松韻を聴く旅 山陰・山陽・四国へ(3)出雲から山口県縦走
9日目 10月19日 雨の築地松と出雲大社
車の屋根を叩きつける雨音で夜中に目が覚めたり、あまりの熱気に窓を少し開けて外のひんやりした空気を取り込んだり、結局は窓を開けたまま寝てしまって少々風邪気味で朝を迎えた。重たい雲に覆われているが雨は上がり気温は快適で24℃程度。
出雲地方特有の築地松は全国でも唯一の景観ではないかと思う。築地松とは建物の北側と西側に植えられたクロマツによる生垣のことで、出雲市の築地松景観保全対策推進協議会のサイトによると、起源は定かではないようだが「河川の洪水時に浸水を防ぐため、屋敷の土地の高さを数メートル高くしたうえ、屋敷周りに土居(築地)を築き、その土居を固めるため水に強い樹木や竹を植えたのが、築地松のはじまり」となっている。また、当初植えられていた木は松以外の木だったが、痩せた土地にも耐え、根張りも良く強風にも強い黒松が植えられるようになった。黒松が成長するにつれ、防風効果が認められ、家屋の周囲に築地松を植えることが定着していったようだ。また効用については諸説あることを前提に、季節風や水害から土地を守ったり、火事の隣家への延焼を防いだりするだでなく、枯れ枝を燃料として備蓄することや、肥料木の実を食糧の足しにすることなど循環利用も挙げている。他には家屋に風格を持たせることも触れられている。
撮影に集中していたら、遠くから強風が近づいてくる音が聞こえてきたが、それは地面を叩きつける激しい雨音でいきなり豪雨の中に立っていた。急いで車に避難してしばらく待って小雨になったので外に出ると空気が冷たい。数分前とは季節が違うのだ。気温は16℃。一気に8℃も下がっていた。今までTシャツ1枚で快適だったのが、トレーナーでも肌寒いぐらいの季節になった。これは初体験だった。
今日は15時に、今年の2月に撮影取材した出雲土建社長の石飛裕司さん(71歳)に出雲大社で再会する約束。2月にお会いした時のブログ「出雲大社の松は炭で菌根で復活」に詳細を記してある。石飛さんは建材として調湿木炭「炭八」を販売しているが、炭の知識を活かして全国各地の松林などの再生事業をボランティアで行っている。その中には静岡県「三保松原」での活動もある。今の「三保松原」の活動の起点に石飛さん達の存在があったのだ。カフェで近況を語り合ったあと一緒に出雲大社を参拝。引き続き情報交換をするお約束をして別れた。
冷たい雨が降り続くので、早めの夕食を取り恒例の日帰り温泉へ。今日は湯の川温泉「ひかわ美人の湯」。泉質はナトリウム・カルシウム硫酸塩・塩化物泉、源泉は50.2℃で41℃で使用で一部が掛け流し。普通の日帰り温泉施設だが、小雨に頭を打たれながらの露天は広くて快適。風邪を抑え込んでくれることを期待してゆっくり浸かってきた。現在の気温は14℃。服装が難しい。
出雲大社拝殿(撮影:Hasselblad 907X CFV II 50C + XCD4/45P)
10日目 10月20日 萩市の松下村塾に至る
夜明け前から出雲大社の拝殿前で撮影。日曜だけど無人で厳かなる時間。すでに納得の撮影ができているのだが、写真を撮る者にとってはシャッターを切るという行為が祈りのようにも思えて儀式のように夜明け前から立っていた。次に出雲日御碕灯台へ。10m前後の強烈な海風が吹き付けており観光客の姿はない。三脚を立てセットしていた時に細かい雨が降り出したと思っていたら、はるか足元の岩に砕けて飛び散った波が空から降ってきている状態だと徐々に理解。灯台に近い売店のおじさんによると「こんな日は家の中が潮でベトベトになるので、まるで海の中で生活しているようなものだ」そうです。とにかく撮影を終えて車に戻ると異常な睡魔に襲われ眠ってしまい気がついたらお昼近く。風邪をひきかけている感じだったので体が休みたかったのだろう。
気力も充実し萩市に向けてスタート。一気に200km近くを移動し今年の2月に来た際に撮り逃してしまっていた「松陰神社」に到着。明治40(1907)年に吉田松陰を祀る神社として創建された。吉田松陰は、安政元年(1854) 3月に伊豆下田でアメリカ軍艦による海外渡航に失敗して江戸の牢に入れられ萩に戻される。翌年の安政2(1855)年12月に釈放され、父親預かりとなり実家で謹慎生活を送りながら家族などを相手に獄内に『孟子』の講義をはじめるが、この実家こそが現在の松陰神社の境内となっている。そして、次第に近隣の若者が多数参加するようになり、庭先の小屋を改装し塾舎としたのが「松下村塾」であり、いずれも当時のまま境内に保存されているのだ。平成27(2015)年にユネスコの世界文化遺産に登録。建物の周りには樹齢を重ねたクロマツが何本も佇んでおり、まさに「松の名所」だった。日没間際まで撮影し気がついたら境内に一人。170年ほど前に日本を動かした人物たちが闊歩する姿を見ていたであろう松たち。時空を超えるとても良い時間だった。
恒例の日帰り温泉は、萩市から少し西へ移動した長門市にある湯免温泉の「大衆浴場うさぎの湯」へ。この温泉は西日本有数といわれるラジウムの含有量。泉質はアルカリ性単純温泉で源泉38℃で42℃まで加温の源泉掛け流し。料金は350円。地元の人が集う場のようで、洗い場は4人分で8人ぐらいでいっぱいになりそうな湯船。気持ち良く癒してもらえた。
松下村塾(撮影:Hasselblad 907X CFV II 50C + XCD4/45P)
11日目 10月21日 山口県縦走
萩市街地から10kmほどにある道の駅発祥の地「道の駅阿武町」の沖合い奈古湾に浮かぶ、男鹿島には鹿島神社の鳥居と社が見え、その横に浮かぶ小さな女鹿島には鳥居が見え夫婦島とも呼ばれている。いずれの島にも松が佇むのが見えており、この旅における「松の名所」の一つなのだ。今日は夜明けごろにこの夫婦島の撮影からスタート。萩市内を流れる橋本川に架かる玉江橋からは指月山を背景に老松が佇み、萩観光の起点となっている明倫館にも老松が並び、城下町を少し歩くと庭木の松や海岸林の背の高い松が土塀の向こうに見えている。今回はできるだけ萩らしい暮らしの風景に松がある場所を探し歩いた。
今年2月、引き込まれるように武家屋敷街にある萩焼のお店「波多野指月窯」に入ってみたら、登り窯の薪は松にこだわる山口県無形文化財の波多野善蔵さんと出会った。登り窯の前で善蔵さんを撮影しプリントを額装してお送りしたらとても喜んでいただいた。今日はその善蔵さんに9時にお会いできる事になった。お店に入るとご夫婦で並んで待ってくださってしてびっくり。これまで撮影したファイルを見てもらいながら1時間以上もご夫婦と語り合う至福の時間。その間にも奥様が善蔵さんの器で抹茶や温かいほうじ茶を淹れてくださって、至れり尽くせりのおもてなしをいただいた。撮影を続けるエネルギーをしっかり充電させてもらえた。本当に有り難い。
萩から南下して目指したのは美東町にある山口県内で唯一最大の街道松である「大田往還道の松」。長門から秋吉台がある長登までが瀬戸崎街道、長登から小野田に向かうのが船木街道と呼ばれていた。この「大田往還道の松」は、船木街道の街道松で昭和50年代までは「弁財天の三本松」と呼ばれていたがマツクイムシ被害により1本だけが残る。
とても存在感のある1本松なので粘ってみる事にしたが、曇天の優しい光ではモノクロ写真にすると周辺の風景に溶け込んでしまうので、松の下で遅めのランチをのんびり頬張り雲の流れを待ってみたが思うように晴れず。すぐ近くには「秋吉台」があるので念のため松を探しに行くことにした。恥ずかしながら今日の今日まで草原のような風景も含めて「カルスト台地」と呼ぶのかと思っていたら、300年ほど前から住民による生活のための草刈りや野焼きによって草原になっていたのだった。「カルスト台地」とは、石灰岩など水に溶けやすい岩石で構成された大地が侵食されてできた地形のことで必ずしも周辺が草原とは限らないが、むしろ草原だからこそ「カルスト」状態になっているのが分かりやすく眺めることができるので草原もセットと言っても良いのかもしれないということにしておこう。こういう景観に松が佇んでいると撮影にチカラが入るのだが残念ながらなかった。ドライブを楽しんでいると晴れ間が広がってきたので再び「大田往還道の松」に向かう。今度は納得のいく撮影ができたのだった。
今日の夕食は会社の仕事で仲良くなっていた山口県の民放局の渡邉敏之くんと再会する。恒例の日帰り温泉は渡邉くんのアドバイスもあり「湯野温泉芳和の湯」へ。泉質はアルカリ性単純硫黄泉で源泉は32.6℃で一部が掛け流し。しっかりと温まった。食事は旅館「芳和園」の「レストラン花水木」で語り合い。渡邉くんはFacebookで2つの大病を患い生還するまでをアップしていたので会えて感動。壮絶な闘病を渡邉くんらしく明るく笑顔で語ってくれるのだが、こうして語り合えて本当に嬉しいに尽きる。大病は他人事ではないし、仕事とはいえ全く違った地域で生まれ育った人たちと友情を交わし合える幸せを噛み締める時間になった。次回は一緒に温泉にも入ろうと約束して別れた。
萩の街並み(撮影:Hasselblad 907X CFV II 50C + XCD4/45P)
12日目 10月22日 再び山口県縦走
今朝は山口県の瀬戸内に面した光市の「虹ヶ浜」で撮影開始。今朝ようやく同じ光市にある「室積海岸」で松原保全をされている方々との時間が15時で調整できた。それまで6時間あるので一気に萩市まで戻ることにして心残りだった松のある街並みへ。土砂降りの雨となってしまったが情緒的な光景を期待した。「木戸孝允(桂小五郎)の生家」の庭には、毛利の殿様から貰い受けた盆栽のクロマツが直植えされており推定樹齢350年といわれている。木戸孝允はこの家で20歳まで生活をしていたそうなので、木戸孝允が眺めたであろう場所からクロマツを眺めた。感慨深い。家屋には当時の周辺を描いた屏風絵があり円政寺の老松が存在感を放っている。玄関から道へ出れば遠景にはその「円政寺」の老松が見えているが、屏風絵が描かれた時代にはまだ若木だっただろうから見事に世代交代を成しているといえる。この「木戸孝允(桂小五郎)の生家」「旧佐伯丹下家屋敷」「青木周弼旧宅地」そして「円政寺」に続く「江戸屋横丁」は萩らしい街並みにクロマツが存在感を発揮していている一角である。いつまでも佇んでいたい場所だ。「松の名所」がまた増えた。
この一角だけを撮影して、とんぼ返りで光市に戻り待ち合わせの場所「室積コミュニティセンター」へ。往復で約240km、時間にして3時間半ほど。「室積海岸」は「白砂青松百選」や「日本の名松百選」などに選ばれている美しい海岸。去年の夏に撮影した際に、松原全体には下草がほとんどなく松葉かきをした跡があり、地域の人たちによって松原保全が継続されていることが容易に想像できた。今日はそのメンバーである連合自治会の阿部憲次会長77歳、自治会で松原保全の中心人物である大町和昭さん80歳、原田浩さん73歳が集まってくださった。みなさん各地でお会いした松原保全の方々と同じ世代。やはり今後の継続が課題と口を揃える。マツクイムシ対策は光市の林務課や森林組合が行う。松原のメンテナンスは自治会メンバーを中心に動き、松葉や枯れ枝の収集はごみ収集日に合わせている。毎年2月は室積中学の2年生50人が植樹。6月は室積小学校の4年生がビーチと松原の清掃。11月には室積小学校の生徒がこもまきと清掃。3月にはこも外しを行なっている。阿部さんから現段階での課題を聞き、ヒントになりそうな他の地域の松原で行われている事例を伝え喜んでもらえたのが嬉しい。
この場を調整をしてくださったのは、コミュニティセンターに今年4月から着任された岩田智世さん52歳だ。岩田さんは東京で働いていたが子育てを考え故郷の室積に帰ってきたばかりだという。松原保全の後継者というより、コミュニティセンターの機能を存分に発揮し、松原保全の取り組みに一人でも多くの人が参加しやすくする仕組みを考えてくれる貴重な人材といえるだろう。このような仕組みは他の地域ではなかったように思う。新たな事例と言えるかもしれない。撮影のため松原に行き皆さんの良い笑顔をもらった。撮影していたら雨が降り出したので、みなさんを急ぎ車に乗ってもらい送り出してから、恒例のスマホの自撮り記念写真を撮り忘れてしまった事に気がついた。松原に残っていた大町さんを撮影してから2人で自撮りし、センターに戻っていた岩田さんと自撮り撮影させてもらった。
恒例の日帰り温泉は光市から一気に90分120km北東に移動し、広島県安芸太田町にある月ヶ瀬温泉へ。泉質はアルカリ性単純温泉、源泉は25.5℃で加温循環。廃業した旅館をリノベした施設で、浴室は木材を多用し造作されていたので良い気分。とても癒された。今夜は17℃、まずまず過ごしやすい気温だ。