(春の東北(1)津波で流された松原を復活させる熱意より続く)

 

5日目 4月22日 弘前城はとにかく桜と人でいっぱい

 

早朝から休憩しつつ東北道を北上し、岩手山の周辺で桜前線に追いつき10時に弘前城。駐車場はどこも満車で周辺の住宅街に迷い込むと、そこかしこの家々が自宅の空きスペースを終日1,000円で臨時の駐車場にしている。確かに桜が満開の1週間は間違いなく書き入れ時だ。利用する側としては大変に便利で有り難い。

土曜に満開との情報を聞いていたので、それから3日目。まだまだ満開状態で、これでもかというぐらいの桜、さくら、サクラ。初めて桜の季節に来たが確かにすごい。しかし被写体は桜ではなく、あくまでも松が桜を引き立てる弘前城を収めたいのだがさすがに桜に引っ張られる。

10時から夕方16時過ぎまでずっと城内を歩き回り撮影。気温は20℃程度でTシャツ1枚でも快適な気候。ランチタイムは屋台の焼きそばを食べて少し昼寝も。一度車に戻り撮影データを現像してから17時半から20時まで夜桜撮影に歩き回った。平日にも関わらずいずれの時間も城内はひと、人、ヒトでごった返していた。方言も地元の言葉から関西から西の方言まで多種多様。言語も中国語から東南アジア、英語にフランス語とコチラも多種多様。全国各地そして世界から弘前の桜を目指してやって来ている。

その桜が引き立つのは通年を通して変わらぬ姿で凛々しく林立する松なのだ。中でも代表格が四代藩主信政が1685(貞享2)年に植えたアイグロ松(黒松と赤松が自然交雑したもの)なのだ。代々記録されてきた「藩日記」に三の丸土塁上にマツを植えたとあり、マツは常緑樹で成長が早いため城内に多数植えたとあるらしい。今年で樹齢は338年となり、幹回りは689cmで日本最大のアイグロ松だ。今年1月に青森の松の見どころの一つとして初めて訪れ撮影をした。その時に城内をくまなく歩き回り今回のロケハンを兼ねていた。

その際、CANON EOS R5に24-240mmでオジロワシの幼鳥が松の天辺から飛び立つ瞬間を捉えた。まさに「オジロワシとアカマツ」である。城内を散策していると長いレンズを付けた男性が松の天辺にカメラを向けてじっとしていたので、鳥をテーマにしたことはないので同じようには撮れないが試しに覗いてみたらビギナーズラックの如く捉えることが出来たのだった。松の風景に機材も作風も異なるが、ちょっと異端の作品を得ることができた。これも写真の神様が松を取り続けることへのプレゼントを贈ってくださったと考えているので、良い形で活用したいと思う。その時のことはブログに記した。

恒例の日帰り温泉は「鷹の羽温泉」。この周辺は地域に愛される源泉掛け流しの銭湯がとても多い素敵なエリアだ。泉質はナトリウム塩化物泉、泉温は46.8℃で源泉掛け流し。少し硫黄臭がしてぬめり感があり、夜桜撮影で冷え切った体をしっかり温めてもらった。周辺にある「道の駅いなかだて」「道の駅ひろさき」いずれも他府県ナンバーで大混雑だ。きっと皆お花見同志であろう。

 

弘前城の松と桜(撮影:Hasselblad 907X CFV II 50C + XCD4/45P)

 

6日目 4月23日 青森と岩手の山中に佇む2つの天狗松

 

今朝は昨日の成果を補うべく朝の光で弘前城内を撮影してから、岩手県二戸の山中に佇む「天狗の三本松」に向かった。1月に向かった時は雪で道が通行止めで諦めた松である。前回入れなかった道はこともなく走れる。その細い山道に「天狗の三本松」という看板が立っているが、その矢印の方向を見てもただ雑木林が広がるだけで何も見えない。今は使われていない林道を頼りに進むと経度緯度の座標から遠ざかる。そこで道のない雑木林を進み見えてきた山の斜面を行くと尾根筋に大きな松の影が感じらる。その大きな松の影が少し怖くも感じる一方でこの瞬間がなんともホッとする。雑木がはびこっているが、地形をよく見ると土手のような小道のような膨らみがあり、それに従って斜面を進むと「天狗の三本松」に辿り着けた。

ようやくの対面である。推定樹齢は不明だが幹回りは6m近い巨樹である。その存在感は圧倒的だった。どのような状態の中で生きているのかを、証拠を押さえるというのではなく表現として捉えるように1時間ほどじっくりと向き合うと、不要だと思っていた手前にはびこる雑木も演出として捉えられるようになる。風景を自分のエゴのように選別するのではなく受け入れるということなのかもしれない。この「天狗の三本松」は緑濃い季節だと全貌を捉えることができないだろう。

続いて青森県三戸の山中に佇む「階上岳天狗の松」に向かう。google mapのナビに従うと、三戸郡階上町晴山沢の集落から階上岳に登るドライブウエイに接続する未舗装の林道からのアプローチであった。ひた走ると残り数キロのところでなんと大きな倒木が道を塞いでいる。ノコギリさえ持っていればと悔やみつつ車で押し出してみるが無理。残念無念と諦めて、google mapでもう一つの登り口を探して向かってみると土折という集落からの舗装路であった。しかしなんと冬期通行止めが解除されておらず途中で断念。なおも諦めきれず、いずれも内陸側からのアプローチだったので今度は海側から階上岳に登る舗装路を見つけて行くととても走りやすいドライブウェイ。ところがしるし平というところでやはり冬期通行止め。google mapのナビはこの冬期通行止めを把握していて、最初の未舗装から山頂近くでドライブウェイに接続するルートを指示したのではないかと振り返る。

「三陸復興国立公園」に指定されている階上岳は標高739.6m。徒歩の登山道は複数あり、夏はもちろん冬のトレッキングも楽しむことができると階上町のHPに記載されているが冬期通行止めは4月26日に解除されるとある。一番近くまで迫り倒木で断念した未舗装の林道からは1時間ほど歩けば「階上岳天狗の松」に辿り着けることも判明。しかし往復だけで2時間、撮影を含めると3時間以上も単独行動で人里離れた山中に車を置いて離れるのはリスクがあると考えて断念。GW明けにリベンジする。

階上岳の麓に降りると階上町役場があり、その近くには2回撮影した天当平の松(火炎の松)があるので今日も立ち寄る。推定樹齢は250年、幹回りは4mほど。ウツクシマツといわれる樹形のアカマツだが、これほど激しく枝分かれしたウツクシマツはこれまで見たことがないといえるほど各地を巡ってきた。今は全国で最も激しいウツクシマツだと断言できる。機会あるごとに立ち寄り撮影を繰り返したい。もしかしたら初対面の時の撮影が最もインパクトを受けて印象深い撮影ができているようにも思う。しかし天候や日差しなどでそれ以上の撮影ができる可能性もあるだろう。

このまま海に出ると種差海岸。今日はこの周辺で車中泊するとして、恒例の日帰り温泉は最寄りの「野馬の湯天然ラドン温泉」。温泉表示がないので少々不安だが、昔ながらの銭湯の雰囲気を楽しんだ。

 

ようやく会えた天狗の三本松(撮影:Hasselblad 907X CFV II 50C + XCD4/45P)

 

7日目 4月24日 寄り道だらけの南下を開始

 

今日は雨の種差海岸から撮影。種差らしい太平洋を背景に芝生の広がりと松と岩の風景を収めたいのだが難しい。東山魁夷の「道」が描かれた場所に立ち「風景との対話」から抜粋された本人の言葉を読み返し日本の風景を切り取る作業について想いを巡らせた。東山魁夷は、この場所から見える灯台も牧場もスケッチしていたが、それらを廃して道だけを描きたいと考えた。そのために再訪して牧場主に事情を説明し宿泊させてもらい早朝からスケッチをした。

戦争体験を経て日本の地に再び立てたこと、当時の混乱する日本画壇の中で立っていくこと、何より両親や兄弟を相次いで失って肉親がいなくなったこと。本人を取り巻く環境での心理状態と表現するモチーフ。風景を切り取るという行為は絵画と写真、事情も都合も違うが共通するのは自己投影である。誰もが同じ風景を見ながら心に見えている風景は違うのである。表現者はそれを可視化する。それが同じ言語で伝わることはまずない。鑑賞者もまたさまざまな人生を歩んで自己投影するからだ。雨が降り思うように風景が見えてこない今日のような日に、東山魁夷の「道」の誕生の地に立ったことも写真の神様が与えてくれた機会だったと受け止めている。

結局、種差海岸では納得できる撮影はできなかった。再訪したい。

昼はJR八戸線の有家駅の踏切。ここは2019年にフィルムで撮影し写真集「松韻を聴く」に納めたお気に入りの場所である。何も知識もなくなんとなく道を選んで海を目指したらであった光景であった。非電化の単線にシンプルな踏切。そのすぐ横に無人の駅。松が佇む広大な光景の中にある物語を感じる場所だった。今日もここで感じるままに撮影をしていく。今日の気持ちで何が写るのか。後日眺めることで感じることができるだろう。

午後はあまちゃんの故郷で北限あまの町である久慈市小袖海岸から山に入って佇む「久喜のアカマツ」に対面できた。南側の久喜港からのアプローチの方が近い。久慈市宇部町にある駒形神社の鳥居をくぐり小さな本殿の脇から山中に分け入り道なき雑木の中を歩いていくと、木々の間に黒い大きな樹形が見えてくる。この瞬間はいつもときめく。推定樹齢は不明だが幹回りは4.7mあり、上部の枝分かれも激しく存在感がある。周辺には樹齢を重ねたアカマツが多く佇む。周辺の広葉樹の緑が豊かになると樹形の全体を撮影することは厳しいだろう。雪の季節に再訪したい。

久慈市内から小袖に向かう海岸線は道が細く奇岩が多くそこには必ず松が佇む。中でも印象的な「つりがね洞」には松が多数自生しており曇天でもあったのでNDフィルターで撮影を試みる。「つりがね洞」の由来は「ネットタウン誌きてきて久慈市」によると、岩の大きな穴の天井から釣り鐘の形をした岩がぶら下がり、夫婦であの世に行くときは、この鐘を突いてから極楽浄土に入ると言われていたらしい。しかし明治29年の津波でその岩も破壊され多くな洞穴になっていたが、東日本大震災で下部の岩が流されてさらに洞穴が大きくなったようだ。

恒例の日帰り温泉は久慈市内から山に分け入った「新山根温泉べっぴんの湯」。源泉はアルカリ性単純温泉とウェブには記されているが、脱衣所にあった成分表示では「療養泉には該当しないので泉質名はない」とあった。源泉は16.5℃。加熱しているが加水はなし。お湯はぬめり感がありお肌に良さそうである。

昨日から腰の右側が悲鳴を上げ始めており、今日も痛みが強く全身にコリが広がり始めた。真冬の氷点下の撮影や車中泊を乗り切ったので油断していた。早めに切り上げて帰宅したいが、いずれにせよ長距離を座り続けて運転なので、明日から天候を見ながら帰路の検討する。まだ取材が残っているが来月再訪する。

 

有家駅の踏切(撮影:Hasselblad 907X CFV II 50C + XCD4/45P)

 

8日目 4月25日 岩手県の海沿いの3つの村

 

今朝も雨。小雨になり野田村の十府ヶ浦海岸には霧が流れ込み幻想的な風景になってきた。奥行きのある光景で有り難い。この周辺は、ここ野田村、普代村、田野畑村と3つの村が連なり海沿いはダイナミックな景観が展開される。2018年と2019年にフィルムで撮影して何ヶ所かは写真集に収めたが、5年ぶりだとそれぞれの変化を楽しめる。当時は被災した海岸林をテーマにしていたため、この周辺がこれほど赤松が豊富なエリアとの認識はなく改めて風景を見つめ直すこととなった。海岸から内陸ともにアカマツが豊富で、マツクイムシ被害もほとんでど広がっていない。とても美しい景観が広がる。特に北山崎の絶景は今回のプロジェクトには欠かせない場所だと考えていた。早速向かうと雨あがりの霧がかかり、いきなり幻想的な雰囲気を撮影することができた。有り難い巡り合わせである。

田野畑村は少しだけ縁のある村。2019年に声をかけてくれ当時は田野畑村に移住していた「地球のしごと大學」を主催する「株式会社アースカラー」の高浜大介くんに再会。忙しい中を時間を作ってくれてランチを一緒に食べながら語らえた。今は普代村に移り「つちのこ保育園」を経営しながら、地域の失われつつある地場産業の事業継承をしたり、地域創生に関する仕事を粘り強く展開していた。彼らしい冊子「地球のしごと図鑑」を一冊もらった。地域で農業に従事しながら地域の産業を守っていく生活。加えて南部アカマツの松葉をネット販売していた。やはりマツクイムシ被害が少ないため農薬散布がないことで食用に使えるとして松葉を販売していた。この地域では昔からこの南部アカマツが多いことから松茸の産地として名を馳せ今も松茸名人がいるという。次回は岩手の松茸名人にも会いたいと相談をした。

午後は再び北山崎に向かい撮影を続ける。断崖を登り降りする階段は1000段を超える。波打ち際までの階段は壮観であるが、帰路は100段を数えては休憩し最後には太ももを上げるのに掛け声が必要で強制的にスクワットをした感じ。そのおかげか、凝り固まって痛みが強まっていた腰痛がほぐれたような気がする。

明日からの行動を考え、恒例の日帰り温泉は宮古市にある銭湯「旭湯」へ。ここは北海道・二股温泉の炭酸カルシウム鉱石を通して湯が出ている昭和の香り漂う銭湯である。

 

北山崎(撮影:Hasselblad 907X CFV II 50C + XCD4/45P)

 

 9日目 4月26日 遠野物語の集落にある松の巨樹

 

今日は宮古市の「浄土ヶ浜」から開始。以前、撮影で訪れたときに、ここは午後の光の方が良いと考えていたことを同じように早朝に来て思い出す。我ながら全くもって学習効果なしであるが、朝の光が効果的で白っぽい岩の風景に松が佇む浄土を感じるようなアングルを探す。いずれにせよ午後の光で再訪してみたい。

続いて向かったのは内陸に入って住田町上有住の国道340号線に佇む「上有住の一本松」。推定樹齢は300年。国道を走る車の上に伸び伸びと枝を伸ばしている姿は絵になる。さまざまな角度からこの松の個性が表現できるようなアングルを無心で探す。そんな時間が最も充実しているように感じる。撮影して車に戻ると、沿道の田んぼで農作業をしていた若い男性から「何を撮っていたんですか?」と聞かれて「一本松ですよ」と答えると、「あの松は僕が生まれた時から当たり前のようにあったものなので、あって当たり前というか特に意識したことはなかったんですよ。みんなで待ち合わせをするときも松ではなくて、横にかかる小台橋で待ちあせな!と言ってたんですよ。最近ですね、一本松、一本松とみんなが言い出したのは。」こんな話を聞ける場とひとときが本当に有り難い。旅に出ている実感が深まるし、この地に生まれ育った人の空間に対する肌触りを知ることができる。

春の穏やかな午後。とても良いひとときを過ごして良い気分のまま次に向かったのは遠野市土淵町の「厚楽沢の赤松」。土淵町は追分街道と小国街道の分岐点にあり、昔は人の往来が多く様々な話がもたらされ「遠野物語」の誕生の背景となったといわれている。この集落の裕福な農家に生まれた佐々木喜善が東京に遊学中に友人の紹介で柳田國男に会い、祖父から聞いた民話や伝説を語り「遠野物語」としてまとめられた。

その集落から山中に向かう道はまだ冬期通行止めの看板と熊出没の看板が立てられていたが「厚楽沢の赤松」まではいけた。道路脇に赤い鳥居がありしめ縄には松の枝があしらわれている。鳥居の先の薄暗い杉林は目を凝らすと獣道が見えてくる。急斜面を100mほど登ると「厚楽沢の赤松」が佇み、根元には小さな祠がある。この松が神様なのだろうか。それとも神様が降臨する際の目印の松なのだろうか。民話の故郷らしい存在感を醸し出していた。推定樹齢は不明だが幹回りは5mを超える。「厚楽沢の赤松」は所有地の境界線にあるようで、すぐ背後の斜面は皆伐され見晴らしが良くなっている。その斜面を登り降りし遠景の山並みを背景に撮影をする。熊に出会うことはなかったが、山の斜面は足の踏み場もないほど小動物のコロコロとした糞だらけで避けて通るように足元に注意を払ったが、避けきれたのかどうかは心許ない。

今回の撮影取材「松韻を聴く旅」はここで終了とする。明日からGW。本当であれば今日中に帰宅したいところだが、無理は禁物なので東北道のSAで車中泊を考え、せめて恒例の日帰り温泉には入りたいと考え検索し「平泉温泉 悠久の湯」へ。泉質はナトリウム塩化物泉、源泉は38℃のため加熱。ぬめり感のある肌に良さそうなお湯であった。温泉から出て気づいたが腰の痛みが明らかに弱まっていた。有り難い。考えて見れば去年の7月からの半分は旅をして毎晩のように温泉巡りをしている。撮影の旅は湯治の旅でもある。その効果が感じられるのは幸せである。

 

遠野の山中の神社、しめ縄に松(撮影:Hasselblad 907X CFV II 50C + XCD4/45P)

 

10日目 4月27日 GW初日の東北道

 

昨日で撮影を終了しGWの混雑を避けるため、5時半ごろ鶴巣PAから自宅を目指してひたすら東北道を南下を開始。しかしせっかくの好天の1日をひたすら高速を走るだけというのはもったいないと思い始め、まだ福島県内で撮影できていない赤松の巨樹があったと思い始め那須高原SAに車を停めて調べてみると、次の黒磯PAで降りて1時間ほどの南会津に佇むことが判明。これは好都合。これはこの巨樹に呼ばれたに違いないと受け止め向かう。

新緑のドライブコースを堪能しながら向かうと、南会津から只見に向かう国道189号線に「下塩江五本松」は佇んでいた。看板には推定樹齢は150年-200年、幹回りが5.5mとある。この周辺は旧街道の宿場街も多かったのか広い風景の中に茅葺き屋根の形のままに赤や青のトタンに変えた家が多く残っているのが印象的。この五本松も針生街道に佇み木陰を作っていたようだ。根本には祠があり石碑も多く残り民間信仰の面影をとどめているが、畳工場と住宅に挟まれて窮屈そうな場所に佇んでいる。その住宅から年配の女性が出てきたので挨拶をして敷地内に入って撮影することの了解をもらいつつ松について聞いてみた。

「以前はこの作業場と家もなく広々とした風景にこの松は立っていてとても良い眺めだった。南会津町の天然記念物になったから作業場を壊して見晴らしを戻したいけど撤去する資金がない。あんたみたいに写真を撮りに来た人が、この建物がなければ良いのにと話す声が家にいると聞こえてくるんだ。見晴らしが良い頃にはNHKも取材に来た。アナウンサーの宮田輝が来たんだよ。」

これは随分と懐かしい名前である。宮田輝がNHKで活躍したのは1974年まで。その後は国会議員を務めながらフリーアナウンサーだったようだ。要するに50年前の話。確かにここに着いた時は建物がなければと思ったが、この与えられた条件でいかに撮影を楽しむかが写真家なんだと思考を巡らせていた。1時間ほどで切り上げるつもりが、気がついたら3時間も撮影していた。手応えはあるものの充分に納得できるには至らず修行状態。しかし晴天から曇天へと雲行きも変化し撮影には面白い条件だった。

今度こそ今回の撮影取材「松韻を聴く旅」は終了。ここからは約3時間で自宅。GW渋滞に巻き込まれないよう、道路情報をチェックしながら遅い昼ごはんを食べて何度か休憩をして19時半に無事帰宅。今回はダウンジャケット必須の天候から今日のようなTシャツの天候まで、なかなか目まぐるしい変化に順応した旅であった。

 

下塩江五本松(撮影:Hasselblad 907X CFV II 50C + XCD4/45P)

 

(初夏の東北へ(1)太平洋側を青森へ北上へ続く)