(病室に満開の芦屋桜より)

 

芦屋桜の撮影を再開した。

2019年の桜は、どんな機材で撮影をするのか考えCANON EOS 5D Mark IIIでスクエア画角での撮影にトライしてみた。そして2020年の桜は、コロナ禍の感染拡大で1回目の緊急事態宣言が出される直前。とても帰省できる雰囲気ではなく断念しただけに、機材も新調した今年はなんとか行きたいと考えていた。

例年だと関東の桜より1週間遅れて関西の桜が満開を迎えるのだが、関東とほぼ同時に芦屋の桜が満開を迎えることがわかってきたので、自分への年度末の慰労を兼ねて有休取得し桜帰省。これも気候変動のあらわれではないかと感じるが、ありがたくない風物詩の黄砂も大量に流れてくる予報。3月29日の夜、新幹線に飛び乗り30日から3日間の撮影。

2005年に出版した「一年後の桜」に収めた写真は1991年から2005年に撮影。2015年に出版した「芦屋桜」は2008年から2010年。いずれの写真集も、今は亡き親父から譲り受けた1971年製造のハッセルブラッド500Cに標準レンズのプラナー80mmだけで撮影した。今回は昨秋に購入した2020年製造となるハッセルブラッド907X CVF II 50Cに標準レンズのXCD 4/45Pの1本で撮影する。

撮影スタイルはウエストレベルで上から覗き込むビューファインダースタイル。フィルムカメラと同じように、それぞれの風景を辿るように懐かしく頭に浮かべながら故郷の芦屋を歩く。違うのはすぐに撮影結果がモニターで見れるということ。そして何より中判デジタルの5000万画素という驚異の精細データとなる。

25年の記憶の時間軸がバラバラに蘇ってきてしまうが、震災後の当時は新築に幼木だった桜樹が隆々と枝を広げ満開を誇っていたり、印象深い邸宅の桜の大樹を見に行くと邸宅そのものがなくなっていたり、桜樹の寿命なのか勢いが無くなっていたり、不思議と変わらぬ佇まいの桜樹に再会したりと、人間の栄枯盛衰というか日本の税制、経済循環といった社会の変遷を風景からナマナマしく感じる撮影にもなった。

もしかしたら、このシリーズの意義が変化していくのではないかという想像が働く。芦屋の風景の中にある桜を撮ることを目的にしているのだが、30年もの歳月を同じ視点で撮り続けることにもなると、その景観の構成要素である邸宅が変化していくという当たり前のことに行き当たる。それに伴い桜も消えたり新たに植えられたり。写し取られた写真が何を語るのか。

東日本大震災で10年の節目という言葉に対して否定的な意見をたくさん聞いた。意見は多様であるべきなので、それを否定しないが、僕は節目を設けることでいろんな気づきや学びを得ている。阪神淡路大震災から10年後、20年後という節目で出版することができた写真集がそれを物語ってくれるだろう。

30年後の節目となる2025年にどんなメッセージを込めた写真集が出版できるだろうか。また一つ写真家として目標ができた。自分の作風が良いのか悪いのかは将来が決めてくれるとして、芦屋をテーマにした2冊の写真集によって構築されつつあるように思う。これで行くしかないと腹を決めている。その密度、確率を高めて質の向上を目指す。そして見えてくる2025年のメッセージを楽しみに積み重ねる。

2025年は大阪関西万博の年だ。テーマは「いのち輝く未来社会のデザイン」。多様性、包摂性ある社会の実現としてSDGs達成と合致するとある。SDGsは人間の安全保障でもあり、経済成長の手段としての人材と捉えるのではなく、一人ひとりの価値観に応じた幸せな暮らしのための手段として経済を考えることだと言える。

壮大な話になってしまったが、”金持ちの町”と言われる芦屋。とんでもないお金持ちが住むのも確かだが多様な経済状況の暮らしがある町だ。しかし全国で唯一の芦屋市だけに適用される「芦屋国際文化住宅年建設法」が、戦後すぐに市民参加型の住民投票で作られた。芦屋の本質はここにある。桜樹を撮影することでそんな本質に少しでも迫れるだろうか。2025年の自分に問いかける。芦屋市市政80周年記念冊子「Road to Ashiya 2040」でインタビューを受けこの辺りの話が掲載されている。

さて、今回の撮影の本気度は歩数でも見て取れる。3月29日の夜、芦屋に帰り、30日は6時台から撮影を開始し昼休憩を入れて日没まで31,794歩。31日は7時台から歩き始め昼休憩を入れてやはり日没まで32,714歩。1日は撮りこぼしたものを探して7時台から歩き始め昼まで9,623歩。3日間で74,131歩。約60km歩いたことになる。天候にも恵まれ満開のピークとなる絶妙のタイミングだった。

アクシデント直前に撮影した開森橋からの芦屋川(撮影:Hasselblad 907X CFV II 50C + XCD4/45P)

 

これだけ迷いなく歩き続けられたのは、何より新たな相棒であるハッセルブラッド 907X CFV II 50Cのおかげだ。撮れば撮るほどに創作意欲を掻き立ててくれた。早くも良い相棒と言える。ところが、この相棒をとんでもないアクシデントが襲った。Facebook用にでもとスマホで開森橋からの眺めを撮って一歩二歩と歩いたら突然ガシャーンと足元を黒いパーツが転がった。

よく見るとCFV II 50C、つまりカメラ本体の後ろにつけるデジタルバックの部分。それもデジタルセンサーが偶然にも上をむいて転がった。何が起こったのか理解できないまま、これは僕のだ!と慌てて拾って反射的にデジタルセンサーを服で柔らかく拭いた。ホコリならまだしも砂利がついていたら傷が付いてゲームオーバー。背中側を見るとディスプレイは割れてなくて周辺がガキガキに傷が付いた。首から下げているのはレンズとボディの907Xだけ。ロックボタンがなんらかの拍子に外れてしまったようだ。

このロックボタンはフィルムカメラの500Cと同じ構造で、これまでこんなトラブルは一度もなかったので驚いた。恐る恐るスイッチを入れたら違和感なく動作した。撮影してみたら写る。しばし様子を見ながら撮影してみたが、何事もない。

一生ものだと奮発して購入したのでなかなか乱暴に扱えずに雨や海の潮が怖いと思っていたのだか、とんでもない洗礼となった。これで腹を据えてどんな撮影条件にも持ち出せるように思う。これを不幸中の幸いというのだろうとつくづく思う。もし何かあればハッセルブラッド・ジャパンに持ち込んでこの状況を説明しよう。

最後に、気になったのは公園などでの花見。子供連れでビニールシートを敷いてワイワイと賑やか。芦屋川沿いもロックガーデンなどへのハイキングに向かう人の中にはマスクなしもチラホラいる。こちらは日焼けによる格好の悪いマスクの跡を気にしながらの撮影でおいおいという感じだったが、毎晩のニュースを見ると段々と大阪と兵庫は感染拡大で初の「まん延防止等重点措置」実施区域に芦屋市も指定される始末。ギリギリのタイミングだった。

さて、故郷の桜を撮る。これは写真家としての成長の記録になるのかもしれないと思い始めている。

 

(中盤デジタルで撮影する「芦屋桜」も2年目へ)