(「晩夏の東北」より続く)

 

10月8日 石巻街道の笠松と共にある家族の物語

 

前夜18時に自宅をスタートし東北道の佐野SAで仮眠。8日8時ごろに松島到着。新版画の川瀬巴水が描いた月の松島をイメージして定着させたいというのが目的。どの位置から月が出てくるのか。松越しの島陰に月の道ができるのか。今年の4月に松島の桜を撮影した時は偶然にも満月で、たまたま”月の松島”を撮影できてしまったのだ。しかしまだなんとかなるのではないかと思い続けて秋を迎えたのだった。

日中は青空と厚い雲が広がる状態が交互にやってくる。夕方までは東松島方面で過ごすことにしてまず野蒜海岸に向かう。津波後の荒涼とした風景から見ていたが、松の撮影ポイントとしては外せない場所だと考えつつも納得できるものが撮れていない。今日もこの土地らしい岩山の上に佇む松に絞って撮影する。

東松島市矢本笠松と地名にまでなっている「笠松」に向かう。広大な農地に遠くからもその美しい樹形が見える絶好の撮影地なのだ。

撮影していると、笠松のすぐ横で収穫後の田んぼの掘り起こし作業している男性が声をかけてくれた。男性は桜井勝吉さん。この松は桜井さん一家が代々守ってきたというのだ。枝が落ちてきたら農作業の時に危ないので、三脚や道具を工夫して高所にある枝も切って整えてきた。そのためか、この笠松には突っかい棒が1本もない。自立しているのだ。樹形が美しいのはそのためかも知れない。とてもフォトジェニックな松なのだ。

桜井さんは、ヒイおじいさんから聞かされた話だと言って話してくれた。少し補足しながら記してみる。ちなみにヒイおばあさんは、嫁いだ日からこの松の手入れが始まったそうだ。寛文年間(1661-1672年)新田開発で整備された石巻街道の両側には松並木があった。笠松はその名残りの松だと言われている。当時の街道は現在のJR鹿妻駅の手前で国道45号線から旧道に入り、踏切を渡って国道45号を横切り直進して笠松のすぐ横を通って矢本宿に入っていた。

笠松付近では少し道が折れていたそうだ。そのため人が集まりやすい場所だったようで、今の自衛隊基地のある場所に首斬り場があり、笠松の近くは晒し場だったという。明治時代になって道を拡張する計画が上がり並木の松を切り始めた。すると集落でよくない出来事が続いたので途中でやめたそうだ。結果的に、笠松は残され数百メートル離れた位置に新しい道路が作られた。桜井家の田んぼも昭和40年代に区画整理され、笠松のある小高い土地の周りにあぜ道がつけられ東松島市の所有となった。近年でも田んぼを耕作していると、拡張工事の名残りの大きな砂利が出てきたそうだ。

桜井さんは現在64歳。東日本大震災の際、お爺さんは揺れた直後にラジオをつけて大津波警報を知り集落全軒に避難するように伝えて回った。桜井さん自身も仕事場にいてかろうじて津波被害にあわず高台避難できた。しかしで自宅は浸水した。水が引く前には屋根が見えていたので期待したが、水が引いてみると柱4本に支えられた屋根だけが残っていた。自衛隊基地の大きな漂流物、タンクや軽自動車などが家の周りに散乱していた。隣人から、大きな漂流物が桜井さんの家を突き破ったが、自分の家までは来なかったので壊れず助かったんだと聞かされた。

笠松周辺の桜井さんの田んぼも浸水し大きな漂流物をボランティアのおかげで除去できたが2年かかったそうだ。その後でも田んぼを掘り起こしていると、ガッと何かに当たり引っ張り出してみると大きなアルミサッシだったこともあったそうだ。

桜井さんは覚えていないが、ご両親が農作業している間、幼い桜井さんが田んぼに落ちては大変なので、笠松の横にある石碑にベルトバンドで犬のように繋がれていたと聞かされたそうだ。今はそんな笠松の下で桜井さんはお昼ご飯を食べたり休んだりする。農作業の合間に季節ごとに草を刈っている。特に自衛隊のブルーインパルスの展示飛行があるときは決まって市役所から「そろそろキレイにしてもらえたら嬉しいのですが」と連絡が来る。航空ショーの時は周辺の人たちがこの松の周りにも集まって見物する。笠松なしに桜井さんの人生は語れないのだ。

さて笠松である。田んぼに囲われるように佇んでいるので長年に渡って地中は養分たっぷりなのだろうと桜井さんはいう。津波に浸水しても水はけがよく塩害で枯れることはなかった。推定樹齢は300年。代々桜井家の農作業のおかげで養分豊かな状態で元気に生きてきたのに違いない。今も樹勢は素晴らしくマツ材線虫病を寄せ付けない雰囲気が漂っている。やはり松は人の手が入ってこそ健やかに過ごせるのだ。感激の物語である。

涼しい風が抜け松韻が聴こえてくる秋の夕暮れ。ご自身の人生に大きく佇む「笠松」の話。この旅の中でもとびきり記憶に残るであろう時間となった。初めて1本松の巨樹を背景にポートレイトが撮れたのだった。

さて、月の松島である。気温は程よく快適な日没。17時ごろからスタンバイ。月の出は17:32。日没は17:10ごろだ。あらかじめ予想していた、まさにそのあたりから空の色の変化もなく突然出てきた。みるみる間に登っていく。夜の帷も降りてくる。あっというまの30分。月の出の場所が川瀬巴水の構図のようにはいかず右往左往して松のシルエットと島陰がハマる場所を探すが今回は難しかった。日帰り温泉は、創業200年以上で瑞巌寺ゆかりの昔ながらの湯の原温泉元湯「霊泉亭」は単純冷鉱泉。源泉は13.1℃。

 

石巻街道の笠松(撮影:Hasselblad 907X CFV II 50C + XCD4/45P)

 

10月9日 霊場松島を体現する雄島

 

5時半起床で松島撮影。今回は霊場松島を島全体で体現するような「雄島」を対象にしてみた。松島観光協会のサイトによると、現在は50程度しか残っていないが108の岩窟があったといわれる雄島。岩窟の中には五輪塔や壁面に法名が彫られ、死者の浄土往生を祈念した石の塔婆の板碑が佇み霊地そのものなのだ。中世の松島は「奥州の高野」とされ死者供養の霊場だった。つまりこの雄島から望む松が佇む多島美が極楽浄土の風景だったのだ。現在ではなかなかその心境には至れないが少しでも気持ちを込めてアングルを探求する。訪れるたびに季節も天候も違い見えてくる風景は変化しているのは確かなのだ。納得できる瞬間がきっと訪れるだろう。

夕方、再び月夜を期待するが雲が厚い。月の出は18:09だ。太陽と違い月は1日で30分動く。日没は17:10ごろと昨日とほぼ変わらないので、明度の条件が全く変わってしまう。さらに昨日に比べて季節が違うほど寒い。ここまで気温が下がるとは天気予報からも推測できず対応する服装を持ってきていないのだ。しかし日没とともに雲が流れ始める。真っ暗になってから晴れてきた空に月が顔を出すが光が強すぎ松のシルエットを浮かび上がらせる撮影が難しい。技術的な未熟さを痛感する撮影となった。

知識が足りないからなのか、恥ずかしいことだが正直に記しておくと、Hasselblad 907X CFV II 50Cの夜間撮影はモニターの反応は鈍く真っ暗で何も写らない。つまりノーファインダーでアングルを定めシャッター設定も勘を頼る。撮影後にモニターに写る結果を見て修正していくのだ。その結果もPC画面でみるよりも暗く推測するしかない。その上でハレーションを起こす強い光となった月夜の撮影は本当に難しい。

 

霊場松島を体現する雄島(撮影:Hasselblad 907X CFV II 50C + XCD4/45P)

 

10月10日 天童高原の老松

 

5時起床。昨日の撮影を踏まえて、極楽浄土の眺めを今日の空模様なら表現できるのではないだろうかと期待して早めに雄島に向かう。あえて昨日の撮影データを見ずに同じ場所で今日の気分でアングルを設定し撮影する。スポーツで言えば練習したスイングをなぞるようにボールを置きにいくのではなく振り切って運ぶ感覚だろう。2時間ほど撮影。

天童高原に向かう。今年の雪深い1月29日に初めて訪れ、スキー場のゲレンデの脇を膝まで埋まりながら辿り着いて撮影した「しめ掛けの松」。今日は車で横付けできる。その昔、山岳信仰が盛んだった頃、険しい山道で辿り着くのが簡単ではなかったので、この松にしめ縄と御礼を掛けてから向かったことから名付けられた。推定樹齢は不明だが幹周りは4mを超える立派なアカマツ。今日は遠く山々の稜線が望め今のところ日本で一番見晴らしの良い松であることが確認できた。人々が願掛けをした時代に思いを馳せてアングルを探求した。

前回はあまりに雪深く辿り着くことができなかったアカマツに向かう。天童高原の麓にある田麦野地区に佇む巨樹「田麦野のかさまつ」だ。天童市立高原の里交流施設ぽんぽこの駐車場から山の斜面を上がっていく。踏み固められた道らしき急斜面を登ると真っ赤に枯れ上がった巨樹が目に入ってきた。間に合わなかったのだ。マツ材線虫病だ。今シーズンの被害であることは間違いない。近くに立てられた天童市教育委員会の看板には、「枝張りは東西南北とも約22mの見事な赤松で、県内最高の太さを誇る老樹である。樹勢、樹形ともに良く、風雪に耐えてきた年輪の重さが感じられる。樹齢600年以上(推定)、根周り4.32m、目通し幹周り3.65m、樹高18.5m」とある。悲しい。幹はまだ生きているように見えるので、長谷川等伯の「老松図」をイメージして撮影する。根元には小さな石の祠が並び背景には稜線が望める。悲しいが作品として残すことはできたのではないだろうか。せめてもの供養になればと思う。

日没が近づくと雨が降り始めた。これから帰路につく。日帰り温泉は源泉掛け流しの「百目鬼温泉」に向かう。泉質はナトリウム塩化物泉。源泉温度は59.6℃。確かにいいお湯だった。一気に走り切ることができず東北道のSAで力尽き、翌日帰宅する。

 

天童高原に佇むしめ掛けの松(撮影:Hasselblad 907X CFV II 50C + XCD4/45P)

 

(「七尾で等伯の松たちに会う」へ続く)