(九州紀行第3弾(4)阿蘇へ久住へより続く)

 

17日目(11月28日)気になっていた幣(にぎ)の浜へ

 

「道の駅ゆふいん」から大分自動車道で糸島市へ向けて快調に走り始めたが、ごくごく身内に久留米出身のナイスガイが加わったこともあり、ちょっと「久留米城址」に寄り道。ここも松に呼ばれた場所だと感じるのは、何の根拠もなく確信して予想していた通り、大きな松が石垣を背景に林立していたのだ。冬型の天候で太陽が顔を出したタイミングで撮影。もちろん動き回ってアングルを探す必要はあったが、無名の松が存在感のある作品になったと思う。

さて昨日、急遽で決まった糸島市「松林保存会」会長の蓑田昌治さんと14時にお会いする約束。早速「幣の浜」を歩き現状をお聞きした。今日は強風で玄界灘もそこそこの荒れ模様。サーフィンとウィンドサーフィンが数名。

先月、初めて撮影に来て風景を見て感じた通り、環境保全の観点から薬剤の散布をやめたことでマツクイムシの被害が広がり壊滅状態へ。いろんな動きがあったが、保存会が行政との連携を丁寧に行って「糸島市アダプト事業」の運営委託を受け、10を超える団体の活動を維持して現在に至る。大変な力技だったと思うが蓑田さんは笑顔で語る。

蓑田さんの基本的な管理方法は、植樹した松苗が下草よりも大きく成長するまでは徹底した草刈りを行うが、ある程度成長したら蔓草の刈り取りなど成長を害する要因となる最低限の手入れにとどめ、松の生命力に任せている。

その成果は、植樹の時期がブロックごとに違うので、着実に成長している状況が時系列に把握できた。約6km、32haの広さがある「幣の浜」の松林を長期にわたって管理を行き届かせることを考えると、とても現実的な手法だと理解できる。

続いて唐津寄りにある「福井海岸」に行く。護岸工事を行なっているが、関係者のみ松林の林道を入っていける。松を縫うように走れるのは何だか嬉しい場所だ。樹幹からは海が見え、地面は砂地の上に松葉だけが落ちている状態で、とても美しい松林になっている。やはりここもアダプト事業を行っており、ボランティア活動ではあるが企業団体の参画によって、健全な松林の姿が取り戻せている。事業化だけでなくボランティアでも、その地域や地形や規模に応じて、健全で秩序ある松の風景が未来にバトンを渡せることをここでも学べた。

「幣の浜」と「福井海岸」で蓑田さんのポートレイト撮影を行った。いずれも良い光線で撮ることができ手応えがあるのたが、やはり数を重ねた福井海岸のものが、本人の表情も撮る側の指示も呼吸が合っていて良さそうだ。この人物撮影だが、やはり難しい。その人らしさ、その土地らしさ、その時の撮影条件、そして被写体との距離感、ポーズと考えるが、どうしても松林の中で撮ることが多いので、似たようなタイプの写真が増えてしまっている。被写体の個性は全く違うのだが、同じ目的で取り組んでいる人たちは良い表情が似ているとでも言うのか、撮影者としてもっと修行が必要であることがわかって有り難い。

体が冷えてきたので、蓑田さんのお誘いで筑前前原駅の近くにあるカフェ「お茶まろ」へ。行ってみると2人が座ってちょうど満席と賑わっている。全員から蓑田さんに声がかかって顔馴染みであった。帰り際に店長さんをはじめ、地域ガイド、元大手企業の有識者、イベントコーディネーター、旅館の女将などなど皆さんに名刺を渡すことに。松林保存会は、こういった地域の人脈の中で行政との連携を維持し、次の世代に糸島市内の松林を残そうと奮闘してい本流なのだ。

さて、明日は三苫の「循環生活研究所」でランチにお呼ばれしているので、この周辺でまだ行っていない日帰り温泉を検索し、少々山越えをして30分弱で行ける「三瀬温泉やまびこの湯」にしたが、ループ橋を渡り有料トンネルを抜ける必要があるドライブであった。標高も上がったのでグッと冷えてきた。泉質は低調性アルカリ性冷鉱泉で少しぬめり感があり、内湯も露天も広くて人が少なく快適な温泉でゆっくり温まった。

車中泊は海まで戻ろうと思ったが、疲れているので無理をせず三瀬村で見つけたサービスエリアにした。

 

蓑田昌治さん、幣の浜の植林地にて(撮影:Hasselblad 907X CFV II 50C + XCD4/45P)

 

18日目(11月29日)ローカルフードサイクリングなランチ

 

三瀬村で見つけたサービスエリアには、マフラーを改造したバイクの乗る若者グループや、低い排気音の車に乗ったカップルなど、真夜中まで入れ替わり立ち替わりやって来た。車中泊の場所選びもまだまだ経験が必要だなあと実感する夜だった。

午前中は糸島市で松のある風景で気になっていた場所を巡ることにした。まず昨日の福井海岸へ向かい撮影。次に道路から見える鳥居がある小さな岩の島に松が生い茂っている。ここ箱島神社は、3つの祭神の1つに故郷に近い西宮大明神(西宮恵比寿)とある。えべっさんは商売繁盛の神だと思っていたが、世を救う神、大漁の神として、海産物を交易する市場、商店の守り神として信仰されと看板にあった。この箱島神社のようにまずは漁民の信仰から始まったのだろう。江戸時代に商売繁盛の信仰も合わせて全国に広がったようだ。最後に幣の浜に行き、植樹され何年か経過し下草もなく松葉の絨毯になっているエリアで撮影して糸島は終了。

先月、松葉の堆肥作りで撮影取材し意気投合したローカルフードサイクリング(LFC)のたいら由以子さんにランチのお呼ばれ。いつも社員のみなさんはLFCコンポストで育てた野菜で料理されていて、今回のようにゲストも一緒に食べているそうだ。NHKのサラメシでも取材を受けている。

とてもボリュームのある食卓で、食べ切れるかなと思ったけど、新鮮な食材だからか全く問題なく完食。幸せなランチタイムをご一緒させていただいた。その後、たいらさんが構想している話を聞かせてもらって思うことを語り合った。まだ会って2回目だが、とても話しやすく新たな刺激をもらえる良き友人である。

夕方のフェリーの時間に合わせて最後の撮影ポイントは、「日本松保護士会」会長の沖濱宗彦さんに教えてもらった門司駅近くの街道松。ここは九州の入り口とも言える立地で、門司から小倉に至る門司往還の大里宿。小倉から唐津街道、長崎街道、秋月街道、中津街道と九州全土へ広がっていくが、本州から渡った人は誰もが門司往還の大里宿を行き来したであろうと思う。そしてこの街道松は大名行列や旅人たちを見守ったのだろう。大里宿から手向山までの約2kmほどの海沿いの街道筋に松並木が続き、玄界灘に夕日が沈むため「入日の松原」と呼ばれていたらしい。

そんな思いを写し込みたいが、今は1913(大正2)年に帝国麦酒として建設された北九州麦酒煉瓦館と赤煉瓦交流館の前に立ち、「門司赤煉瓦プレイス」として再開発されたエリア。とてもモダンで素敵なロケーションに樹齢350年と言われている江戸時代の松が佇んでいるのだ。夕暮れの光の効果を期待して、時空を超えて江戸の旅人や文明開化に立ち会う人たちを思いシャッターを切った。

この街道松の撮影で、今回の「松韻を聴く旅」九州第3弾は終了し、ほぼ九州全域の松の撮影を終えた。これまで瀬戸内、四国、九州と巡って来た。すでに雪の便りが聞こえているが、今後は日本海側や東北方面の雪化粧に佇む松の撮影に向かいたいと考えている。

 

門司赤煉瓦プレイスに立つ大里宿の街道松(撮影:Hasselblad 907X CFV II 50C + XCD4/45P)

 

19日目(11月30日)富士山を眺めながらクールダウン

 

門司港を出たフェリーが朝7時に神戸六甲アイランドに到着。九州を駆け巡った17日間があっという間の過去になりそうな感覚だ。

北九州市「黒崎」から始まり、福岡の「百道」や「海の中道」、そして唐津から「壱岐」に渡り、暴風のため1日足止めとなって多様な空模様の撮影ができ、「石木ダム」の現場に行き大村湾を下って「島原」から「天草」へフェリーで渡り、熊本市内を抜けて「阿蘇」に至り、「湯布院」を経由して再び玄界灘へ出て「糸島」に至り、福岡でローカルフードなランチにお呼ばれして最後は「門司」で九州の入り口に佇む街道松を撮影。

日々の温泉探索も勘が働くようになって毎晩のように素敵な施設を満喫。混浴の露天も体験。

今回も無事故無違反、トラブルもなく、天候はTシャツからダウン着用まで変化が激しいけど、常に前に前にと、迷ったら前進する判断をしたのが良かったのか、晴れ男ジンクスは維持というより最適な撮影条件が行く先々で展開されるという恵まれた日々だった。

道幅が広く走りやすい新名神、新東名は、そんな旅の記憶に胸を熱くしつつ、クールダウンして自宅へ帰る大切な時間となる。16時に帰宅。

旅先で出会った皆様に感謝。Facebookを読んでくださった皆様に感謝。

 

今回の走行距離は3,330km。全走行距離は17,000kmを超えた。

使用ガソリン326.68リットルで排出したCO2は758kgだったが、最小単位の1トン分を購入した。

 

(冬の東北紀行第1弾(1)いよいよ雪国へ に続く)