(「桜前線と伴走の東北(2)南部アカマツの故郷」より続く)

 

4月19日 7日目 アカマツが点在する風景をゆく

 

今日は夕方までに三王岩に辿り着ければ良いと考えているので、寄り道大魔王な1日を過ごすつもりでゆっくりスタート。「米田のシダレ赤松」に向かう途中、小高い山の稜線にはアカマツが並び、のどかな田園風景に大きくはないが1本松が佇むので寄り道。

軽米町小字小軽米はなだらかな斜面に小さな地区で、その斜面の中腹に「米田のシダレ赤松」は佇んでいる。とてもおおらかな景観が広がっていた。平成10(1998)年に設置された軽米町教育委員会の看板によると岩手県内最大のシダレ赤松で根本周囲は5.5m、推定樹齢は370年とあるので今年は397年、推定樹齢400年といえる。周辺を歩き回ってみて、シダレ赤松がこのおだやかな地区全体の光景に佇む状態を構図としたいと考えた。

続いて青森県に北上し階上町にある「角柄折の夫婦松」に向かうが、途中やはり軽米町内の上舘地区の県道20号線沿いに1本松が佇み背景の小高い山で青々として佇んでいるのは全てアカマツという風景を見つけ寄り道。少し進むとなだらかな丘陵地帯に青々と佇むのは全てアカマツという場所も見つけて寄り道。青森県に入ると見覚えのある道となり、去年の今頃に階上岳の松に辿り着けずこの辺りを何度も走り回っていた道だと気づく。

「角柄折の夫婦松」はグループホームの敷地内の綺麗に手入れされた緑地に佇んでおり、ちょうど桜が五部咲き程度で彩を添えてくれていた。残念ながら推定樹齢は不明だが目視では少なくとも200年程度以上には見える。

この後は一気に宮古市田老まで南下するつもりで八戸久慈自動車道を走り始める。この先は久慈市を過ぎると野田村、普代村、田野畑村は多くの撮影ポイントがあり昨年も良く走り回ったお気に入りのエリア。自動車道から野田村の十府が浜が見え一つのアングルを思い付き引き返して寄り道。夕暮れの過ごしやすい時間を津波で歪んだ防潮堤で過ごす。

宮古市田老にある「三王岩」は松韻を聴く旅では大切にしたい撮影ポイントなのだ。1億1千万年前の恐竜時代の白亜紀前期の地層から誕生したとあり、高さ50mの男岩、高さ23mの女岩、高さ17mの太鼓岩がバランスよく並ぶが東日本大震災にも耐えた力強い岩たちなのだ。その岩肌は多様な地層が見てとれ地学的にも貴重なフィールドであるようだ。潮風トレイルのコースでもあり三陸ジオパークのジオサイトにも指定されている。男岩の頂上にはアカマツが林立する。多分ここ数十年、いや数年が男岩とアカマツのバランスが絶妙に取れた時期になるのではと思える。現在とてもいい面構えなのだ。対岸の稜線にも見事にアカマツだけが立ち並び美しい景観が成立している。日没前に到着し撮影したが、今日からしばらくじっくり腰を据えて向き合うこととする。

恒例の日帰り温泉だが、この周辺に良質な温泉が少なく、去年も行った岩泉町にある「龍泉洞温泉」まで行くが泉質は弱アルカリ性の人工温泉。しかし足の裏が天然温泉と同じようにジンジンと温まり首周りのコリも癒してもらえた。道の駅いわいずみで写真データの現像処理を行い三王岩の駐車場で車中泊。

 

4月20日 8日目 三王岩に明け暮れる

 

4時半前に起床。すぐに「三王岩」の撮影、早朝の部。曇天で光が回り良い効果だったが6時ごろには空が明るすぎるため切り上げる。仮眠した後、11時ごろから少し北上した「沢尻海岸」でアカマツが岩の断崖に佇む光景が続くのを見つける。海からの冷たい風が入りうっすらとヤマセのような状態になっているのが効果的な光となっている。しばらくすると突風が吹いたと思ったら、生暖かい風に変わり一気にクリアな光景に変化する。ここは潮風トレイルを歩いたであろう人の足跡が続く以外に人の気配がしない。大きな風景を独り占めなのだ。広い駐車場だけがありアプローチがとても簡単な良い撮影場所となるだろう。

それにしても普代村の「ネダリ浜」から宮古の「浄土ヶ浜」まで距離にして約70kmは、ただただ断崖奇岩の上に自然植生のアカマツだけが並ぶ光景が続く感激の撮影エリアである。マツクイムシ被害もほぼ目にすることがないのだ。岩手県の県の木は「南部アカマツ」であるため自治体の意識も高いのだろうか。この旅の撮影の故郷のような場所になってきた。いろんな季節に帰りたいと願う場所なのだ。撮影拠点となる物件が欲しい。

潮風トレイルを歩く人たちはきっとそれぞれに秘密の撮影スポットを持っているのかもしれない。歩くことが目的であればトライしたいのだが、撮影目的で歩くと全く進まないだろう。15時ごろから再び「三王岩」で撮影。曇天の空模様の変化を捉えて絵作りを続ける。しばし休憩し17時ごろから日没まで「三王岩」に没頭する。今日は終日「三王岩」での撮影修行となった。

 

4月21日 9日目 三王岩に惚れ込む

 

4時過ぎ起床。今日も「三王岩」の早朝撮影から。5時過ぎに切り上げて「沢尻海岸」へ移動し撮影。天候を待ち続ける時間が多い。仮眠。再び「沢尻海岸」で岩崖とアカマツの新たなパターンを模索。昼の部、午後の部、夕方の部と午後は時間帯を分けて「三王岩」と向き合う。恒例の日帰り温泉は「龍泉洞温泉」で意外と冷えた体を癒してもらう。

 

様々な天候で撮影した三王岩(撮影:Hasselblad 907X CFV II 50C + XCD4/45P)

 

4月22日 10日目 浄土ヶ浜へ

 

4時過ぎ起床。とうとう「三王岩」4日目の朝となった。風が冷たくヤマセの気配なのだが水平線は霞むが周辺はクリア。早々に切り上げ「沢尻海岸」へ向かい再び「三王岩」。昼前に切り上げて午後の日差しが好ましい「浄土ヶ浜」へ向かう。

典型的な観光地である「浄土ヶ浜」。これまでこの旅で2回訪れたが、いずれも多くの人が思い思いに過ごしその全景を撮影するのは困難だったのだが、今日はほとんど人がいない。いてもすぐに立ち去っていくので存分に撮影することができる。一旦、途中で見えた蛸の浜漁港の崖上のアカマツの勢いが素晴らしい場所へ移動し、再び夕方の光を期待して「浄土ヶ浜」へ。やはりほとんど人がいない。

「浄土ヶ浜」という名称は、天和年間(1681〜1683年)に生きた宮古山常安寺七世の霊鏡竜湖和尚(1727年没)が「さながら極楽浄土のごとし」と七言絶句を詠んだと伝えられている。当時は地元民もほとんど訪ねることがない浄土ヶ浜は舟か獣道でいくまさに秘境で、今でこそ道路があり大きな駐車場からアプローチできるが、海沿いの歩道は岩をくり抜かれていることから少し昔に思いを馳せることができる。

「浄土ヶ浜」で「それはハッセルブラッドですね?」と声をかけられた。この旅を始めて1年と10ヶ月だが初めての出来事だった。それも3人。1人目は年配の男性でミラーレス1眼を手持ちで撮影していた。2人目は重装備に三脚に長めのレンズをつけた若い男性。少し話をしてみると本職はスポーツカメラマンで今回は東北車中泊で作品作りだという。お互いに良い作品作りを頑張りましょうと声を掛け合った。3人目は特にカメラを持たない同世代のような男性。ご自身もハッセルのフィルムを使っていたのですぐにわかったとのこと。人も少なく撮影に没頭でき、夕暮れのおだやかな時間帯だったこともあり、カメラが会話のきっかけになったのはやはり楽しい。

この後どうするかノーアイデアのまま南下することだけを決め、恒例の日帰り温泉をまず探し「富山簡易旅館温泉沢ノ湯」へ。泉質は冷鉱泉(ラジウム放射鉱泉)。駐車場の前にある家にお金を払って、温泉がある簡易旅館の建物に入る。とてもユニークで古い施設だった。確かに湯上がりの肌はスベスベしている。

 

人影もまばらだった浄土ヶ浜(撮影:Hasselblad 907X CFV II 50C + XCD4/45P)

 

4月23日 11日目 碁石浜に至る

 

5時半起床するも雨。デスクワークや二度寝をするうち小雨になってきたので動く。陸前高田市広田町にある「小祝浜」。数年前の写真を見ると崖上のアカマツが青々としているのだが絶望的な光景へと変化している。マツクイムシ前線はここも襲来した後だった。このような光景が北上することをなんとか止められたらと願う。

そこで少し北にある「吉浜」の松林が気になり向かうこととする。ここのクロマツの海岸林は岩手県による潮害防備保安林として整備されておりマツクイムシ被害は目視の限りだがなかった。周辺は松が連続する場所ではなく、飛地となっているので海岸線を北上することはないのではと願わずにはいられない。「吉浜」はこれまで2回ほど足を運んでおり直近は去年5月。その時のブログを以下に記載しておく。

==

大船渡市内を抜けると「吉浜、奇跡の集落」といわれた大船渡市三陸町吉浜がある。岩手日報のHPによると、1896(明治29)年の三陸大津波で200人を超す死者が出て、歴代の村長が職住分離を徹底し高台移転と低地の開墾を進めた。1933(昭和8)年の三陸大津波では17人が犠牲となったが明治より激減。東日本大震災では行方不明者1名であった。他の地域に比べ被害が少なかったことから奇跡の集落と言われている。その吉浜の海岸にはクロマツ林があり下草は刈り取られ木々は青々として健全さを保ちマツクイムシ被害は見当たらない。集落の中心部の道路の真ん中に、大きなアカマツがロータリーの役割を果たすように佇み良い雰囲気を醸し出しているのだが、特に名前があるわけではなさそうだ。意外だが、暮らしに溶け込んだ松のある景観ほど素敵なものはない。

==

宮城県に向けて南下を開始すると大船渡市がヤマセのような霧に包まれているではないか。これを待っていたのだ。しかし全く想定していなかったため急ぎ至近の松の名所でもある「碁石浜」に向かってみる。ここは去年も歩き回って空振りに終わっているだけになかなか思うような構図が得られず気持ちは焦るが、これこそ修行でありなんとか幻想的な松の風景をおさめたく試行錯誤しているうちに日没を迎えた。

「吉浜」と「碁石浜」で実感したのは、1年10ヶ月の撮影旅を積み重ねて、その場所らしい構図を探し出す眼力は明らかに養われてきているということだ。全国各地の松がある風景を見てきて、その土地らしさを構成している要素を把握して構成する力が養われてきているようだ。実際に歩き回ってアングルを探すその目が進化している。この修行を続ける意味を見出せたように感じる。

 

マツクイムシ被害を受けた小祝浜(撮影:Hasselblad 907X CFV II 50C + XCD4/45P)

 

4月24日 12日目 気仙沼大谷

 

4時半起床で少しヤマセのような霧がかかる気仙沼市大谷海岸。ここは「大谷里海づくり検討委員会」の奮闘で海岸線に計画されていた巨大防潮堤のセットバックを実現し海との暮らしを守り抜いた場所とも言え、「道の駅大谷海岸」はその象徴的な施設となっている。大谷海岸の北隣には海から断崖のように見上げる大谷北尻防潮堤が松の風光明媚な景観を損ねてしまっているが、砂浜が守られた「お伊勢浜」や岩井崎など松の名所は残されたがマツクイムシ被害が入ってきている。ヤマセが少し晴れてきてしまったので、東松島市に南下し広い田園風景に佇む「笠松」へ。さらに南下して名取市閖上の無名の一本松へ。

「名取トレイルセンター」に立ち寄って見たら「伊能忠敬」の書籍に目がいき、自宅の書棚に眠っている伊能忠敬研究会による「忠敬と伊能図(発行アワ・プラニング)」を久しぶりにめくりたいと思う。井上ひさしの「四千万歩の男」を出版された当時に読んだことを懐かしく思う。50歳で引退し、天文歴学を学び、暦を明らかにするため緯度1度の距離を測り地球の大きさを知りたいという目的が、「伊能図」と言われる「大日本沿海輿地全図」の快挙となる。この知識を蓄え後半生に日本中を旅して誰もなし得なかった成果をあげるということに憧れる。ささやかながら松の写真を極めたいと思う。この後、常磐道で一気に帰宅する。今回の走行距離は2,300km。

 

(「九州・四国、心残りの場所へ再訪(1)」へ続く)