(近世絵画から松を見つめるより続く)

 

11月19日(水)20日(木)21日(金)22日(土)日御碕灯台で写真を探求

 

この旅の目的地である出雲日御碕灯台。荒天の目まぐるしい雲の変化と湿度を期待して向かう。到着して早々に三脚をセットすると海上に虹が架かる。ダブルレインボーだ。アングルを固めるとまるで灯台の足元から希望の光が伸びるように架かっているのだ。虹を撮るのではなく灯台を撮るのだが虹を撮っている。翌日の20日の朝も少し違う形状の虹がやはり固定されたアングルに綺麗におさる形で出た。

日御碕灯台はこの撮影旅では3回目の訪問となる。これまでの2回で様々なアングルから撮影しているのだが納得できる1枚がない。ダイナミックな隆起海食大地の上に日本でも有数の美しさと最も背の高さを誇る白亜の灯台とほぼ単一で自然植生のクロマツ林。これ以上ない松と灯台を組み合わせた景観なのだ。にもかかわらず撮れないのだ。今回は納得できるまで滞在する覚悟で来た。雨が振り出したが灯火を待ち日没、日の出前から灯火を狙い、日中は松とのバランスがいいアングルを探す。雲の出方がいいと日中も撮影。そして日没前から灯火を待ちを繰り返す。

 

日御碕灯台(撮影:Hasselblad 907X CFV II 50C + XCD4/45P)

 

20日の日没後は雲が減ってきての星空が気になり出し撮影してみると、撮りたいアングルからだとちょうど灯台の上に北極星があることがわかる。天気予報では翌日21日の夜は風は残るが晴れ、22日の夜明け前からは無風で晴れの予報に変わってきた。こうなってくると休憩が取れない。日没後の数時間、日の出前の数時間も撮影時間となって、疲れが溜まってくる。しかしこれが楽しい。できるだけ着込んで長時間露光の間は三脚の横で寝転がって星空を眺める。目が慣れてくると満点の星空となり流れ星が時々流れるのも見える。それだけで幸せな時間だ。毎晩、灯台から30分ほどの「しっとりつるつる北山温泉」まで走り、いつでも撮影できるように日御碕灯台駐車場で車中泊を繰り返したのだった。

燈光会のパンフレットなどから日御碕と灯台について抜粋する。日御碕は島根半島の西端の岬で石英粗面岩から成る隆起海食台地。約1,600 万年前に貫入した流紋岩の冷却収縮によってできた柱状節理が特徴。海食崖には4つの段丘面が確認されており、中位の段丘面は23万年前から12万年前に形成されたと考えられダイナミックな景観となっている。その柱状節理石英角斑岩の上に、北西の風に耐え倒れるようにして佇む松林がある。この厳しい環境下でクロマツ以外の高木はないため自然植生だと思われる。

出雲日御碕灯台は、明治32(1899)年に浜田と境港が開港場に指定され、外国貿易が盛んになることから大型沿岸灯台設置の必要性が高まり、明治33年から3年をかけた大工事により完成。島根県八束郡森山から石材を切り出し境港から海路を運搬。洋式灯台建設の技術は、明治政府が招へいした 外国人技師の指導のもとに始まったが、 明治10年代には帰国していたためすべては日本人の手によって行われた。築城の優れた石工技術により堅固で美しい石造りの灯台が各地に築かれている。この灯台は建設時から高さ43.65mで国内最高の灯台として親しまれている。令和4(2022年)に歴史的価値が高く優れた技術であることから重要文化財に指定された。国際航路標識協会(IALA)が提唱する世界灯台100選の一つでもある。

21日の日中は出雲大社にお参りに向かった。参道の松を復活させた出雲土建の石飛裕司社長が、出雲大社の拝殿を撮影した作品の奉納を以前お会いした際に申し出てくださって先日無事に奉納してくださった。当事者として持参したい気持ちもあったが、石飛さんのお気持ちが嬉しかったのだった。今後の撮影祈願を込めてお参りさせていただいた。

22日の朝の撮影を終えて、今回はこれでいいだろうと吹っ切れた。ここまできているので一気に帰るのはもったいないので、刺激を求めて大山の麓にある「植田正治写真美術館」に向かう。生まれ故郷の山陰に留まり、その風物詩のような「童暦」「小さい伝記」に学ものが多いのだ。特に「小さい伝記」はハッセルブラッドのスクエアフォーマットが基本となっている。オリジナルプリントもよかったが、地元のテレビ局が撮り続けた本人の語りが聞ける映像も良かった。

ショップで見つけた「植田正治の「山陰」撮影地マップ」は迷わず購入。地図に興味があるためだ。「松韻を聴く旅」はひとつの被写体である「松」を求めて日本中がロケ地となる。日本地図に撮影した場所に印をつけていく。この感覚を楽しんでいるからだろう。これまで多くの写真集を購入したり眺めたりしてきたが、全国をひとつのテーマで撮影した作品がほとんどないように思う。自然であれば「桜」を被写体に桜前線を追いかける写真家はもちろん多い。しかしそれぐらいではないだろうか。

そう思っていると一人思い当たる人がいた。同い年の柴田秀一郎さんだ。彼は「バス停留所」という写真集を出版している。改めてページをめくるとグイグイと引き込まれ目が楽しい。時代、生活、地域文化が写っている。これまでそんな感覚では見ていなかったが、出版は2010年。作品は2001年から2009年のものが掲載されている。バス路線の社会性を通してこの時代の日本がここに写っている。「松韻を聴く旅」を探求することでこの作品の深みに入ることができるようになっていた。一方で「松韻を聴く旅」ではこの時代の日本は写っていない。それは課題だろうか。自問自答の旅は続く。

同じ大山でも反対側に「一町松」がある。大山が冠雪しており絶好の機会なので立ち寄って帰ることにした。江戸時代、大山への参詣道の鳥取県大山町の関見から中山原を経由する道の脇に、道標として一町(109m)ごとに松が植えられていた。風雪に耐え人々の往来を見守った老松。2024年2月23日に初めて訪ねた場所で、「マツクイムシの被害などで見つけた限りでは4本が残っていた。雪がないのは残念だが、雨に煙る山々を背景にしっとりと佇んでいた。根元には石碑や一町地蔵が置かれ信仰の対象であったことが偲ばれた」とブログに記した。今回は冠雪した大山を背景にアングルを求めた。

日没間際から走り出し中国道の加西サービスエリアで力尽き車中泊。翌日各所で渋滞に巻き込まれるので静岡県の安部川に佇む老松の撮影をしたくなり寄り道。暗くなってようやく帰宅。2023年7月からの総走行距離は80,000kmを超えてきた。今回の走行距離は2,396km。

 

一町松(撮影:Hasselblad 907X CFV II 50C + XCD4/45P)

 

(へ続く)