。

釜石市に来ていて連絡しないわけにいかない大切な友人である久保竜太くんがいる(久保くんのインタビュー記事「前編」「後編」)。久保くんは震災を機に意識的に離れていた故郷の釜石に戻った。被災直後の浸水域で親族を探し出し救出するなど、ギリギリの体験をしたことで一気に意識が変わり故郷釜石の復興に身を投じる。その中で、観光から釜石を考えることとなり、「株式会社かまいしDMC」の設立に関わってSDGs視点でもある「サステナブル・ツーリズム」に着手し、国際基準や同様に注目して活動する他自治体の人脈を構築していった。持続可能な観光の国際基準であるグローバル・サステナブル・ツーリズム協議会(The Global Sustainable Tourism Council (GSTC))の導入を推進し、国際認証機関「Green Destinations」認証プログラムへの釜石市の参画を進め業務全般を担当していた。その頃に久保くんに出会い、観光庁の「持続可能な観光ガイドライン」などの事業に関わらせてもらったがしばらくご無沙汰をしていた。早速近況を聞くと、今も拠点は釜石だが「株式会社かまいしDMC」を卒業し、一般社団法人サステナビリティ・コーディネーター協会(Japan Sustainability Coordinator Association(JaSCA))業務執行理事となって、多くの自治体のコンサルティングなどを出がけているという。現在の円安に伴うインバウンドの活性化、オーバーツリズム問題、まさに自治体のトレンドに対応していた。久保くんは1983年生まれと20年も歳が離れているのだが、以前から年齢の割には落ち着いた雰囲気で、まるで同世代と語らっているような気持ちにさせてくれる反面、年齢に相応しい風貌で慕ってくれる姿勢が嬉しかったのだが、一皮も二皮もむけてますますその魅力に磨きをかけていた。根浜のベンチに座り、とてもいい空気感で2時間も互いの近況や思いを語り合い多くの接点を見出した。同志との言葉を積み重ねていくだけでなく、気候穏やかな夕暮れに潮騒と松韻を聴きながらというとっても幸せな時間を過ごした。これを豊かで幸せな時間というのだろう。久保くんから、思想家としての言葉をもっと聞きたいと言われたことが、この旅を続ける勇気となった。まさに大切な友人である。

明日は宮城県を一気に南下し明後日の朝は福島で取材があるので、恒例の日帰り温泉は、4月にも訪れた陸前高田市の黒崎仙峡温泉へ。泉質はナトリウム、カルシウム塩化物泉で源泉23℃。やはり天然温泉は体への浸透具合が違うように感じる。有り難い。

 

懐かしい風が吹く根浜の松林(撮影:Hasselblad 907X CFV II 50C + XCD4/45P)

 

(初夏の東北へ(3)茨城県の大砂丘に至るへ続く)