(伊豆半島と旧東海道の夏(3)街道並木を考察するより続く)

 

9月10日(火)、11日(水)標高1,000mの松に会う

 

10日は新潟の新津は37.2℃と9月の歴代1位を更新、11日は全国152地点で猛暑日を記録した。四方からとても勢いのある入道雲が立ち上がり、9月も中旬だというのに危険なほどの暑さを維持する夏が続いている。

茅ヶ崎の自宅から山梨県の大泉方面に向かう。「吐竜の滝」には1本の松が佇むのだが、あまり被写体として考えられていないようで独自の世界観を探る。9時を過ぎてもまだ日陰が多く気温も25℃ほどで涼しい。

次に長野県の「茅野市尖石縄文考古館」に向かい、二つの国宝土偶「縄文のビーナス」「仮面の女神」に会う。「縄文のビーナス」は1986年出土、1995年に国宝指定。「仮面の女神」は2000年出土、2014年に国宝指定。いずれも展示された現物よりも出土時に撮影された写真の方が気になる。とても良いのだ。

「縄文時代ガイドブック 勅使河原彰(新泉社)」によると、縄文時代は諸説あるが、世界史に照らし新石器時代に開花した地域文化が縄文時代の文化とする説を有力と捉え約11,500年前に始まったとされる。1972年から発掘調査が始まった「鳥浜貝塚」や1992年から発掘調査が始まった青森県の「三内丸山遺跡」などによって野蛮な縄文人というイメージを覆し、自然と共に生きる知恵ある縄文人の姿が明らかになったそうだ。SDGsが環境・社会・経済の好循環を目標にしているが、その原点は縄文人が長い歳月をかけて築き上げていたのだ。縄文時代に興味が湧く旅となった。

「尖石遺跡」は1893年に学会に報告されて以降、脈々と発掘が続いている。明治以前はここに縄文人の豊かな暮らしがあったことは全く知られていなかったのである。それでも多くの人々は、この地で豊かな暮らしを続けてきていた。きっと、ここはいつの時代も安心で安全な暮らしが維持できる場所なのだろう。そう思いながら、黄金色に輝く高原を走っていると、樹齢を重ねた赤松が立ち並ぶのが見えてきた。これまで見ていた用材林として植林された樹齢50-60年ほどの赤松林とは明らかに一線を画した老松たちなのだ。

小さな駐車場に入ると看板があった。

「風除けの松」は、江戸時代に八ヶ岳山麓の田園を風害から守るためにつくられた防風林。松は炭だけでなく松脂を蒸留してつくるロジンなど多岐に渡り活用され、人々の暮らしに役立ってきたとある。また、地域の人々は松が成長し枝の位置が高くなると新たに植樹して防風林としての機能を維持してきたようだ。新しい大きな切り株があった。見えにく部分もあったが試しに年輪を数えてみると少なくとも250年はあった。

気温の低い茅野市では、冷たい風は米の大敵で、300年前に植えられた防風林は現在も地域の財産区によって大切に維持されている。東西約650mに約50本が並ぶ。この景観は2013年「ふるさと景観百選市民投票ジャンル別(木・花部門)第1位、総合でも第4位に選ばれているという。桜ではなく松が選ばれている点に注目したい。

風除けというだけに見晴らしいの良い場所に立ち並んでおり、数百年も風を受け続けて成長しているので枝ぶりも良く被写体としてもとても魅力的。方々から立ち上がる入道雲を背景にするため、さまざまな方向から撮影を試みることができる。事前調査から完全に漏れており出会い頭の風景であったが、まさに立ち去り難い場所で季節を変えて再訪したい場所となった。

今回の車中泊は、タウンエースの代車でハイエースのキャンピングカー。恒例の日帰り温泉は「蓼科温泉浴場」。蓼科三室源泉は湧出口温度83℃、湧出量毎分2,200リットル、泉質は酸性ナトリウム塩化物・硫酸塩泉の掛け流しで、名湯中の名湯という記事が壁にあった。ちなみに600円。翌朝は「湯川温泉河童の湯」にも入った。ここも古くから地域に愛されているようだ。源泉アルカリ性単純泉の56.0℃。ちなみに400円。それと両日とも昼ごはんはお蕎麦を食べた。「手打ち蕎麦12ヶ月」「きくらげや」のいずれも集落の中にある古民家を再生し美味であった。

茅野市の風景と歴史と蕎麦と温泉に魅せられた2日間。標高は1,000m以上あり、日差しは強いが気温は日中でも30℃未満で、車の移動は窓を開け放ち冷涼な風を受ける快適なドライブだった。

 

風除けの松(撮影:Hasselblad 907X CFV II 50C + XCD4/45P)

 

(晩夏の房総半島(1)へ続く)