松韻を聴く旅 晩夏の房総半島(1)
1日目 9月16日 甚兵衛の森
房総半島の樹木は暖温帯の照葉樹林と冷温帯の落葉樹林との移行域に位置するようだ。「松韻を聴く旅」は、「松のある日本の風景」を撮影しているが、マツ科マツ属の中でも身近な存在で日本画や浮世絵に描かれたクロマツとアカマツに加えて南西諸島に分布するリュウキュウマツの二葉松を対象にしている。
現在の房総半島内陸で、二葉松を見かけることはほとんどなく、主に防風防砂林として海岸部に植林されたクロマツが多いのではないだろうか。マツ属には二葉松、三葉松、五葉松がある。二葉松は先に述べたクロマツ、アカマツ、リュウキュウマツがある。三葉松に在来種はないが、マツボックリが巨大でクリスマスで人気がある北米産のダイオウショウ(大王松)が国内各地で散見される。五葉松は、ゴヨウマツ、ヒメコマツ、ハイマツ、チョウセンゴヨウ、ヤツタネゴヨウがある。房総丘陵には暖温域に生息するヒメコマツが分布し、この地域の地史的、植物地理学的な観点から貴重な存在とされているが、近年急激に減少しており千葉県の絶滅危惧種に指定され「千葉県ヒメコマツ回復計画」が実施されている。
茅ヶ崎から湘南の海辺を走り、アクアラインで房総半島に渡り富津岬へ。富津公園の入り口周辺に少し樹齢を重ねた松が佇む様子が目をひいた。今日は台風13号の余波で南房総には良い波が届いて混雑が予想されるため、明日以降の平日に向かうことにして内陸で唯一とも言える「松の名所」として日本の名松百選になっている成田市の「甚兵衛の森」に向かう。
ここは、江戸時代の初め重い年貢に苦しむ農民を救うため、将軍へ直訴に向かう義民で名主の佐倉惣五郎(木内惣五郎)を渡し守の甚兵衛が禁を破って対岸まで送った渡し場跡。甚兵衛は老いて捕縛の身となって永らえるよりはと凍える印旛沼に身を投じたと伝わっている。そのゆかりの地には水神を祀る水神社があり、神社林なのか樹齢300年を超える松が数本残っている。切り株も多く、佇む老松たちもかなり痛みが目立つが元気な姿に出会えたことに感謝である。落ちている松ぼっくりが大きい。先に述べた北米産で三葉松のダイオウショウの大きな松ぼっくりほどではないが、クロマツの松ぼっくりとしてはとても大きく魅力的。味わい深い古い切り株を背景に珍しくStill Life(静物写真)として撮影してみた。
穏やかな田園風景の中を抜ける成田街道は味わい深かった。曇天でところにより雨が降り強めの風も涼しく気温が上がらなかった。夜になると24℃程度で過ごしやすい。しかしながら、敬老の日の今日も全国各地では猛暑日が続き、全国42地点が猛暑日を記録。福岡県の太宰府は今年58日目の猛暑日で記録更新したようだ。
恒例の日帰り温泉は「酒々井(しすい)温泉 湯楽の里」。夕方来てみたら駐車場が目一杯だったので、閉店1時間前に出直してみたら空いていた。チェーン店経営のスーパー銭湯で少々あなどっていたが、泉質は含よう素ナトリウム塩化物強塩泉で、よう化物イオン(よう素)の含有率は国内のトップクラス。厳選は35℃程度なのだが、露天風呂は40℃に加熱のみで源泉掛け流し。湯船は少々赤みがかっていて入ると皮膚がヒリヒリして味はとても塩っぱい。とても良いお湯だった。
甚兵衛の森(撮影:Hasselblad 907X CFV II 50C + XCD4/45P)
2日目 9月17日 片貝100年の歴史
朝は22℃程度で涼しく快適だったが、日差しが戻り日中は32℃はありそう。強めの風が救いだったが熱中症対策に帽子は必須。日が暮れても26℃程度の熱帯夜。また夏が戻った1日だった。
蓮沼海浜公園から九十九里浜を走るが海岸林の松がとても少ない。東日本大震災の津波被害で枯れた海岸林も多かったのだろうと思われる。残った海岸林の黒松を見かけてもその大半が赤茶色に枯れている。ほとんどはマツクイムシ被害だろう。老松はなく九十九里浜の現在の松をどう表現するのか今回は「片貝海岸」で思案することにした。
どうやら片貝は思案をする場所として良かったのかもしれない。九十九里町の「片貝海水浴場無料休憩所100周年記念誌」によると、明治43(1910)年に片貝海岸に無料休憩所が開設された。仕掛けたのは国内最年少薬剤師だった中西月華を中心とした「向上会」。当時の海水浴は「風邪をひかない」「肌を強くする」など医療効果目的として考えられていたが、日露戦争(1904-1905)以降、国内では海水浴ブームとなり交通網が整ってアクセスが容易になると治療から楽しむ目的へと変化、多様な社会階層の人が浜辺で余暇を過ごすようになっていた。
「向上会」は、地方文化を外部に文化教養を内部に発展向上させ故郷の片貝に貢献するため明治39(1906)年に発足し、片貝を日本を代表する観光地にしようと奮闘。中西月華は多彩な才能を有し写真撮影も行い観光パンフレットを発行し、九十九里の写真帖やポストカードなども販売。懇意にしていた徳富蘆花を片貝に招き「向上会は片貝の魂ともいうべき有志の会」と言わしめた。蘆花は1ヶ月の片貝での滞在記を小説「新春」の一説として出版。この本の影響も大きく都心から多くの観光客を誘致することに成功している。中西月華。とても興味深い人物である。
幸いにも午前中は雰囲気の良いちぎれ雲が流れ始め創造力を刺激してくれて粘ることができた。午後は九十九里浜を後にして「御宿」に至る。この土地らしさを考えると、やはりここはわずかに佇むクロマツを「月の砂漠記念像」に絡めるアングルを思案することにした。
「月の砂漠」は、画家で詩人でもある加藤まさをが講談社の雑誌「少女倶楽部」の大正12(1923)年3月号に発表した詩と挿画の作品だった。それに佐々木すぐるが曲をつけ童謡となったそうだ。モチーフは加藤が毎夏結核療養のため訪れた御宿海岸と、加藤の生地に近く少年時代に遊んだと言われる焼津市の吉永海岸のいずれかではないかと言われている。後年「幾夏も、あの砂丘をながめて暮らしたことを想い出します。したがって「月の沙漠」の幻想の中には、御宿の砂丘が潜在していたものに違いないものと思います」と手紙に書き記したことから1969年に御宿海岸に「月の砂漠像」が建てられた。
恒例の日帰り温泉は、長生郡睦沢町の道の駅に併設された「むつざわ温泉・つどいの湯」。ここは先進予防型まちづくりの中核拠点として町役場の事業と連携しており昨日に続いて抜群に良いお湯だった。泉質は含よう素-ナトリウム-塩化物強塩冷鉱泉で、源泉は24.3℃で加熱のみで掛け流し。日々腰痛が和らいでいく。
片貝海岸に点在する松(撮影:Hasselblad 907X CFV II 50C + XCD4/45P)
3日目 9月18日 日蓮聖人の誕生寺に佇む老松
今日も朝から気温が上がり鴨川周辺では日中は34℃前後あったのではないかと思われる。夜になっても27℃程度はありそうな熱帯夜である。
今日は九十九里から南房総へ南下を始めた。海沿いの集落に松が見えたので向かってみると勝浦町の「興津海水浴場」だった。ここは昨年2023年にブルーフラッグを取得している。ブルーフラッグとは①水質、②環境教育と情報、③環境マネジメント、④安全性・サービスの4分野、30数項目の認証基準を満たしたら取得できる国際認証。興津が取得した理由は急速に進む少子高齢化対策の一つとして地域資産の継承と交流人口の活性化のようだ。国内各地で目指す観光振興、経済効果、地域活性化をブルーフラッグを起点にするのはSDGs時代らしい素敵な取り組みだと思う。
続いて向かったのは鴨川市小湊にある「誕生寺」。名所旧跡、社寺仏閣には老松が佇むことが多いため期待して向かってみた。日蓮聖人は、貞応元(1222)年に小湊に誕生。生家跡に建立され高光山日蓮誕生寺と称したのが始まりとされている。明応7(1498)年と元禄16(1703)年の大地震や大津波の被害に遭い現在の地に移る。宝暦8(1758)年の大火により仁王門を残し全山が焼失。弘化3(1846)年に現在の祖師堂が再建され当時関東随一と称された。
総門から宝永3(1706)年に建立された仁王門への参道と、それに続く弘化3(1846)年に再建された祖師堂への参道には石灯籠が見事に並ぶ。その背景に大きなクロマツの巨樹が数本佇んでいるではないか。期待はしていたもののときめいた。これまで見たことがないタイプの松の国の風景との出会いである。これはしっかりと対峙したいと考え、午前中の光と夕暮れの光で撮影すべく終日滞在することとした。
恒例の日帰り温泉、この周辺は温泉施設がなくホテルの立ち寄り温泉を利用することとして、名前はよく知っているけど一度も利用したことがなかった鴨川グランドホテルにする。泉質は含硫黄ナトリウム塩化物炭酸水素塩冷鉱泉、源泉は15.2℃で2003年に採掘された新しい温泉。比較的空いていて露天風呂が広くのんびりと癒してもらえた。
誕生寺の松(撮影:Hasselblad 907X CFV II 50C + XCD4/45P)