松韻を聴く旅 山陰・山陽へ再び(1)
11月19日 1日目 鳥取砂丘へ直行
晩秋の季節をどこで過ごすか悩んだが、まだ納得できていない鳥取砂丘に向かう。鳥取砂丘らしいイメージといえば丘陵地形と風紋に上空を漂うちぎれ雲。しかしこの写真取材の旅の主役は松。鳥取砂丘らしい松の風景とは?撮れそうで撮れない課題となっている。朝6時に自宅を出て、新東名、新名神、中国道、鳥取道を休み休み向かって鳥取砂丘に着いたのは15時半を過ぎていた。自宅から673kmだった。
今年の2月と10月の2回撮影に来て、浮かび上がってきた松がある砂丘風景は2カ所。この松を使って鳥取砂丘だと一目瞭然の作品を撮ることが課題である。ふと見上げると虹が架かっている。ポイントとなる松と絡めてセッティング。カラーでは良い感じであるがモノクロで虹はよほどクッキリと見えない限り表現するのは難しい。日没を迎えたので、10月にお会いして砂丘の基礎的なことをご教示いただいた鳥取砂丘レンジャーの玉野さんを事務所に訪ねることにした。すると前回の会話が砂丘の松について考える機会になったと改めて砂防林の変遷について調べてくださっていた。正確には「飛砂防備保安林」だが、ここでは砂防林とする。10月14日のブログ「鳥取砂丘のレンジャー」に2月の鳥取砂丘のブログも転記しているので今回のものと合わせて読んでいただけたらと思う。10月のブログ「浦富海岸と鳥取砂丘」はこちらから。
鳥取砂丘は戦後地元に払い下げられ、当時の食糧難もあり生産力をつけるため砂防林を拡大し砂の動きを止めるだけでなく草原化まで進んだ。本来ならそれが成果とも言えるのだがここは砂丘が観光資源である。これまでは農地拡大のための砂防林だったものを、観光施設を守るための砂防林へといわば機能を価値転換をさせることとなる。このため鳥取市は昭和40代に15ha、昭和50年代に17haの砂防林を伐採する。その代わりに砂丘周辺の道路や観光施設を守る位置に代替保安林を植林する。ところが伐採跡地は松葉によって地味が良くなったからか雑草が繁茂し、1991年ごろには砂丘の約42%が緑に覆われてしまった。その後、砂丘を取り戻すための草刈りを重機を投入して一気に行う。すると砂丘の昆虫など生態系を破壊する可能性が指摘され、人力へと転換することになり自治体、研究機関、企業や市民ボランティアによって現在に至る。全国各地の松による砂防林、防風林を訪ねてきたが、砂防林が観光資源に対してマイナスの存在になっているという話を聞いたのは初めてだ。もちろん砂防林の効果に頼ることに変わりはない。お気に入りの松があるのは、この伐採された砂防林のフチに当たる部分に残る松だとわかり、古い場合は1927年に植林されたものであることが特定できる。そうだとすると樹齢は約100年となる。
事実関係を伺うことで見えてくる景色が変わってくる。玉野さんには今後もご教示いただけるようお願いした。
恒例の日帰り温泉は玉野さんおすすめの街中にある「日之丸温泉」。鳥取市は市内に源泉掛け流しの銭湯がある珍しい町なのである。450円。泉質は含食塩芒硝泉(緩和低張性高温泉)。源泉は47℃で加温加水循環なし。とても熱い湯船だが慣れるとジンジンと体が芯から温まる。ありがたい温泉である。
温泉の帰り、砂丘の横の道を走っていると、突然2頭の鹿がライトに浮かび上がり急ブレーキを踏んだ。街灯のない真っ暗な道だったのだが、ハイビームにしていなかったのでかなり接近してから姿が浮かんだので驚いた。鹿も動揺したのか一頭は車の左側を駆けて行ったのだが、もう一頭が少しよろつき車の右側に当たってしまった。急ぎ外に出たが鹿の姿はなく、暗いので十分確認できないが車に凹みもなさそうである。これまで各地で、鹿、イノシシ、うさぎ、たぬき、キツネ、イタチ、ハクビシン、リスなどが車の前を横切ったり、なぜか競争になったりしたが、当たってしまったのは初めてだった。イノシシは親はさっさと横切るのだが、ウリ坊たちはチョコチョコとついて行くのでその光景は微笑ましい反面、本当にひきそうになる。今回は止まっていたとはいえ当たってしまって正直ショック。怪我がないことを祈る。
一里松(撮影:Hasselblad 907X CFV II 50C + XCD4/45P)
11月20日 2日目 鳥取砂丘の砂防林
天気予報だと、今日から2日間は青空が期待できる。夜明け前から撮影ポイントで待機。鳥取砂丘らしい松がある風景の探求であるが、それなりの樹形で背景に砂丘が広がる風景は限られていることがわかってきた。それならば空模様や光線を変えて撮り続けるしかない。飽きてしまいそうな取り組み方だが、空模様が変わるだけで絵作りも変わってくる面白さを味わっている。しかし、砂の表面も風紋が広がってくれていると有り難いのだが常に出会えるものでもなく、さらに動物だけでなく人間の足跡も防ぎようがない。今回は平日なので、足跡が少ないか運が良ければないことを願ったがしっかりと複数の足跡が残っていた。根気よく通う必要がある。ただ、今回は雨上がりだったこともあり、明暗の帯状が広がる「風成横列シート」や塊のような文様の「砂柱」などが出現しており、これに合う午前午後の光線や松を絡めたアングルを探求できたことは収穫だった。
昨日、鳥取砂丘レンジャーの玉野さんと相談して、鳥取砂丘の砂防林を管轄している人を繋いでもらうことにしたところ、11時にお会いできることになった。お会いしたのは鳥取県東部農林事務所八頭事務所農林業振興課林政担当で課長補佐の桑田智子さんと農林技師の坂本千苗(ちなり)さんだ。事務所は八頭郡にある。鳥取県の農林政は流域単位で管轄を分けており東部の管轄は千代川流域。つまり上流部の林業地などから河口部に広がる鳥取砂丘の砂防林までが管轄になる。鳥取砂丘の砂防林の概況はレンジャーの玉野さんからお聞きしているが、実際に管轄する林政からの視点での話をお聞きしたいと考えていた。
坂本さんの資料によると、昭和34年に植栽した松林がマツクイムシ被害で衰退して、観光施設周辺の道路や駐車場を年間2,000㎡の砂が覆うようになり、地元の声を受けて松林の再整備を令和元(2019)年から令和3(2021)年にかけて植栽を行った。とても直近の話なのである。工期も観光客の少ない冬季とし、さらに日中を避けて夜間に実施するなど配慮がなされた。植栽は抵抗性松と肥料木の秋グミ。昭和の頃は肥料木に各地で対策が必要となってしまったニセアカシアなどを植えていた。またマツクイムシ被害の影響から樹種転換をはかるため、ヤブツバキ、トベラ、エノキなど海岸に元々自生している植物を試験的に植樹しているそうだ。この樹種転換はマツクイムシ被害が全国でも有数の庄内地方でも検討がなされている。砂浜側の最前線はクロマツに頼るが、クロマツに守られた内陸側の海岸林は樹種転換を検討しても大丈夫だろうという考えだ。松苗を守る静砂垣、静砂垣を守る前線となる堆砂垣を整備し、堆砂処理を徹底して行うことによって苗を守り順調な育成状況にある。これらの松の育成や景観構築に関しては、「鳥取砂丘未来会議」のメンバー意見を尊重している。例えば肥料木の秋グミが松苗よりも育成状況が良ければ一部伐採するなど調整行うといった細かい部分まで徹底している。気になっていた静砂垣と堆砂垣の違いも明確になった。基本的には形状はともかく役割の違いによって呼び方を分けているということだ。
お二人から話を伺って個人的な想像をした。例えば10年後、松が成長し静砂垣と堆砂垣も必要がなくなっているのではないだろうか。そうすると、ビジターセンター横の階段を登っていくと、松葉かきなど清掃され裸足でも歩けるような砂地の上に松林が広がり、その林間に馬の背を始めとした砂丘のパノラマが広がることになる。誰もが松林を抜けて砂丘を歩いていくのだ。日本在住者はもちろん、海外からの観光客にも好評でインスタ映えするスケールの大きな白砂青松が実現していることを祈りたい。
今日は事務所でお会いしたので、明朝、現場で坂本さんの撮影をさせていただくことになった。ご理解とご協力に感謝である。大変に有り難い。午後は砂丘に戻り日没まで探求を続けた。
今日の日帰り温泉は、街中の温泉銭湯「宝温泉」。泉質はナトリウム硫酸塩・塩化物泉で源泉は29.3℃を加温循環。昨日とは違い少し温めの湯船であった。
砂柱と松原(撮影:Hasselblad 907X CFV II 50C + XCD4/45P)
11月21日 3日目 鳥取砂丘に財産区
今朝も夜明け前から待機。昨日と同様に鳥取砂丘らしい松がある風景の探求を続ける。8時半に「鳥取砂丘ビジターセンター」で農林技師の坂本さんと待ち合わせ。撮影は令和に入って植林したエリア。坂本さんたちが美しい景観の松林を育て上げ、誰もが砂丘へ抜けていく。そんなことを想像しながら撮影させてもらった。坂本さんは身近にあった製材所で遊んだ幼少の体験から林業に関心を持ち、大学では環境学を学び地元で林政に携わりたくて県庁に入り2年目となる。松を通して次世代と未来を共有できることは幸せである。
10時半からは坂本さんに繋いでもらった「濱坂財産管理委員会」で委員長の田中俊彦さんとお会いする。地元に貢献するためUターンしてから定年を迎え現在67歳。精密機器の設計をされるからかお話も資料もとても細やかで充実しているのだ。鳥取砂丘の濱坂地区は濱坂神社の敷地や濱坂財産管理組合の敷地を相当な面積を含むという。鳥取城から一里の地点にある「一里松」もこの財産区に佇んでいるのだ。また周辺の多くの観光施設も財産区内にあるため地主として様々な課題を抱えている。さらに田中さんは濱坂神社の総代表兼筆頭責任役員も担っているので、コロナなどにより数年ぶりに開催される来春の例大祭の準備にも追われている。今後の観光、特にインバウンドの活性化を考えると、景観の維持と導線の確保などこれからの砂丘風景のグランドデザインは、この濱坂財産管理委員会の役割が非常に重要であることがわかった。
さて、田中さんにお会いした本来の理由は、地域住民が美しい保安林の再生を目指す「とっとりの松原再生プロジェクト」として、クロマツと共生関係にある松露をキーワードに活動をされているお話を伺うためである。活動エリアは、これまでに松露が出ていた場所ではなく菌糸体液を散布して松露を発現させているという。これまで松露が出ていた場所を今も古老は話したがらないそうだ。これは赤松林の松茸と同じだ。努力の甲斐もあり3年前に150個の松露が取れた。しかし、翌年からはイノシシによる獣害で激減しているという。一緒に現場を見に行ったが、すでにイノシシが菌糸体液を散布したという場所の全ての地面を掘り返していた。きっと松露の匂いがするところを全て掘り返しているのではないだろうか。獣害時代の現在、松露採りはイノシシとの競争なのだ。
レンジャーの玉野さんとランチの約束をしていたので事務所へ。玉野さんのご協力で農林技師の坂本さんにお会いでき、その流れで濱坂財産管理委員会の田中さんにもお会いできた。大変に有り難い。さらに嬉しいのは玉野さんが鳥取砂丘の松林がある景観に強く興味を持っていただいたことだ。保安林としての機能は考えていたが、景観の視点から捉えることはなかったそうだ。松は社会インフラであり観光資源であることを共有できたのは大きな一歩だと感じる。良い変化につながることを期待したいし、お手伝いできることがあれば有り難い。松を介して良き友人がまた一人増えたことが嬉しい。
今日の日帰り温泉は、街中の温泉銭湯の第3弾で「木島温泉」。泉質はナトリウム硫酸塩・塩化物泉で源泉は45.5℃だが湯船は温いので加水している可能性も感じるが、湯上がりは乾きが早かった。
坂本千苗さん(撮影:Hasselblad 907X CFV II 50C + XCD4/45P)