(デジタルでの撮影「芦屋桜」歩き始めより)

 

2022年度のスタートは故郷の芦屋で過ごした。

芦屋桜満開のため天気を見計らって撮影に没頭した。4月1日は26,000歩、4月2日は27,000歩、桜に招かれるように芦屋市内を縦横に約40km歩いた計算になる。南北でいえば、芦屋浜のシーサイドタウンから六麓荘まで。東西でいえば、三条町や津知町から、岩園町、大東町まで。

芦屋らしい桜のある風景。それが自分に課したシャッターを切る条件。芦屋らしさとは、自分の中に染み付いた判断基準による(笑)。街路樹、邸宅の桜樹。桜を見つけては歩き、撮影してふとあたりを見ればまた桜に招かれと、途切れることなく町中のあらゆるところに桜が咲いている。芦屋はそんな町なのだ。

 

芦屋から紀伊半島を望む(撮影:Hasselblad 907X CFV II 50C + XCD4/45P)

 

僕の「芦屋桜」への思いを少し語ってみようと思う。

博報堂の関西支社への転勤を機に故郷へ戻り、1991年から撮り始めた芦屋の佇まいが、1995年の阪神淡路大震災で喪失。僕も実家でタンスの下敷きになり、被災者の心境を綴るように淡々と撮影を継続した。そして、被災して一年後の町並みに咲く桜に励まされ、東京へ戻り湘南に住むようになっても復興していく故郷を撮り続けることができ、震災から10年の節目に写真集「一年後の桜」として出版できたのだった。

その写真集を見たABC朝日放送のディレクターさんが、僕が芦屋で桜を撮りながら震災について語る5分ほどの報道特集を、2007年4月に制作して放送してくれた。それがきっかけで桜の季節に芦屋を撮り歩くことにして、震災から20年の節目である2015年に写真集「芦屋桜」を出版することができた。

この2冊の写真集は、ハッセルブラッド500Cにプラナー80mmのシルバーレンズにモノクロフィルムを入れて撮り歩いたもの。今は亡き親父が1971年に購入したものを1991年に譲り受けてこの芦屋シリーズを開始。現在に至る。満50歳を超えた機材が現役バリバリなのである。

しかし、昨年から再開した「芦屋桜」の撮影は、2020年にハッセルブラッドからようやく発売されたデジタル907X CFV II 50CにXCD4/45Pというコンパクトな標準レンズ1本を付けて撮り歩いている。写真とは進化の賜物であり、古き良きものを大切にしつつ革新にもついていかねばならないものでもある。見かけはコンパクトデジカメのような大きさだけど、中判デジタル5000万画素という超精細なデータとなるので、所作は自然体でありつつ気合いを入れて撮る。そんなたしなみの機材である。

約10年ほどで芦屋の風景も変化があり、大きな邸宅が更地となり桜の大きな老木が減っている。しかし変わらず迎えてくれる桜樹もある。そして、歩く本人も、山側の上り坂では足腰が気になるようになり、夕方まで気力を保つのが精一杯(笑)。故郷の風景は懐かしく、気がつけばタイムトリップして心境だけは少年時代に戻っていくが、体は正直なものである。

さて、こうして芦屋に帰郷して桜を撮ると、無性に写真集「芦屋桜」を眺めたくなる。あの桜、この桜、もう会えなくなった桜を眺めつつ、新しい芦屋桜との出会いに備えたいということかもしれない。桜を通して故郷の芦屋の風景の変化を見続けるのもひとつの作業になってきた。このデジタルシリーズもいつか形にできたらと考え始めているので、もう少し撮り続けてみようと思う。

 

芦屋シーサイドタウン(撮影:Hasselblad 907X CFV II 50C + XCD4/45P)

 

こうして、故郷の芦屋を撮影することは一つのライフワークになってきた。僕はどんな写真家なのか。この作業の先にその答えが必ずあると確信できるようになってきている。

 

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