(九州紀行第1弾(2)国東半島をゆく編より)

 

9月21日、5日目。宮崎に入り松林が増える。

 

美しい地形の白砂青松である波当津で日の出前に目覚め撮影。潮がひくと特徴的な波による地紋が広がるのが美しい。

今日は宮崎県を南下し明日の取材に備える日とし、左手に日向灘を眺めながら国道10号を走る。宮崎県に入ると視界が開け、砂浜も多く松の防砂防潮林が頻繁に目につくので地図で調べておいた海岸を巡る。延岡市の長浜海岸はスケールが大きく、東臼杵郡の向ヶ浜はコンパクト、日向市に入って伊勢ヶ浜はコンパクトで小倉ヶ浜はスケールが大きいといった感じで、被写体はあくまでも松であり単に規模の違う松原を撮るとも言えるので、それぞれの個性をいかに見出すか。なかなか厳しくも楽しい修行なのである。

しかし、百聞は一見にしかず。汗だくになって現地を歩くことで、地形、光、風、匂い、を体に染み込ませ、地図と文字だけでない立体的なイメージが心にアーカイブされていく。撮影者として乾きが満たされる。

そんな中で、単調になりがちな思考から気分を一新するありがたい場所にも足を運んだ。伊勢ヶ浜の南にある大御(おおみ)神社は「日向のお伊勢さま」や「スケールは日本一のさざれ石」など書かれていて、パワースポット人気だからなのか、平日にも関わらず随分と訪れる若い人が多い。海に面して開放感があるレイアウトも魅力的でロケーションが抜群によく、本殿裏の柱状節理の上にある松が象徴的である。

隣接するお倉ヶ浜は、南北4kmに及ぶ白砂青松の海岸で、吉野川の挟んで南側にサーフスポットとして駐車場やシャワー施設など充実し、サンドブレイクでビジターにも開放的で初心者から上級者まで幅広く楽しめ、ショートボード、ロングボード、ビギナーと優先ゾーンも設けられており、コンスタントに波があるので大会を招致するなどサーフィンのメッカとして有名である。

しかし、あくまで「日本人と松」の撮影、である。まずは北側から撮影ポイントを探ると、松原の中にはかなりの距離の小径が縦横に走り、熊手ではいた後があるのにはちょっと感動した。その小径で海へ出ると雄大な風景が待っていた。照りつける日差しはまだ強く人影は見えないが多数の足跡がある。散歩、ビーチコーミング、釣り、波乗り、語らい、人の数だけ過ごし方があるだろう。午後の少し傾いたがまだ強い日差しを受け、だだっ広い砂浜で人間の性を思う。

地形的に期待を感じ、お倉が浜総合公園の駐車場に車を止めて周辺で撮影に没頭。車に戻ると疲れが溜まっているのか気がついたら寝てしまい、慌てて出直し撮影をして日没を迎えた。

日課となっている日帰り温泉検索は「木城温泉館湯らら」を選ぶ。食堂もあり地元の木城山豚を使った生姜焼きは柔らかくて美味。露天風呂にバリエーションがありしっかり体を癒すことができた。車中泊は駐車場が広そうなのと明日の行動を考え「道の駅つの」にする。

 

大御神社本殿裏の柱状節理と松(撮影:Hasselblad 907X CFV II 50C + XCD4/45P)

 

9月22日、6日目。抵抗性松の苗木生産について。

 

宮崎県都農町にある「道の駅つの」で日の出を眺めながら起床。9時に宮崎市グリーンアドバイザーの関谷茂利さんと待ち合わせ。やはり73歳とこの年齢の方に取材することが本当に多い。待ち合わせまで時間があるので、気になる松林をチェックしておこうと向かったというか、時間的にこの場所に呼び寄せられるような感じで、新富町の富田浜公園と高鍋駅近くの高鍋海水浴場をチェックした。

関谷さんとの待ち合わせの川南湿原の駐車場に向かう途中で、この旅に出る前にメールをしていた鹿児島の吹上浜などの保全を指導されている「森と木の研究所」理事長の大坪弘幸さんから電話を受けお会いできることになり安堵。

関谷さんと合流してすぐに向かったのが「林田樹苗農園」。ここは2017年に第56回農林水産祭天皇杯受賞されており、昭和30年から親子3代に渡り苗木生産で貢献してきた樹苗農園。今は35歳の尚幸さんが社長を務め株式会社化を推進、抵抗性松の研究を重ねながら苗木の生産をされている。68歳のお父さん喜昭さんは会長となり、宮崎県緑化樹苗農業協同組合の組合長をされている。

喜昭さんの話をまとめると、「マツクイムシの被害に遭っていない黒松から種をとり、苗が出たらあえて線虫を入れて抵抗性が遺伝しているかを確認」「抵抗性がある松でも、代々受け継いだ遺伝子の中には抵抗性のない遺伝子を持った松もあり被害を受けるため、確実に遺伝している苗木を出荷するようにしている」「抵抗性松の生産は種から取る方法と、挿し木をする方法があると考えいるが、挿し木はクローンでありソメイヨシノと同じ方法だが、この方法は時間稼ぎだと捉えている」「マツクイムシも代々遺伝を受け継ぐ中で進化するので、抵抗性松であっても新世代のマツクイムシの被害を受けてしまうため、抵抗性松の新世代を種から生産するというイタチごっこを続けるしかない」「現在、北米産のテーダ松の苗木も生産しているが、テーダ松の苗は同じ時期に種を仕込んでも時間をずらして発芽する特性があることがわかったので、出荷のタイミングをうまく考えて拡販できたらと思う」

お話を聞いた後に、親子の協働で事業拡大している雰囲気を撮りたくて2人で苗を持ってカメラの前に立ってもらった。尚幸さん、喜昭さんそれぞれの特徴が出る単独の写真も撮らせてもらった。

尚幸さんにどうして家業を継いだのかを聞くと、「母親が体調を崩した機会に家業を継ぐ決心をした」「需要に対応できるように経営の安定拡大のため株式会社を設立し社長になった」「講演会で得た情報だけで考えるのではなく、ネットで研究論文などを検索して知識を深めるようにしている」「これからの需要に備えてまだまだ量産をしていかねばならない」など眼力はあるが穏やかな表情で熱い思いを語ってくれ、思わず「今が幸せでしょう?」と聞いたら「そうですね」と飛び切りの笑顔で返してくれた。日本の松を守るための貴重な人材に会えて、こちらも本当に幸せである。

宮崎は杉の伐期を迎えているため林業が活性化し原木の出荷は日本一を維持しているという。その分、苗木が必要で林田さん親子の奮闘が続いている。そんな状況で喜昭さんの、「昔は杉だけでなく黒松も山に植えていたので、将来は山にも黒松を植えて松が元気な地域にしていきたいんだ」という言葉が極めて印象的だった。日本らしい風景が思い浮かびワクワクしたのだ。

それにしてもと思う。国の方針であった拡大造林を考えれば、伐期は全国各地も同じではないかと思う。だとすれば宮崎の林業従事者がこのように考え行動しているように、他の都道府県はもっと地域の林業従事者を励まし支援をすべきだろう。日本の山はそれぞれの地域の自然資本であり経済循環のコアのはずなのだ。

魅力的な林田親子と別れて、関谷さんと宮崎県緑化樹苗農業協同組合の課長の津原智浩さんと一緒に多くの苗木を植樹した場所に向かう。向かった先は何か見覚えのある道だと思ったら先ほど来たばかりの富田浜。ここに20万本を超える抵抗性松を植えている。これだけの苗を手配し整備するなど事務方として腕力を振るったのが津原さんだ。遠慮がちに話されていたが林田さん親子との連携も重要だったようだ。この植樹地では津原さんを撮影。

ところでの富田浜。先に一人で来たことをたまたまと考えるか、写真の神様ならぬ松の神様に導かれたと考えるか。この撮影旅はこのように何かに導かれるような発展的なことがとても多く起こっているが、これはきっと天職というか、このプロジェクトには大義があり遂行する責任があるぞと、ますます思えるようになってきた。

津原さんは午後の会議のためここで別れ、関谷さんと向かったのは元祖チキン南蛮「おぐらきんなべ」。昭和なファミレスの店舗でタルタルソースが独特で美味。関谷さんは、自宅近くの佐土原の海辺の遊歩道を散歩や自転車で活用されていて、松がれにいち早く気づき行政に伝えたが動きが悪く結局被害は拡大していったという。

現在も広大な松原が続くが、多数の場所で赤くなってしまった松が散見される。関谷さんにはそんな場所を丁寧に案内いただき、いよいよシーガイアに突入。ゴルフ場やホテル周辺の道々で車を止めて撮影ポイントを伝授してもらう。やはり、いつものように最初は土地勘が全くないので、そのスケールに圧倒され規模と質で日本最大級の松原ではないかと感じた。最後に関谷さんのポートレイト撮影は、最近解禁されたラグビー場でとこだわっていたが、やはり松原背景も撮影させてもらった。

さて、ここからが楽しめよの修行である。最初に感じた質量ともに最大級という印象をどう伝えるのか、シーガイアならではの松原を標準レンズ1本でどう撮るのか?ゴルフ場内の撮影も了解を得ているとのことだったので、リゾート感溢れる高層のホテル、ゴルフ場、松原にフェニックスが印象的な道。学生時代にバイクで走った憧れの一つ葉有料道路を40年ぶりに走ったりと、心地よくヘトヘトになりながら撮影し日没を迎る。

今日の日帰り温泉検索は、迷いに迷ってというのも宮崎市内のど真ん中にある極楽湯。商業ビルの中にあり何とも現実に引き戻されるなあと思いつつ行ってみると天然温泉で露天も広く随分とゆっくりできて疲れを癒せるではないか。車中泊であるが、みやざき臨海公園や阿波岐原森林公園に駐車場があるのだが車中泊を禁じていると聞いたので、内陸にある「道の駅高岡ビタミン館」に向かった。

 

林田樹苗の尚幸さん(撮影:Hasselblad 907X CFV II 50C + XCD4/45P)

 

9月23日、7日目。青島に時代の香りを嗅ぎ一気に鹿児島くにの松原へ。

 

今朝は車の屋根を激しく叩く雨の音でまだ暗い5時前に目覚める。朝ごはんを食べてから、土砂降りの中をひとまず宮崎臨海公園の駐車場に移動し雨が上がるのを待っているといつの間にか爆睡。気がついたらなんと9時!撮影タイムを完全に逃し雨は上がり青空ものぞく状況に。ここはあきらめずシーガイアらしい質量を感じる松原を表現できるよう撮影を粘ってから青島に移動。

思えば40年前、大学時代のテントと寝袋のバイク旅は青島ユースホステルに泊まってみんなで大合唱をしたことを急に思い出す。当時、南国土産にとパイナップルあめ(やたらに甘いドライパイナップル)を買ったお店はここかなと懐かしく思えるお店も健在。写真も残っているがボディボードの真似事をした砂浜は100mはあったが、潮位の違いがあるかもだが現在はそこまでの広さはなさそうである。月日の流れを感じる。

博報堂を辞めて宮崎に移住した宮原くんがプロデュースをしたAOSHIMA BEACH PARKはさすがに人気。他にも同様のセンスで造られた施設があったり、それに感化されたような施設も多数あり青島エリアが非常に感度の高いスポットになっている。学生時代の思い出である”昭和の観光地から最先端の発進基地に”生まれ変わっている。

そこかしこと歩いて、ボタニックガーデン青島に大きな黒松があり、フェニックスなど熱帯植物と一緒にそびえる構図がここならではなのではないかと考え、納得できるアングルがなかなか見つけられないが粘った。

陽が傾いてきたので、今日の車中泊にと考えていた鹿児島県大崎町の「くにの松原」へ一気に移動する。到着早々、薄暗くなってきたが手入れされたじゅうたんのような芝生に樹齢を重ねた松が林立する芝生公園が目に入る。松の樹形は淡路島の「慶野松原」に非常に似た磯馴松で、”砂地の慶野松原”と”芝生のくにの松原”を対比しながら撮影した。

そして「森と木の研究所」の大坪さんから、くにの松原の話だけでなく松原の話ならこの人に聞くのが良いと聞いていた「くにの松原キャンプ場」管理人の堀之内裕行さんを訪ねる。受付にいた男性に声をかけ堀之内さんに事情を説明すると「まあ話しましょう」と事務所に入れてもらい、ほんの数秒で?波長が合い大いに語り合うことになった。まずは昭和38年卯年の同い年とわかり立ち上がって大騒ぎしながら両手で握手。これは決定的である。時代感覚と社会構造の見方が一緒で課題意識で意見が一致しやすい。そして核心である松原の維持管理と社会インフラを合わせて考えることなど意見が完全に一致。というよりも、ずっと具体的に先々のことを考えた企画をまとめていたのにはビックリである。これは得難い友を得た。

ここはキャンプ場、このまま話し込んでいたら食事も風呂もどうするかと思い始めたら、有難いことに奥様にとても美味しい夜ご飯をご用意いただく。話は尽きず、その後はキャンプ場で堀之内さんのお仲間と一緒に、焚き火を囲んで星空を眺めながら語り合う豊な時間も過ごす。現在撮っている写真について深く考える時間にもなる。夜も更けキャンプ場のコインシャワーを浴び駐車場でそのまま車中泊。

 

ボタニックガーデン青島(撮影:Hasselblad 907X CFV II 50C + XCD4/45P)

 

(九州紀行第1弾(4)鹿児島をゆく編へ続く)