松韻を聴く旅 念願の積雪で「気比の松原」の真髄を観た
2月23日 気比の松原を目指す
今日は雪も落ち着くようなので休養日にしようと考えたが、元気があったので富山まで戻って「古志の松原」へ向かう。「古志の松原」は慶長6(1601)年に加賀藩二代藩主前田利長が参勤交代のときの往復路に植えた由緒あるもので、昭和9(1934)年に当時の帝国美術院長の正木直彦が地元の依頼を受けて命名したもの。明治42年や昭和10年当時の写真が残っているがとても豊かな松並木だったようで、その名残のように数本残っているのだが納得できる構図は得られなかった。
天気予報では今夜から敦賀方面は積雪の可能性があるので、一気に日本の三大松原と称えられている「気比の松原」へ向かう。日没前に到着し3度目の正直で雪化粧の砂浜をようやく見ることができた。あっという間に日没。そして吹雪く。明日の朝に期待して美浜の道の駅へ。近くの日帰り温泉に向かうと情報とは違い16時までで空振りとなる。
2月24日 三大松原を実感する
朝5時、国道27号線のバイパスが通行止め。旧道を走りまだ暗いうちに「気比の松原」に着くが、駐車場は相当な積雪だが除雪されておらず、不安だったため井の口川河口の脇に除雪された広いスペースを見つけて止める。この場所が幸いして、松原の西端から砂浜に抜け見事な風景というか絶景に出会うことになる。
「気比の松原」は2024年1月23日と2024年2月20日に2回訪ねているので今回が3度目の正直だったのだ。この2回のブログに詳細事項を書いているのでリンク先を読んでいただけるとありがたい。何より2月20日に訪ねた際は、「気比の松原」を管理している林野庁近畿中国森林管理局福井森林管理署のみなさんとお会いするという嬉しい機会を得ている。
松原を抜けて見えたその風景に感動した。「気比の松原」は日本の三大松原と呼ばれているのだが、これまでの2回の撮影でなぜそんなに有数の松原と称されるのか理解できずにいたのだ。しかし、目の前に広がる光景はこれまで出会ってきた多くの松原の中で最も美しく見えた。真っ白に雪が積もった美しい弓形の砂浜。そのすぐ背後に雪をまとった松原が迫り遠景は雪でかすむ。理想を超えたような光景が目の前に現れている。言葉が出ない。きっと生まれて初めて見た光景だろう。
夢中でその魅力を表現すべくアングルを求めた。明るくなり始めた6時ごろから何度も吹雪いては上がりを繰り返していたが、7時を過ぎた頃には雲が切れ始め日差しが少し差し込む時もあり、その光景にダイナミックさが加わっていた。撮影しているときは、この変化に気づいておらず無我夢中でアングルを求めて撮影を続けていた。あとでデータを見てその光景に驚いたのだった。この日の積雪は敦賀市は一晩で27cmを記録していたらしい。
庄内砂丘を代表とする日本海側に延々と続く松林は、冬の強烈な季節風のため汀線近くに巨樹が並ぶことはない。庄内海岸林を守る梅津勘一さんに指摘いただいて気がついたことだが、「気比の松原」は、確かに強風は吹くが敦賀湾の最深部に位置するため穏やかな気象条件と言える。このため汀線近くに巨樹が立ち並び迫力のある光景が実現できているのではないだろうか。これも三大松原と称される佇まいが実現できている要素なのかもしれない。
ここに来て、これまでのモヤモヤが一気に晴れ渡ったような気持ちになった。北海道えりも岬から始まった今回の撮影。場所と気象条件の組み合わせが全体的に合わず心理的に追い込まれてきた。そのため思考も悪循環となってネガティブな感情にもなり、その都度その都度の状況判断にもマイナスの影響があったのかもしれない。しかしこの「松韻を聴く旅」がずっと大事にしてきた「迷ったら前へ」を最後に行動できたように思う。ネガティブ思考に陥りやすい性格のため、常にポジティブ志向を意識しなければ納得できる作品は残せない。しかし、雪雲を追いかけ移動し、最適な場所と時間で撮影するというのは本当に難しい。風景写真を生業にして全国を駆け巡っている写真家を心から尊敬する。
2023年7月から開始し北海道から鹿児島まで走行距離も60,000kmを超える撮影取材となった。さまざまな一期一会の出会いに感動してきたが、今日の「気比の松原」の光景は最も感動的だったかもしれないと思えるほどだった。今後も良い出会いを求めて旅をしたいと勇気を抱く。8時ごろに一旦切り上げる。
車を「気比の松原」の中央部にある駐車場に移動させると、同じように入ってくる車は軒並みスタックして動けなくなる。3台はハンドルを指示しながら押してレスキューしたが足を痛めた感じがするのでその後は遠慮した。タウンエース は能登半島でもその駆動力を発揮してくれたが、ここでもその足回りの強さを実証してくれた。素敵な相棒だ。
雪雲をさらに追いかけて高浜に向かう。やはり松の名所として気に入っている「明鏡洞」に行くが、風向きの影響だと思われるが雪化粧をしていない。大きく空振りである。昨夜は温泉も空振りしているので今夜は良い温泉に入りたいと考え、明日の行程から福井を北上することとして、一気に加賀市の山代温泉まで走る。「山代温泉の古総湯と総湯」へ。
吹雪く「気比の松原」(撮影:Hasselblad 907X CFV II 50C + XCD4/45P)
2月25日 富山から長野を経て帰宅する
朝一番で加賀市にある「尼御前岬」に向かう。ここも義経伝説の地で、奥州に逃れる際これから先の旅路で足手まといになるのを憂いて尼御前が身を投げたとされる。ここに立つ尼御前の銅像は強い意志を持った表情で正面から見据えるとドキッとする。北陸道を走っていて、この周辺の松の立ち並び方が長谷川等伯の「松林図」を思わせるため、どこか良い場所がないか探していたが、その一つの候補と考え来てみた。やはり物語のあるところの松は佇まいがいいように思う。気象条件が整えばここもいい被写体になる可能性を感じた。
小説「等伯」で直木賞を受賞した安部龍太郎さんは、オフィシャルサイトで等伯は故郷の能登から羽咋まで北國街道を歩き船で敦賀まで渡ったと推測している。そうすると「気比の松原」にも立ち寄って京都へと向ったのかもしれない。今は北陸道から沿岸の松を見ながら南下していくが、当時は沖を漕ぐ船から加賀沿岸に延々と立ち並ぶ松林を見たのではないだろうか。安倍さんは「松林図」のあのぼやけ方は気嵐ではないかと推察もしている。等伯は沖から気嵐越しに見た光景を記憶に留めていたのだろうか。そのような光景も含めて「松林図」の着想に影響を与えたのではないかと推察する。松を追いかける写真家として、「松林図」を描いた等伯の心境を想像するのはこの上なく楽しい。
富山湾の氷見に立ち寄り、晴天のもと「松田江浜」で白砂青松を探求する。その後、富山から国道41号線を走り松本市へ至り夕暮れに東山魁夷が描いた「御射鹿池」にたどり着く。ここのアカマツが気になっていたのだが、氷結した池を多数の人が歩いた跡があり撮影は断念し、麓にある「風除けの松」のシルエットを撮影して今回の旅を終えることとした。ここは入道雲が湧き上がる2024年9月に訪れ魅せられた場所だ。残念ながら1本伐採されていた。マツクイムシ被害が出たのではないだろうか。早急な対応をされてすばらしいと思う。また違う季節に足を運びたい。
今回の走行距離は4,429km、メーターはいよいよ60,000kmを超えてきた。
尼御前岬の松(撮影:Hasselblad 907X CFV II 50C + XCD4/45P)
(へ続く)