中判デジタルで撮影する3年目の芦屋桜。毎年、関西は都内の1週間遅れで満開となっていたが、ここ数年は都内も関西も同じタイミングで満開を迎えている。気候変動の影響が出始めているのかも知れない。しかし、過去3年の撮影の日付を見ると2021年は3月30日から4月2日、2022年は4月1日、2日、そして今回も4月1日、2日で満開のピークはぴったり同日が続いている。

今年もよく歩いた。1日は昼過ぎからだったので3時間ほどで11,000歩、2日は朝から夕方まで31,000歩。距離にして34kmほど歩いている。これまでの2年でほぼ芦屋市内の全域を歩き終えているので、今年は深堀がテーマになるかなと思いながら、いつものようにあてもなく気ままに歩き始めてみた。撮影基準は、例年通り僕が芦屋らしいと感じるシーン、邸宅の庭木や街路樹として佇む桜樹である。

結果的には、川西町周辺の桜樹でようやく納得できるものが撮れたり、2020年からコロナ禍で中止していた芦屋さくらまつりが4年ぶりの開催となり、自分なりに雰囲気を捉えることができた。

 

芦屋さくらまつりの賑わいを業平橋から(撮影:Hasselblad 907X CFV II 50C + XCD4/45P)

 

故郷の桜を撮る作業について振り返ってみると、1995年の阪神淡路大震災に立ち戻ることになる。あの揺れで僕はタンスの下敷きになり、桜の季節は被災後の混乱で咲いていることにも気づかず過ごし、夏頃になって被災者の想いとして来年の桜を見たいと思い「一年後の桜」と名付けて撮影することを決め、当時の芦屋市立美術博物館の学芸課長だった河﨑晃一さんに撮影したら見て欲しいと話に行ったのだった。

その後、大阪のサードギャラリーAyaの綾智佳さんから震災後は写真を撮っていますかと突然に連絡をいただき、「一年後の桜」のファイルをお見せして1998年に個展を開催することができた。その後は復興していく芦屋の撮影をしていたが、これををどのように編集するかを考え思い切ってニコンサロンの審査に出し、銀座ニコンサロンで個展「ロスト・マイ・ワールド」を開催することができた。その後も撮影を続けていたら、母校であるビジュアルアーツ大阪の当時学長だった百々俊二さんたちに声をかけてもらえて、ビジュアルアーツ・ギャラリーで企画展示「一年後の桜クロニクル1991-2002」を2003年に開催させてもらえた。そして震災から10年の節目である2005年に、蒼穹舎の大田通貴さんに作品を編んでもらい写真集「一年後の桜」として世に出すことができた。写真家として芽吹こうとしていたあの頃に、多くの人に支えていただいていたことをつくづくと思い返す。

大変に残念なことは、最も身近なところで見守っていただいた河﨑晃一さんは2019年の冬に他界された。まだまだ作品を見てもらいたかった。しかし言葉をいただいている。河﨑さんが写真集に記してくださったその言葉を励みに写真を撮り続けることができている。これからも支えにしていく。

河﨑さんのお通夜の日に記した2019年2月13日のブログはこちら

2022年4月3日のブログに2015年に出版した「芦屋桜」のことなどを記した

このシリーズの撮り始めの2021年4月3日ブログの心意気も読み返してみた

2021年は3日間で74,000歩で約60km!、2022年は2日間で53,000歩で43km!、3年間で137kmを歩いて撮影したことになる。さて、今年を撮り終えて実感していることは、その場所その桜樹にフィットする人物との出会い頭をもっと体験したいということだった。芦屋の平日の日常も、さくらまつりのような非日常も、人物の配置によってバリエーションはまだ増えるだろう。

これまでの写真集は全て親父から譲り受けたフィルムカメラHasselblad 500CにPlaner C80mmレンズ1本だったが、この3年で新たな愛機 Hasselblad 907X CFV II 50CにXCD4/45Pレンズ1本で撮ることがとても馴染んできた。来年の芦屋桜を撮るのを今から楽しみにしている。

2025年で阪神淡路大震災から30年の節目を迎える。このタイミングで形にしたいと思う。

 

茶屋さくら通り(撮影:Hasselblad 907X CFV II 50C + XCD4/45P)