松韻を聴く旅 山陰・山陽・四国へ(4)孔雀松、根上がり松、棟方志功が絶賛した松
13日目 10月23日 広島の小さな山間部に佇む「孔雀松」
午前中は、広島県三次市の小さな集落の高台にある照円寺に佇む「孔雀松」に会ってきた。境内の斜面に沿って何本もの枝を広げたクロマツで、その姿は孔雀が羽を広げたように見えることから名付けられている。この地に庵を建立した1662年ごろに植栽したとすれば樹齢は350年ほどになる。枝を長く伸ばす松は他にも多いが、このように何本もの枝を面的に広げた老松はどれほどあるのだろう。
撮影をしていたら、女性が建物から出てこられたので「全国の松を撮影しています」と挨拶すると、「孔雀松」のパンフレットを手渡された。地元で保全に協力している方々に制作してもらったという。女性の名前は松茂史子さん。元々は三浦姓だったが4代ほど前の住職が松茂姓に改名したという。「孔雀松」を代々守り抜くというメッセージではないかと勝手ながら推察する。
周辺の山々のアカマツはかなりマツクイムシの被害を受けているが、「孔雀松」は薬剤散布と根元への肥料と薬剤をすき込みを行っているそうだ。青々とした葉を付け健康状態はとても良さそう。毎年11月から12月に高所作業車を使って剪定を行なっているので、今はかなり葉が膨らむように付いていて全体が隆々としているので余計に健康に見えるのかもしれない。
近所の方や松の保全に協力する人たちが手を貸してくれるので寺の維持管理は助かっているそうだが、史子さんは毎日境内の手入れをお一人でされ仏事もこなされているという。「孔雀松」の守り人として撮影をさせていただきたいと伝えると、さらりとご辞退された。粘ることはやめて、いろんな光で「孔雀松」を見たいのでまた来たいと思いますと伝えて出発することにした。
この後の日程の都合から、次の目的地は330km先の淡路島の「慶野松原」となる。サービスエリアで休みをとりながら珍しく寄り道をすることなく日没後に到着できた。恒例の日帰り温泉は昨夏に何度も入った「国民宿舎慶野松原荘」。泉質はナトリウム炭酸水素塩泉、源泉27.8℃で加温循環。ここの良さは露天風呂が松林に隣接しており洗い場もあることだ。松好きにはたまらぬ魅力である。今夜は湯船に松葉が浮かんでいた。心身ともにとても癒される温泉なのである。
慶野松原の駐車場の気温はなんと22℃。生暖かく強い南西風が吹きつけ車が唸っている。
照円寺の孔雀松(撮影:Hasselblad 907X CFV II 50C + XCD4/45P)
14日目 10月24日 淡路島「慶野松原」での出会い
夜明けとともに「慶野松原」で散策撮影。去年の7月に開始したこの撮影旅の最初の撮影地だったこともあり、まずは慣れるため4日間かけて合宿のように撮影をしたので、どのあたりにどんな松が佇んでいるのかは思い起こすことができる。それでも新たに視野が広がり魅力ある松との出会いがある。「慶野松原」の歴史は古く、万葉の時代から天皇家や公家たちの狩り場として栄え、昭和3年に国の名勝に指定され文化財として行政が管理している。「万葉集」では柿本人麻呂が「飼飯(けひ)の海の 庭好くあらし 刈薦の 乱れ出づ見ゆ 海人の釣舟」と詠み、江戸時代には井原西鶴が「慶野松原は数万本の木振り、ことごとく異風にして、これ近くにあらば公家の昼寝所なるべきものを」と記している。
幅は約500m、長さは2.5km、面積は約60haあるのだが、松原の隅々まで下草がほとんどなく松葉かきした跡があり、まさに全面「白砂青松」なのだ。この1年ほどで青森から鹿児島までの相当数の松原に足を運んで撮影したがこの松原の印象は極めて強い。木村三郎は「白砂青松考ーその造園史的意義について」において、志賀重昂の「日本風景論」から引用し、白砂青松が「主として花崗系の地質構造 (特に瀬戸内海等)に結び付いた特有のものであったと云わざるを得ない。そこに志賀氏の科学的な着想の意義は高いことが判る」としている。きっと瀬戸内を航海する船から眺めることができた松原が「慶野松原」などが語源となった松原なのだろう。
農作業車の荷台に松葉を満載にして清掃している男性に声をかけ色々と教えてもらった。慶野松原は文化財に指定されているため、勝手に落ちた枝など持ち出せないため、この美しさを維持しているのは文化庁の方針に従い南あわじ市教育委員会から清掃業務の委託を受けている民間団体「慶野松原を美しくする会」。男性は地元慶野地区自治会の土居忠幸さん65歳。親の介護のため仕事を辞めて実家に戻ったのでこの作業を引き受けているそうだ。2日に1日のペースで朝7時ごろから13時ごろまで農作業車の荷台に5〜7杯分ほどの松葉や枝を回収。松葉の落ち具合を見て作業する場所を決めているが、人がよく通るところや、何か行事がある時などその通り道を優先的に作業をして全体をまんべんなく清掃している。全面清掃するのに半年ほどかかるという。それにしてもすごい勢いで松葉をかいていき、みるみるうちに松原が美しくなっていく。土居さんに作業の手を休めてもらって撮影させてもらった。
13時にこの松原の保全活動を推進している「慶野松原根上がり隊」を取りまとめているゼルニク早織さんと待ち合わせ。ゼルニクさんは慶野の出身。しばし故郷を離れていたが戻って来たら、子どもの頃に遊んだ松原がマツクイムシ被害を受けているのを見て保全活動を始めた。地元の人や市外の方を合わせて30名ほどの組織になっている。頻繁に松原に親しんでもらうためのイベントを開催しているが、まだまださまざまなことを計画中で活動を発展させようとしていた。今回お会いすることになったのは、南あわじ市と連携して2028年に慶野松原が国の名勝指定されて100年の記念を迎えるため「全国松原歳ミット」の開催することを発信されたからだ。
「慶野松原根上がり隊」のサイトによると、「慶野松原」が旧西淡町の時代に町制30周年の記念事業の一つとして昭和62(1987)年に国内10カ所の松原が集まって交流した「松原サミット」の復活を機するものである。2004年までに17回を数え参加した松原は、「風の松原」(秋田県)、「万里の松原」(山形県)、「三保松原」(静岡県)、「気比の松原」(福井県)、「天橋立」(京都府)、「慶野松原」(兵庫県)、「津田の松原」(香川県)、「入野松原」(高知県)、「虹の松原」(佐賀県)、「くにの松原」(鹿児島県)の10ヶ所である。これらの松原の関係者はもちろん、他にも多くの松原の方々を取材してきたので、1ヶ所でも多くの方が交流できる機会を作れるよう支援できたらと考えている。
ゼルニク早織さんと、松原の目の前にある「シルエラシルクロ」というバウムクーヘンのお店でお話を開始。このお店のマネージャー戸村幸輝さんとゼルニクさんは「慶野松原」の保全に向けた連携をしている。戸村さんに全国の松のある風景を撮影している話をしたら、ご出身の五島列島の小値賀島にある「姫の松原」を薦められた。行きたい松原候補が増えた。幸せなことだ。
ゼルニクさんから松原を歩きながら説明を受けていると学生たちが調査をしている。もしかしてと声をかけると、何と昨年7月にお会いした兵庫県立大学教授で兵庫県立淡路景観園芸学校校長の藤原道郎さんの生徒たちだった。藤原さんと再会を喜びあったと同時に、「慶野松原」に来る前に一度ご連絡をしようと思いながら今日に至ってしまっていたのでそのお詫びも一言。去年撮影してお送りした写真をとても気に入ってもらえていたのが何より嬉しい。
「慶野松原」で存在感があり、ゼルニクさんたちの団体名称にもなっている「根上がり松」でポートレイト撮影してから松原を進むと、ゼルニクさんが指さす先に「松露」!ここでようやく人生初!「松露」を見ることができた。全国の松原を巡ったにも関わらず縁がないというか見つけることができなかったので感謝、感謝である。少し黄色っぽい小粒な「麦松露」がそこかしこに出ているところがあり、「ここにも、あそこにも!」という声が裏返ってしまった。するとさらに少し大きめの白っぽい「米松露」もゼルニクさんが見つけてくれて興奮状態も最高潮に。兎にも角にも撮影して心を落ち着けた。思えば「虹の松原」で保全活動を取りまとめている藤田和歌子さんに教えてもらった「麦松露」と「米松露」。ようやく目にすることができた。ゼルニクさんとは引き続き情報共有する約束をして別れ、日没を迎える「慶野松原」でもう一押し撮影をして終了。
恒例の日帰り温泉は市街地にある「ゆとりっくうずしお温泉」へ。泉質はナトリウム炭酸水素塩泉で源泉は27.8℃で加温循環。地元の人で賑わう町の銭湯でとってもヌメリ感のある良い温泉。夕方の撮影で意外と体を冷やして風邪っぽくなっていたので芯までしっかり温めた。今の気温は19℃ぐらい。まずまず眠りやすそうな夜。
15日目 10月25日 香川県の「津田の松原」へ
今日も夜明けとともに「慶野松原」で散策撮影。薄曇りで光がまわり希望するイメージで撮影ができた。8時過ぎから強い日差しが差し込んできたので終了。急遽ゼルニク早織さんのご自宅に伺う。残念ながら枯れてしまい伐採された大径木の老松を家具やオブジェとして再利用しているというので見せてもらった。今後も2028年に「慶野松原」で開催する「全国松原サミット」に向けて松仲間として情報交換しようと約束して四国に渡る。
香川県の「津田の松原」には推定樹齢600年の松がある。棟方志功がその松を見た瞬間「おお兄弟ここにおったか」と絶賛した銘木だ。他にも樹齢300年以上の老松が林立している見事な松原で昨年7月と8月に訪れて以来の再訪となる。昨年は気にならなかったのだが、今回はマツクイムシ被害で真っ赤に枯れてしまった老松がとても目につく。そして何よりショックを受けたのは、棟方志功が絶賛した銘木の葉が赤く枯れていたのだ。昨年この松の根元で「津田の松原再生計画」を策定し推進してきた中心人物で88歳の鶴身正さんを撮影した。鶴身さんお気に入りの松なのだ。
この松原も「慶野松原」同様に隅々まで松葉かきしており、下草が目につく場所もあるが全体的には明るくどこでも歩ける松原で、地元の人たちの気持ちが伝わる場所だ。松原のあちらこちらに熊手が立てかけてあり看板には「わたしを5分使って下さい」と書かれている。これも鶴身さんのアイデアだ。素敵な人生の先輩なのである。日没まで撮影し恒例の日帰り温泉はさぬき市の「春日温泉」へ。泉質はラドン・メタケイ酸泉、源泉は18.5℃で加温循環。地元の方御用達の銭湯といったところ。肌がスベスベ。芯から温めてもらった。
慶野松原の農作業車(撮影:Hasselblad 907X CFV II 50C + XCD4/45P)
16日目 10月26日 「津田の松原」は”老舗の松原”
今日も夜明けとともに「津田の松原」で散策撮影。この1年で、青森から鹿児島までの松のある多くの風景を見て各地の特徴がわかるようになったが、樹齢300年や600年といわれる老松が点在するこの「津田の松原」は全国でも唯一無二の松原であり、松原の中でも”老舗的な存在”だと感じることができた。この松原の特徴を簡単に整理すると、巨樹が点在し棟方志功が樹齢600年の松を見て「おお兄弟ここにおったか」と絶賛した銘木が佇むエリアと、平山郁夫が描いた松越しに見る瀬戸内の島陰を望むエリアの2つの特徴がある。いずれも魅力的で撮影意欲が湧く風景なのだ。
撮影がひと段落した8時半ごろ、「津田の松原再生計画」の策定と推進を担ってきた今年89歳の鶴身正さんに連絡をしたらご在宅だったのですぐに押しかけた。昨夕、鶴身さんお気に入りの棟方志功が絶賛した銘木が枯れているのを見て、居ても立ってもいられず連絡をした次第だ。
再会を喜び合って開口一番にお聞きしたのが銘木のことだ。やはり鶴身さんは心を痛めていた。しかしすでに対策を講じようとしていた。陸前高田「奇跡の一本松」のように樹脂で固めて未来永劫その形を残す方法や伐採して記念碑を建てるなどだ。明るい話題も教えてもらった。2年前に就任した香川県の池田豊人知事が、「津田の松原」の価値に気付き保全活用のため「地域再生計画」の予算化を進めているため、地元からの要望を整理しているという。というのも松原にキャンプ場やドッグランなどを新設するなど、「津田の松原再生計画書」からはかけ離れた計画で地元の声を聞かず机上で考えた計画にしか見えない。しかし県庁が予算化をする機会を逃す手はない。これを契機に話し合いがいい形で進むことを祈りたい。
「津田の松原」が持つ本質的なポテンシャルを考えると、さぬき市と民間企業が出資する第三セクターが運営する「道の駅津田の松原」を大幅にリニュアルすることだろう。松原との連続性を考えた配置や施設のリニュアル。そして松原内にある案内所のリニュアルで松原と道の駅全体の一体感を作り出し人の流れを生み出すことだろう。加えて松原の起源でもある岩清水神社と連携しこの一帯を俯瞰したグランドデザインというかランドスケープデザインを行うことによって見違えるであろう。現場を見ればそこに気づけるはずだ。県庁ならさまざまな縛りを乗り越えて調整機能を発揮できると期待したい。
それと昨年、棟方志功が「津田の松原」に足を運んだのは、県庁にある和田邦坊が「津田の松原」を描いた大作「讃岐の松」を猪熊源一郎に勧められて感動し作者である和田邦坊と一緒に来たことをお伝えしたのだが、その後の話を聞かせてくださった。鶴身さんは県庁で「讃岐の松」を見たことはあったが、「津田の松原」をモチーフにしたことを知らなかったし、和田邦坊のことも知らなかった。そこで、地元で一緒に保全活動している仲間と県庁にいき改めてその絵を見てきたという。
そのほか鶴身さんの今の課題認識に対して、各地で見聞きしてきたことなどを参考にお話するととても喜んでもらえた。このあとは「入野松原」へ行くと話したら、黒潮町とは菌根菌で交流があったことを教えてくれた。そしてこれを持っておいて欲しいと「津田の松原再生計画書」を手渡された。何かズシッと重たいメッセージを受け取った様な気がする。有難い。引き続きお手伝いできることがあれば連絡くださいと伝えして1時間ほどで失礼した。
夕方、もうひと押し撮影をして出発しようと思ったのだが、明日の夜明けも「津田の松原」を撮影してから最終目的地である高知県黒潮町に向かうことにした。恒例の日帰り温泉は、週末で混雑が予想されたので昨夜と同じ地元御用達の「春日温泉」にした。予想通り地元の方だけで昨日より空いていた。
遠く小豆島を望む「津田の松原」(撮影:Hasselblad 907X CFV II 50C + XCD4/45P)