松韻を聴く旅 桜前線と伴走の東北(2)南部アカマツの故郷
4月17日(木) 4日目 月山松の故郷
6時半起床 今日と明日は南部アカマツの岩手をテーマにしたい。
まず向かったのは奥州市にある月山神社(男二子神社=おふたご)。旧前沢町の看板によると、「樹齢250年を越す野生のアカマツ林の中にひっそりと建っているこの神社は今から約八百年前栄華を誇った平泉藤原氏の四代泰衡夫人が、悲劇の主人泰衡の御霊をとむらうため、山伏に命じて建立したと伝えられる神社。山上での参拝が不便のため、明治10(1877)年山麓に新しく神社を設け遷座したが、今なお奥の院として奉祭されています。」とありとても由緒ある神社である。
また奥の院のすぐ横にある見晴らしの良い高台には女二子神社(=めふたご)がある。旧前沢町の看板には「この宮は石祠で、幼児を抱く女神を浮き彫りにしています。このためか、安産を祈り愛児の育成を願う女性の参拝が多く、また山頂からの景観は、胆沢平野が一望でき、すばらしいものです。」とある。
11時に「月山松を守る会」会長で月山神社総代長の菊池一男さんにお会いできることになった。早速、月山松を案内いただく。月山松とは、守る会で規定したもので、樹齢が250年を超えるような巨樹に限定されており現在20本程度が残っている。守る会が設立されたのは月山松にマツクイムシ被害が及び始めた平成18(2006)年。会員は20名ほどで地元の役員や議員など有力者が揃う。活動の中には薬剤の樹幹注入や用材としての伐倒なども行う。
最初に向かったのは神社の敷地内ではあるがとても急な斜面に残された大きな切り株。これは去年12月に伐倒された月山松で京都の祇園祭の山鉾に使われる。伐倒はワイヤーなどを使い作業道もそのために作ったという。この切り株の樹齢を数えると350年だったことがわかったそうだ。看板にあった250年を超えるを遥に超える歳月を生きてきた月山松だったのだ。
数年前の切り株は名古屋城の天守閣に使うために切り出された。奥の院の入り口には大きな切り株が残る。これは枯れて危険だったために5年ほど前に伐倒して用材に使われたが、御神木として守ってきた月山松であった。その御神木の切り株に近いところに佇む高さ30mを超え幹の表面の剥がれもない見事な月山松を抱く菊池さんを撮影した。次に見晴らしの良い女二子神社に向かい奥の院側の斜面に佇む月山松を確認し、展望台の目の前に個性的な姿で佇むまだ少し若い”未来の月山松”も十分に魅力的なのだ。
それにしても菊池さんは今年77歳とは思えない健脚で急な斜面をどんどん上り下りされる。菊池さんは米作や酪農(種牛が親子合わせて35頭)を長く営み、岩手県農業共済組合の組合員として長く勤め、最後は組合長を昨年5月まで担われてきた。「組合人生50年に悔いなし」との言葉に様々なご苦労を乗り越えてこられた達成感のようなものを感じ取る。そして今は月山松に多くの時間を費やすという。撮影しながらお話を聞いていると、組合時代は広報を担われ言葉よりも写真で伝えることを意識されたそうで、その活動が全国組合の大会で1位になったそうだ。撮影は少し緊張してしまった。奥の院の前で菊池さんとはお別れしてもう少し居残り撮影を続けた。課題は月山松の故郷をどう表現するかである。
気がついたら曇天になり、明日の取材場所である久慈市に少しでも近づくため東北道を北上する。ずっと桜前線の中に居たが花巻辺りで一気につぼみ状態となっているのが見えてきた。西根インターで降りて恒例の日帰り温泉は「八幡平温泉館森乃湯」。泉質は単純硫黄泉、源泉は65.0℃。白濁した硫黄の匂いが強く滑り感のあるお湯に癒してもらった。湯上がりの肌はスベスベで、かなり強く硫黄の匂いが残りずっと包まれている。これはかなり印象深く抜群にお気に入りの温泉になりそうだ。岩手町から国道281号線で葛巻町に入る。
月山松を守る会会長の菊池一男さん(撮影:Hasselblad 907X CFV II 50C + XCD4/45P)
4月18日 5日目 南部アカマツ専業の林業家
5時過ぎ起床。南部アカマツの故郷と言える風景を探す。葛巻町の国道340号線沿いの土手に佇む樹齢300年以上の「一本松」。昭和38(1963)年までこの地に江刈小学校があった。葛巻町教育委員会の看板によると、「枝垂れ松のような佇まいが風致に富んでいるため国道改修工事の際も残され、町民にも親しまれここの地名にもなっている」とある。国道340号線が九戸村に入ると山根という地区で何本かの大きなアカマツが点在する風景を見つけ撮影。単独で立つ大きな松が一目で複数本も町中に佇む光景は全国各地を探しても意外と見つからないのだ。そのまま進んで九戸村長興寺にある「千本松」に至る。長興寺というお寺の境内にあるのではなく長興寺という地名で道路脇の土手に佇む推定樹齢300年以上のアカマツでほうき松と呼ばれる樹形で迫力がある。
13時に久慈市山形町にある旧荷軽部小学校で「フォレストワーク株式会社」の小笠原巨樹さんと待ち合わせ。「巨樹」と書いて「なおき」と読む。生まれながらにして木に縁がある人なのだ。小笠原さんは同じ地区にある「谷地林業」の谷地譲さんに紹介いただいた南部アカマツ林業を本気で取り組む人。早速、小笠原家が所有するアカマツの山林を案内してもらうと驚嘆した。とても美しいアカマツの単一林が広がるのだ。丁寧にエリア分けをした施行計画に則って常に手を入れており、現在は間伐を中心に良材を育成している。
見渡す限り素直に真っ直ぐ成長した樹齢数十年ほどの若いアカマツが並ぶ。小笠原さんの言葉を借りると社会性のある松たちなのだ。さらにいうと左脳系なのだ。工業製品のような画一的な用材として利用できるものが木材市場で求められる。林業という生業を営む以上はこの社会性のあるアカマツを大量に育成する必要がある。一方で個性的で味わい深い樹形のアカマツは、この場合で言えば社会性がなく業務効率を下げてしまう存在となる。杉やヒノキと違い松は個性豊かな樹木だという印象が強い。それだけに自然を相手にするはずのアカマツ林業としての葛藤がここにある。
社会性がありながらも個性を大切にする時代になってきた。そろそろ林業も多様性を重視した経営方針がまかり通る社会になっても良いのではないだろうか。いわゆる右脳系である。しかし小笠原さんは林業に自由競争がないという。さらに今は木を売るだけでは立ち行かない。山の多面的機能も求められるようになっており、通っていた大学では林学科から地球環境科に変わった。本来は自然のままで人が山のそばにいて林業と名付けて管理していた。国際深林認証FSCの取得などサステナビリティへの価値転換をさせることは当然だが、地域の全ての人に基準を遵守させることは簡単ではない。ただ若年層は目覚めている人材が多く未来は明るいと考えており、鳥獣保護や歴史文化を考えて経営する人も出てくるだろうと小笠原さんは期待している。
写真家として個性あるクロマツやアカマツを求めているだけに、松らしい個性を活かした家具や構造体など用材市場で価値が認められ流通することを願わずにはいられない。小笠原さんは左脳系で仕事をこなすが右脳系で発想する人。とても話が合い常に言葉を重ね合い終わることのない会話が続くのだ。南部アカマツの故郷で、いつまでも続けたい会話があまりにも心地良く、旅のエネルギーを充電させてもらえたのであった。
それにしても小笠原さん親子の作り上げるアカマツの山は美しい。樹齢100年ほどの山は肥料木も成長しているが、間伐を終えたばかり若いアカマツの山は熊笹が繁茂し地上を覆いハーモニーが独特の美しい景観を生み出している。しかし、林業で考えると他の雑木が生えてくれた方が肥料木として機能するので効率的だし、もし苗を植えるとしたら負けてしまう。少なくとも実生発芽を見ることはなかった。それなりに育った苗を植林するしかないのだろう。経営を助ける社会性あるアカマツたち。これもまた日本の暮らしと松が作り出す風景なのだ。
岩手県は県の木が南部アカマツであり、アカマツ林業の中心地である久慈市周辺は森林面積の約3割がアカマツである。岩手県全域にもマツクイムシ被害は侵入しているが久慈市周辺の被害は皆無。やはり日々人の手が入り健全さを維持する松は強いのだろうか。全県に侵入していると言われているのだが、県内で被害が広がっている様子は目視できなかった。山中でも海岸線でもどこへ行っても美しいアカマツが作りだす景観が岩手県には広がっているのだ。
恒例の日帰り温泉は、一戸町にある「来田温泉弁天の湯」。泉質は単純泉。源泉は冷鉱泉のため13.2℃。療養泉ではないがメタケイ酸が基準を大きく超えているため温泉法により温泉となっているようだ。しかしお湯は滑り感がとても強くあり十分に温泉だと感じる。メタケイ酸は天然の保湿成分で肌の新陳代謝を促してくれる美容成分らしく確かに湯上がりの肌は昨日に続いてスベスベで気持ちがいい。今夜の車中泊は雷雨が激しい。
フォレストワーク株式会社の小笠原巨樹さん(撮影:Hasselblad 907X CFV II 50C + XCD4/45P)