(九州紀行第1弾(4)鹿児島をゆく編より)

 

10月14日、1日目。壇之浦パーキングエリアへ

 

今回は「松韻を聴く旅 九州紀行第2弾、玄界灘をゆく編」になり、長崎、熊本は次回となりそうである。

というのも、玄界灘、特に福岡県は松原の宝庫で活動も各地で盛んであることが下調べでわかってきた。よって取材する場所と関係者がとっても多い。午前と午後で2カ所の取材も数日あるぐらいだ。これは福岡藩というか黒田藩の防衛防御、石高拡大などのために海岸林の松原を育成した背景があったのか、大陸に近くアジアの玄関口をうたう福岡県らしくて興味津々である。

それと、生まれ故郷の兵庫県芦屋市と同じ地名の福岡県芦屋町にも初めていく。全国でも「芦屋」という地名はこの2カ所だけのはずである。これは個人的に異様に楽しみである。加えて、すでにFaecbookで繋がっている玄界灘周辺に在住の何人かの方ともお会いする約束ができている。

幸先のいい出来事も付記しておく。お気に入りの浜松サービスエリアに立ち寄ったら、高知の拠点に向かうサーフライダーファウンデーション代表の中川淳さんとバッタリ会う。中川さんはハイエースのキャンピングカー。お互いに愛車を見せ合って、日本の目指すべき循環型社会を語り合う。彼とは思考が近く会話が心地良いのだ。いい休息を得て、気持ちよく新東名、新名神、山陽道、中国道と西へ向い、暗くなってから壇之浦パーキングエリアに滑り込む。約970km走行。生暖かい風を受けながら対岸の九州を眺める。

 

10月15日、2日目。福岡の芦屋へ

 

4時半起床。激しい通り雨と追いかけっこをしながら北九州市を抜けて芦屋町へ。

生まれ故郷と同じ地名の「福岡県遠賀郡芦屋町」。由来も葦が生い茂る湿地であり古の時代から語られてきた地名。施設やお店や至る所で目にする看板は、当たり前だけど「芦屋」「あしや」と付いており、初めての土地とは思えずく何やらすぐったい。もちろん地形も気候も風土も街並みも違うので、懐かしいという気持ちではなく「新しい芦屋」を楽しんでいる。

今日の午前中は芦屋町に横たわる「Ashiya Air Base 航空自衛隊芦屋基地」の年に1度の航空祭があるため、海辺の駐車場や道路は大混雑&大行列で道に人も車も溢れている。13,000人、6,500世帯の町に全国から35,000人が集まった。

そこで午前中は隣の宗像市である「さつき松原」で撮影に没頭。松原をエリア分けして整備するアダプト方式を導入しており、ここではエリアごとに看板を立ててどの組織が整備しているかが一目瞭然。宗像市の様々なセクションや市民団体など多くのボランティア団体で明るく清潔に保たれている場所もあれば鬱蒼としたままのエリアもあり活動の程度がわかる。なかなか刺激的な方法である。

アダプトとは、英語で「養子縁組をする」といった意味があり、一定区画の公共の場所(道路、公園、河川、海浜など)を養子にみたて、市民や民間の企業団体などが里親となって定期的に美化・清掃活動等を行うことを自治体と契約する。環境やその機能の維持・向上を図ることを目的とした制度で、自治体は活動を下支えする(福岡県「芦屋の里浜づくり実行委員会」資料参考)。松林はこの仕組みを活用することで本来の白砂青松を取り戻し、松林単一林への景観美化(=観光資源)、防風防砂林としての機能回復(=社会基盤)させることが期待されている。

Facebookのメッセンジャーにコメントを寄せてくれた芦屋町在住の「海あそび舎」八木澤潮音さんと待ち合わせ、良い感じの食堂「大黒屋」でランチのあと松が良い感じの「洞山」を案内してもらった。

続いて14時にお会いする約束をしていた「芦屋郷土史研究会」野崎昌雄さんと合流し、芦屋浜に松を植樹している場所を案内してもらう。ここ芦屋浜は、芦屋漁港に砂防用の大きな堤防を建設したことで、遠賀川からキメの細かい砂がガンガン流れ込み、目の前に広がる砂丘地帯が平成時代に入って出来てしまったという。周辺の住宅街は飛砂の被害が深刻になり、県議の発案によって「芦屋の里浜づくり」事業を福岡県が実施するに至る。基礎自治体の芦屋町の予算では厳しかったという。芦屋浜は、この時代になって巨大な砂浜ができてしまった異例な場所だった。

「芦屋の里浜づくり」は、「地域の人々が、浜辺と自分たちの地域のかかわりがどうあるべきかを議論し、海辺を地域の共有空間(コモンズ)として意識しながら、長い時間をかけて、地域の人々と海辺との固有のつながりを培い、育て、つくりだしていく運動や様々な取り組み」と福岡県の資料にある。とても優れた学び多き計画で、現在進行形で白砂青松の造成過程を知ることができる。

野崎さんは、この計画に沿う形で佐賀大学名誉教授の田中明さんの指導を受け、少し離れたエリアに試験林を施工している。植林エリア全体を歩いたが、枝打ち、草刈りなどの清掃、手付かずの区画など、県庁も区画ごとに試験を行っているように見える。これを見る限り、自分たちが生きている時代に美しい白砂青松がここ芦屋浜に根付くことが想像され、とてもワクワクする。

400年ほど前の黒田藩の時代に松の植林事業によって芦屋町と隣の岡垣町にまたがる「三里松原」が存在するのだが、当時の芦屋浜は「錫の松原」と呼ばれていたという。ちなみに「三里松原」は道沿いの周縁部を見ると鬱蒼とした広葉樹のブッシュとなってしまっており、松林は消滅していると言える状態に見える。

その「錫」と名がついた背景は、南北朝時代から室町時代にかけて芦屋町で造られていた「芦屋釜」が、茶道の湯釜の名品といわれていたことが背景にある。しかし江戸時代に廃れてしまっていたのだが、芦屋町は「芦屋釜」の技術を「芦屋釜の里」を建設し現代に甦らせ伝統を守ろうとしている。野崎さんの案内で「芦屋釜の里」を訪れとても素敵な出会いがあった。この「芦屋釜」に室町時代に造られた「芦屋浜松図真形釜」という重要文化財があり、文化庁や東京国立博物館に収蔵されているのだが、その絵柄を現代の職人が再現したものが展示されたいた。まさにこのプロジェクトで求めている「松の縁」である。その鋳物師である樋口陽介さんの撮影を後日再訪して行いたいと伝えて辞することにした。

まだ日没まで時間が多少あり芦屋海浜公園駐車場の閉門時間の18時まで撮影できるので向かった。平成にできた芦屋浜は、養浜計画のようにダンプで運んだ山の土砂ではなく、あくまでも自然の流れで遠賀川が運んだ細やかな砂が堆積してできている。そのため、今日のような海風だとみるみる間に風紋ができていく。吹き付ける風によって松林に向けて起伏ができ、根付いている海浜植物などによって凸凹があり、傾いた陽射しがその陰影をドラマチックに見せてくれている。

今日の日帰り温泉は国民宿舎「マリンテラスあしや」とした。

 

福岡県芦屋浜(撮影:Hasselblad 907X CFV II 50C + XCD4/45P)

 

10月16日、3日目。宗像大社とさつき松原

 

昨夜は岡垣町の波津海岸で車中泊。朝7時から芦屋浜公園の駐車場が開くのに合わせて移動し撮影。朝日に浮かぶ風紋が美しく遠く三里松原を背景としたスケール感のある砂丘風景を狙う。

今日は11時に「宗像大社」宮司の葦津敬之さんとお会いする約束。思えば10年ほど前に生物多様性を学び合うセミナーや環境教育フォーラムなどでご一緒して以来の再会。お会いする前に社殿がない古代斎場の姿をとどめる高宮斎場を参拝。葦津さんのお部屋に伺い秘書課長で広報課長の黒神直豊さんも交えてしばし歓談。葦津さんはお父さんを引き継ぐ形で宮司になり、建物の老朽化に対応して現在のシンプルで美しい施設を実現され、民間への委託事業など新しく柔軟な感覚で運営されていた。また2014年からは「宗像国際環境会議」を開催し、気候変動による玄界灘の海水温度の上昇により沿岸部に広がる磯焼け対策や、漂着ゴミの問題を中心に「海の鎮守の森」構想を掲げて、提言や情報を国内外に発信している。

ランチは近くにある食べログ百名店にもなっている「La Casa」へ三人で行き、再び葦津さんのお部屋で歓談。未来志向の尽きない話に気がついたら13時半となり、駆け足で観た神宝館特別展「国宝と現代の名匠 三右衛門」では、8万点の国宝の一部に圧倒され、三右衛門の三人三様の美を堪能した。

続いて14時に棟方市役所の農業振興課の勝井孝さんを訪ね、14時半に松原に向かい「さつき松原管理運営協議会」の 桑野通孝会長さんと合流。昨日じっくりと撮影できていたのでロケハンは十分にできており、ポートレイトの撮影をしてから再び役場に戻りこれまでの取り組みを聞かせてもらう。「さつき松原」は延長5.5km、広さは約140haと広く、2007年ごろからマツクイムシ被害が広がり対策を行ってきた。そのころは手が入らず鬱蒼とした状態で遊歩道も落ち葉で歩きにくい状態だったが、民間団体など有志の重機を入れた再生活動を起点に、「さつき松原再生プロジェクト」として、2月に松の植樹、3月に松枝拾い、5月、6月の空中散布、そしてアダプト方式によるこの地域ならではの成果が見出されている。アダプト方式は面積約13haを30区画に分け、年間3回の草刈り、ゴミ拾い、松枝切りに年間総額200万円を自治体が捻出している。この活動は教育出版の2015年度版「小学社会3・4・下」の福岡県版に掲載されている。桑野さん「地域を愛する人が居て松原が守られる」と語る。やはり愛なのだ。

お二人と役場で分かれて「さつき松原」に向かい夕暮れの残光でこの松原らしい写真を探求。今夜は「生の松原」まで移動しておきたいので、古賀市にある日帰り温泉「偕楽荘」に行き食事&入浴。ここの駐車場で今日の撮影データを現像処理してから「生の松原」へ。これほど都市部にあるとは知らず車中泊の場所がなく探し回り、最終的に25時前に「生の松原」の少し先にある「長垂公園」の駐車場になんとか入り込む。

 

宗像市さつき松原(撮影:Hasselblad 907X CFV II 50C + XCD4/45P)

 

10月17日、4日目。元寇防塁が残る松原

 

6時起床で「生の松原」の有料駐車場に車を入れて撮影開始。九州大学の演習林ということもありかなり手が入っている。松林の良い状態というのは林内は清潔感がありどこでも歩けて明るく清々しい場所になることだと、この松原が教えてくれる。

道路側からは赤松林を抜けて海に向かい「元寇防塁」を初めて見る。ここは昭和43年に発掘調査が行われ、現在はきれいに積み上がった状態で保存されている。1274年の蒙古襲来を受けた鎌倉幕府が1276年に博多湾に「石築地」を築くよう各国の豪族に指示。現在の東区から西区まで、「生の松原」や「今津長浜海岸」など約20kmに築かれたとされている。これを考古学者の中山平次郎が「元寇防塁」と名付けたとされる。中山は「弥生時代」を提唱した人物でもある。

9時半に、九州大学の清野聡子さんと待ち合わせ。専門は「海岸」で海中も海上も研究対象で、何より海のゆりかごである波打ち際もフィールドなので関係者が多い領域という。もちろん海岸林も関係してくるのである。清野さんの話では、ここ「生の松原」は隣にある小戸のヨットハーバーの防潮堤により砂が減少し、小戸に近い海岸半分は護岸に直接波が打ち寄せる状態になってしまった。「元寇防塁」の位置から見ても、道路側からのスロープから考えると海岸側にも同様のスロープがあると想定できるのだが途中でブチっと途切れているような形状になっている。松原内にある「壱岐神社」は日本書紀に登場する人物を祀っており、「元寇防塁」も合わせて神話の世界と歴史に彩られた海岸である「生の松原」を福岡県も早くから予算を付けて保全に力を入れている。清野さんとは生物多様性を探求している頃に出会っており、今後もご指導いただきたい。

次に向かったのは「今津長浜海岸」。程よい波が届いており一人波乗りをしている。毘沙門山と柑子岳の間にある遠浅の地形で、弓形の海岸に松原が約3km続き面積は約31haと広い。さらなる特徴は「元寇防塁」が一部を発掘して保存されているが多くは砂に埋まって残り往時を偲ぶことができる。2004年に「今津松原を守る会」を地域住民が立ち上げ、2016年に「今津校区自治協議会」に「自然・歴史部会」が設けられ「今津元寇防塁松原愛護会」が組織され「松原を守ろうプロジェクト」が立ち上がった。お会いしたのは、「今津元寇防塁松原愛護会」会長の大歯司(68歳)さん、副会長の正木道利(73歳)さん、今津校区自治協議会会長の神武満春(78歳)さん。

愛護会の活動は、地域に全戸配布で回覧を出し毎月第1土曜のボランティア参加を募り、地域の小学校や中学校などの生徒も参加してもらえるよう学校にも呼びかけている。作業は草取り、松葉かき、草刈、枯れ枝の除去などである。参加される方はある程度固定されており、より多くの住民に参加してほしいと考えているが、関心のない人が多いのが課題。生徒たちに参加してもらうことで世代の継承をしていきたいが次の世代が見当たらない状況である。福岡県や福岡市にも働きかけ官民の連携をもっと深めて継続的で力強い活動にしたいと考えているが、現在は愛護会の奮闘による随時の保全活動に支えられた状態である。

正木さんの子供の頃の写真には、松原に樹齢数百年の老松だけがあったが、今はマツクイムシの被害もあって大木と言える松は残っていないという。「元寇防塁」があるおかげで行政もある程度の関心を持っているが松原全体の保全には至っておらず、広葉樹のブッシュになってしまうギリギリのラインで守っているのが現状という認識だという。農協の会議室でお話を聞いてから「元寇防塁」の保存エリア周辺に案内してもらったが、試験的に松葉かきができる状態のエリア、草刈りをして歩ける状態のエリア、少々伸びた草をかき分けて歩けるエリアなど、モザイク状に手が入っている。話を聞いた印象よりも良い状態にあるが、一部は確かにブッシュになるギリギリの線で守っているというのに相違はない。松原全域を愛護会だけの手で守るのには無理があり、また市民ボランティアの活動にも限界がある。当然ながら行政の動きは欠かせないが、やはり新たな地域の経済循環に松原を入れ込む必要を強く感じる。

今日の日帰り温泉は福岡市内を避けて那珂川清滝まで足を伸ばし、のんびり浸かって明日の福岡市東区三苫の奈多海岸に向かったが、夜間走行の距離が長く疲れを感じたので九州道のサービスエリアで車中泊とする。

 

今津元寇防塁松原愛護会の正木さんと大歯さん(撮影:Hasselblad 907X CFV II 50C + XCD4/45P)

 

(九州紀行第2弾(2)松葉の堆肥化を学ぶ編へ続く)