(真冬の桜。河﨑晃一さんへより)

 

芦屋の病室で一人の女性が人生を終えられた。その手元には僕の写真集「芦屋桜」があったと聞かされた。いつも特定のページを開いていたそうで、まるでそのページを見ながら天国に行かれたようだったという。突然にそのような話を聞いて、驚くと同時に、写真家冥利に尽きると正直に思った。

その女性は長く寝たきりで、お見舞いに来られたご友人からこの写真集を受け取られたそうだ。どんな気持ちで僕の写真集をめくってくださっていたのだろう。どんな気持ちでそのページを開いてくださっていたのだろう。

 

いつも開かれていたページの写真(写真集「芦屋桜」より)

 

この写真集「芦屋桜」は、阪神淡路大震災から20年目に出版したもので、僕にとってはひとつの大きな節目として出したものだった。

1991年に関西支社に転勤し、久しぶりに実家に戻ったことをきかっけに自分探しのために少年の町である芦屋を撮り始めた。そして1995年の阪神淡路大震災でタンスの下敷きになり、破壊された少年の町を人から怒鳴られながら撮り歩き、一年後に咲く桜を見上げたことで自分は生かされたんだと気づき写真を撮り続け、震災から10年後に「一年後の桜」を出版した。

この写真集をテーマに、朝日放送の報道の方から取材をしたいと連絡があり、桜を撮る僕に1日密着して夕方のニュース枠で特集として放送してくれた。久しぶりに桜が満開の芦屋の町を歩いてみて、郷土愛をこの風景で表現してみたいと思って始めたシリーズが「芦屋桜」だ。毎年3月の下旬が近づくと、実家の母に開花状況を電話で聞いたりして、故郷との絆を実感しながら帰省する週末を絞っていき撮影を始めて数年が経った。

ある時ふと、震災から20年の節目である2015年が近づいていることに気づいた。東北の復興支援にも足を運びながら、このシリーズを撮りまとめることで、町を見る被災者の目の変遷や、今は先が見えない被災地の人への応援も表現できるのではないかと考え、この節目に写真集にして残したいと考えた。

町は生まれ変わり若返ったけど、桜は年老いていった故郷。年老いた人が新しい町を横切れば、震災を知らない子どもが走り抜けていく。こうして、町は破壊と再生を繰り返しながら人の暮らしを刻んでいる。そんな芦屋を、桜を通して力まずに自然体で淡々と編んでみたい。そして、桜を愛する女性がフッと胸に抱いてくれるような体裁の写真集にしたい。女性の出版社の社長さんに女性のデザイナー。お二人にそんな依頼をした。「芦屋桜」とは、そんな写真集なのだ。

今日は3月1日。気候変動が進み、日本の桜も3月に駆け始めるようになって久しい。今年の芦屋桜はどの週末が満開なんだろう。久しぶりに満開の芦屋を撮り歩きたいと思う。

さて、この話を伝えてくださったのは、全く別件でお会いする約束をしていた全国コミュニティ財団協会の深尾昌峰さん。深尾さんは「芦屋桜」の表紙にある「川廷昌弘」と、打ち合わせをする「川廷昌弘」とがつながるまでの不思議な体験を語ってくださった。全てを聞いた僕は会議室で不覚にも涙腺が崩壊寸前だった。写真家として死ぬ覚悟がまたひとつできた。写真の道を信じて良かった。ご縁に感謝。

そして、深尾さんからのミッションで、女性が持っていた写真集にサインをさせてもらった。

「この写真集でお花見をしていただき、ありがとうございます。 川廷昌弘」

 

(デジタルでの撮影「芦屋桜」歩き始めへ)