(九州紀行第2弾(3)いよいよ虹の松原に至る編より続く)

 

10月23日、10日目、三里松原に戻る

 

今日は9時半に岡垣町役場で、「三里松原防風保安林保全対策協議会」会長で「三里松原を愛し守る会」会長でもある平井政秀(73歳)さんと岡垣町農林水産課の中村航(28歳)さんとお会いする。

役場で撮影取材プロジェクトの趣旨を説明し、平井さんから三里松原の歴史背景と現状をお聞きして現場に向かう。平井さんの資料を参考に記すと、「三里松原」はその名の如く約12km、430haと広大で岡垣町と芦屋町に広がっている国有林。このうち約6kmを岡垣町で保全しているが、この時代の暮らし方で松原を健全に維持することは厳しい。黒田第3代藩主の時代1655年に、防砂機能を高めるために松苗植栽の御触れが発布されている。「三里松原」の機能は防風、防砂、防潮だけでなく水源涵養も担っている。松林内の10本の井戸から岡垣町の年間必要量の52%を取水しているという。この松原は他の松原とは少し意味合いが違い地域の重要基盤なのだ。やはり昭和30年代前半までは住民の燃料基地としての機能を発揮し、松露をはじめとした食用キノコの採集も盛んだった。2010年に「三里松原再生計画」を策定して今に至るグランドデザインを描いている。

2013年にマツクイムシの被害で33,000本が伐採されのをピークに、現在は1,000本程度と激減に成功している。これは全国の発生情報を共有し大発生の兆候を掴むことを重視し、またヘリコプターによる空中散布を280haで行っている。いずれにせよ広葉樹の侵入によって林内が暗くなり松の育成が抑えられ、発芽枯死、若齢松の枯死が多発し後継松がなくなってしまう自然遷移が始まってしまう。松は海岸地帯でも樹高は広葉樹よりも高く成長し、塩分も広葉樹の10倍捕捉するため海岸林としての存在意義は大きい。

平井さんは行政を説得するために、松の特性を理解し説得力を高めるための活動を徹底して行っている。まず「三里松原防風保安林保全対策協議会」として保全エリアを定めて年2回の松葉掻き、巡視員20名の配置、国に対する要望活動などを行う。そして「三里松原を愛し守る会」では、混交林1haを対象とした松林の育成管理の実証実験である。具体的には、松苗の植栽、松葉掻き、草取り、草刈りなどと、樹高測定などの検証も行っている。この2か所は、国道495号から林道に分け入らなければならないエリアにあり、さらに施錠された管理地でも推進してエリアがある。これに加えてアダプト方式による管理地を「波津海水浴場」に近く県道からすぐに入れるエリアに設定し、近い将来は松林の公園として整備する計画である。この場所に立つと、明るい松林の公園に仕上がるイメージがすでに容易に出来るぐらい良い状態である。

加えて、林野庁が海岸林機能の整備のため海岸線から50mまたは100mにわたり繁茂した広葉樹を伐採し松を植樹するとしている。平井さんは、このために徹底して松原保全や植樹活動を行い松の生育環境について実地学習を重ねており、その知見を活用して町役場から林野庁に松原の必要性を訴え海岸林の機能整備を進めるよう進言を続けている。実地学習では健全な育成のため一本あたり必要な面積を把握するなど説得力が増すように努めているのだ。それと、昭和30年代に行っていた松葉掻きの再現も行い、松葉を束にして運ぶ際に広葉樹の枝を置き崩れないようにくくることで、広葉樹の繁茂を防いだのではないかと推論している。

この旅の2日目にこの国道495号を何度も走った際に、道路に沿っている松原の周縁部は広葉樹が繁茂し松原とは思えない景観が続き、別の林道に入って海岸まで行ったのだが活動エリアを見つけられず、名前だけの松原になってしまったと思っていた。しかし、平井さんたちと林道を分け入り、「協議会」の保全エリア、「愛し守る会」の保全エリア、アダプト方式で進めているエリア、そして林野庁が植樹するエリアなどで説明をうけ印象がガラリと変わった。

非常にいい状態の松原というか”松林”という言葉しっくりくる”情景”が広がるのだ。それも住民の手によって松の単一林で松葉掻きができる状態なのである。白砂青松の風景が多様な起伏でうねるように目線の先まで続くのだ。役所に戻って別れ際に平井さんと握手をしたら、「気持ちがしっかり伝わるように強く握るぞ」と言ってなかなか離してもらえなかったが、とても嬉しかった。「三里松原」恐るべし、ポテンシャルが極めて高い。やはり松原は愛で守っているのだ。

午後からは単独で再び保全エリアに入り、人の気配がしない中で、うねる白砂青松の風景を目で楽しみながら撮影を進めていると、風が走っていく音が聞こえるのだが、それが松韻なのだ。松韻が聞こえるのは、他に何も音がしない沈黙だから聞こえてくると言われている。つまり松林が山のように起伏があり広大で沈黙に包まれているのだ。こんな豊かな時間はない。一人でピクニックを楽しむ気分で撮影し、日が翳り風が冷たくなるまで居残った。ところどころに野生動物と思しき糞や、野うさぎのものと明かにわかる糞が落ちていた。そして地面には実生発芽した松苗だけが広がっていた。感動的であった。

今日の日帰り温泉は、この旅の2日目に行った国民宿舎「マリンテラスあしや」にして、2回目の訪問で地図が頭に入ったので芦屋町内にある公園の駐車場で車中泊とした。

 

松韻が駆け抜ける三里松原(撮影:Hasselblad 907X CFV II 50C + XCD4/45P)

 

10月24日、11日目、芦屋鋳物師

 

今日を九州紀行第二弾の最終日とする。最後の地は故郷と同じ名前の芦屋町。この旅の2日目に訪れた地である。3日目と同じように「芦屋海浜公園」駐車場の7時の開場に合わせて追加撮影。

9時からの芦屋釜鋳物師の樋口陽介(43歳)さんの撮影に向かう。この「芦屋釜」の復活に情熱を注がれた「芦屋釜の里」館長の新郷英弘さんとご挨拶。今日のセッティングは、先日お世話になった「芦屋郷土史研究会」の野崎昌雄さんのご尽力で実現した。深く感謝である。樋口さんとはお会いした瞬間からコラボが始まったような感覚で程よい緊張感が心地良い。工房で、樋口さんが復活させた「芦屋浜松図真形釜」を見つめるところから撮影開始。工房での作業の様子の撮影や、使った後は残らない「芦屋浜松図真形釜」の鋳型が偶然にもあり撮影させていただくなど、写真家冥利に尽きるご対応をいただいた。

樋口さんは2005年に芦屋釜の里鋳物師養成員として勤務を始め、2021年に芦屋鋳物師として独立した。この16年について、前半の8年は基本的な技術を習得する期間で釜だけでなく原料の作り方から製鉄まで学び、後半の8年は名器として名高い芦屋釜に挑むのだが、製作方法が確立していないので研究しながら作ると樋口さんはある取材で答えている。樋口さんは大学時代から青銅器の研究も行っており、幅広い知見を持ちさまざまな工夫やアイデアと技術を活かし成果を出す、底力を持った人だという印象を受けた。モニターに映る表情から、16年の修行だけでなくその自信が滲み出ているように感じたのだ。この撮影が、松の縁をさらに深いものへと導いてくれたことは間違いなく、感謝の言葉しかない。

今日までに、芦屋浜、三里松原、宗像大社、さつき松原、奈多三苫海岸、古賀松原、楯の松原、生の松原、今津長浜海岸、幣の松原、深江海岸、虹の松原、洋々閣、そして芦屋釜の里と、玄界灘の松原の撮影は11ヶ所、取材は13ヶ所をこなしてきた。非常に濃密なために疲労も大きく、また季節の変化の真っ只中で屋外の撮影と車中泊を続けているので体調が崩れそうで崩れさせずと踏ん張ってきた。最後は、極めて充実した九州紀行第二弾「玄界灘をゆく」編を締めくくるにあまりある撮影となった。樋口さんとは改めて表現者として語り合いたい素敵な鋳物師だった。

これから門司港に向かいフェリーで、夜のうちに神戸まで進む。

 

芦屋鋳物師 樋口陽介さん(撮影:Hasselblad 907X CFV II 50C + XCD4/45P)

 

10月25日、12日目、芦屋町から芦屋市へ

 

門司港から乗った阪九フェリーは神戸の六甲アイランドに7時過ぎに着岸。

キャンピングカーの道案内はスマホのナビなのだが、普段は初めての土地で本当にこれが最良の道か?と思うような微妙な道案内で困惑させてくれるのだが、今朝は随分と気の利いた道案内をしてくれて、六甲アイランドから湾岸線に乗って南芦屋浜インターで降り、阪神高速の芦屋インターから乗り直して名神高速を目指せと指示してくる。

昨日の朝は福岡県芦屋町、今朝は故郷の兵庫県芦屋市。それならばと「松韻を聴く旅」の原点である「芦屋公園」に向かった。子どもの頃に遊んだからか音のある風景として記憶に刻まれた松林である。また、阪神淡路大震災でタンスの下敷きになったあと、生まれ故郷の変わり果てた姿を撮影して心身ともに疲れ気がついたらこの松林に佇み心を癒してくれた。その時、初めて松を被写体にしたのだった。その写真は写真集「一年後の桜」に掲載した。松林の原点となっている風景なのだ。この松林がなければ「日本人と松」をテーマに日本中を撮影しようとは思わなかっただろうと思う。震災以来久しぶりに芦屋公園の松と向き合ってみた。あの頃はHasselblad C500にプラナー80mmの標準レンズを付けてフィルム撮影だったが、今はHasselblad 907X CFV II 50CにXCD4/45Pという45mmの標準レンズを付けてデジタル撮影である。あれから28年の歳月が流れている。

原点に立つのは大切だと思った。自分の成長を感じ勇気が湧いた。

夕方には茅ヶ崎に無事帰宅。今回の走行距離は2,476km。7月から開始した撮影取材「松韻を聴く旅」の走行距離は13,000kmを超えた。

 

芦屋公園 原点の松(撮影:Hasselblad 907X CFV II 50C + XCD4/45P)

 

(九州紀行第3弾(1)福岡の松原を巡るへ続く)