(瀬戸内紀行 特別編 角力取山の大松より続く)

 

2023年7月10日から22日に実施した「瀬戸内紀行」に続き、今回は四国の太平洋側をゆく「四国黒潮紀行」として徳島県と高知県を目指し、前回の撮影と合わせて四国の松の林、松の巨樹、松の縁を自分なりに俯瞰できるようにしようと思う。

今回も一般財団法人日本緑化センターの瀧さんにご協力いただき、各地の松原保全の関係者を調べていただいたが、前回とは違い直接のつながりがないため連絡先を教えていただくにとどまった。しかし、とても示唆に富んだ資料になっていたので、飛び込み電話アポで3カ所は確実にキーパーソンに会ってもらえることになった。それぞれ住民で管理、自治体で管理、官民の協議会を立ち上げて再生計画を作成と、3カ所3様の取り組みのため、松原の管理を通して地域自治の現状と課題を知ることができそうである。撮影しながら向かうので、いずれも直前に日程を調整することで了解を得た。

 

8月20日、1日目。茅ヶ崎の自宅を朝5時前に出発。

 

四国の前に目指したのは滋賀県立美術館。10時に到着。今森光彦の大規模展示「里山 水の匂いのすることろ」。作品は何度も見ているので今回はサイズや展示方法など空間の使い方を学びたくて観に来た。高速道路の脇に立地しインターが近く寄り道には最適の美術館。地域愛溢れる作品をゆったりとレイアウトし、展示室の中で里山の空間を感じることができる。特に写真集「湖辺(みずべ)」の表紙にもなっていた朝靄の中の漁師の写真が大好きだったのだが、今回はその写真が象徴的にチラシやポスターにも使われている。地域の自然の恵をいただく人間の営みの全てをこの1枚は表現している。きっとそれを肌で感じ理解をしているからこそこの現場にいてシャッターを切っているのだと思う。本当に味わい深くこの瞬間をものにした今森光彦を心から尊敬する。1992年「マザー・ネイチャーズ」での連載の最初のリード文に、「里山・原生と人里をつなぐ、奥山、雑木林、田畑、人家など日本古来の農業環境のことをいう」と今森は記した。これまで定義がなくつかわれていた「里山」と言う言葉を「自然を共有するすべての空間」と言う概念にしたかったと言う。その風景を俯瞰する視点からマクロ視点による生き物の営みまで、さまざまなレンズを駆使した作品ストックがあるからこその厚みというか底力を見せつけられる。写真家は目撃者だけではなく研究者でもあるのだ。いつか自分らしい展示ができる写真家になるぞと良い刺激を受けて「日本人と松」をテーマにいざ行かん。

その琵琶湖周辺から淡路島に至る車窓の前後左右のあちこちから入道雲が立ち上がりソワソワ。今回はこの入道雲をなんとか取り込みたいと思う。四国に入り吉野川の河口にある「小松海岸」が目に入ってしまったので寄り道。14時ごろから酷暑の中、印象的な風景を見つけて撮影。そして今日の車中泊予定の阿南市にある「北の脇海水浴場」に16時半ごろに到着。この松原は2021年に書かれた朝波文香の徳島大学での博士論文「海岸マツ林の保全管理とローカルガバナンス」で詳細に調査された場所。1960年代は今の3倍程度の松原があり多数の海の家があって最大で50万人の海水浴客が訪れる場所だったようだが、今は海の家3軒で数組の家族連れやカップル、若者グループがいる規模感である。松原も細長い立地でほとんどが手が入っている様子はなく、海の家がある中心部に数本だけかなりの樹齢を重ねた黒松が当時を偲ぶ。いずれの松も状態は良くない印象だったので残っていてくれたことに感謝。松を主役にこの海水浴場ならではの風景を採集すべく日没まで粘った。すっかり暗くなってから、市内に向かい地元客が足を運ぶ店で定食を食べ、いつものようにgoogle mapで日帰り温泉を検索すると数軒出てきたので、最寄りの大和の郷というスーパー銭湯で疲れを癒した。ドアに網戸を被せて窓を全開で寝よう!と思ったら天井を雨が叩き始めた。近くの入道雲から稲光が見えていたので気になっていたんだよなあ(笑)

 

北の脇海水浴場の松(撮影:Hasselblad 907X CFV II 50C + XCD4/45P)

 

8月21日、2日目。阿南市「北の脇海水浴場」の松原で4時半起床。

 

まだ薄暗いが空が明るくなり始めると日の出までが早いので撮影態勢に入る。天気が良い日は、日没前の日差しと日没後の光が回る状態、それと日の出前の光が回る状態が松を被写体にする僕には絶好の撮り頃。そのため、真夏の車中泊の旅は睡眠不足だがむしろ楽しめている。昨夜調べ直し徳島市に逆戻りして8時前に「大神子(おおみこ)海岸」へ。手入れされた松原の前に広がる浜は細長い特徴的な石が積み重なっていることに気が付く。その名も「大神子石」と言い、絹雲母片岩が風化して細長い円筒型になったものらしく、藩政の時代には貴重な石として庶民の採取が禁止され「御留石(おとめいし)」とされていた。

撮影を終えて車に戻ると、先日問い合わせていて返事がまだだった高知県の土木事務所河川公園管理課から電話が入った。なんと高知市内の「種崎千松(たねざきせんしょう)公園」での撮影には許可が必要で、しかも今回のような撮影目的であっても写真展や写真集は営利目的で有料だと言ってきた。そもそも、公園の松原の保全管理をしている方の話を聞いてポートレイトの撮影をしたいと問い合わせたのに、なんともお役所仕事の典型の様な連絡は想定外で唖然とするというか、そういう対応をせざるを得ないのは属人性なのか役所体質なのか、いずれにせよ憂うばかり。いずれにせよ、こちらの名前も電話番号も高知県の担当者は把握しているので、言われるがままに撮影プロジェクトの企画書をメールで送ることにした。「種崎千松」の撮影に思いが込められるか考えものである。

ゆっくりと国道55号線を南下し懐かしい町「日和佐」に寄り道。学生時代に寝袋とテントをバイクに積んで一人旅をしていたのだが、その時に日和佐町の海岸で野宿し夜ご飯に立ち寄った店で、メニューにないサザエの酒蒸しなどたくさん食べさせてもらって、バイク旅のことを聞いてもらえ日和佐の優しい人の心に触れたのだった。「日和佐」という響きと漢字の印象がそのまま土地の人の優しさを表現しているように感じ、地形や風土でその土地の人柄も育まれているのかなと、このことがきっかけで地域に関心を持つようになった。博報堂の入社面接で「環境の演出」と題してこのエピソードを話したことを思い出す。懐かしい大浜海岸で撮影し日和佐駅前の停車場カフェでランチ。とてもオシャレなお店で、8ヶ月前に出来たそうで店主さんのお母さんがお店を畳んだのを機に東京からUターンで帰ってきて新たなお店をオープンしたそう。「湘南ナンバーですね」と、やはり優しく話しかけてもらえて40年ほど前の日和佐での幸せな思い出を話すことができた。心の中にしまっている玉手箱のような大事な記憶を同じ土地の人に話すことができたことが何よりも嬉しい。現在は2006年の市町村合併で日和佐町は廃止され美波町日和佐となっている。「日和佐」の地名が残っていて良かった。

とても穏やかな気持ちで今日の目的地である徳島県海部郡海陽町「大里松原」へ。ここは飛び込み電話で社会福祉協議会に問い合わせ、松原保全のキーパーソン斎藤正さんの連絡先を教えてもらい、直接お話をして会ってもらえることになった場所。その電話で聞いたのが、「複数の部落が共同で松原を管理している」「数年前の台風で多くの松が被害を受けてしまった」と言うことで、確かに松がスカスカになってしまっていて、空いた場所には多くの苗木が育っていた。いつもの様に松原全体を把握し特徴を理解して、この松原ならではの写真へと追い込んでいく。撮影モードに入るまでが長く、酷暑の中を歩き回るので熱中症に要注意なロケハン。初めての土地で撮影に追い込んでいくのはある意味で修行そのものだと感じる。この松原は4kmあり、その中ほどのグランドに2本の巨樹が残っていた。幸いにも潮を被らなかったのだろう。数百年は刻んでいるのではないかと思え写真的にはこの松原のハイライト。夕暮れで納得の撮影を終えようとした時、斎藤さんから電話が入り明日の10時にお会いできることになった。また新たな物語を獲得する期待に胸が高まる。

今日は最寄りの「ふれあいの宿遊遊NASA」の日帰り温泉が19時で受付終了だったので、18時半に撮影を終えて行ってみるとなんと貸切状態。温泉からは夕暮れの太平洋が見下ろせて泉質はヌルヌルとして肌にいい感じ。今夜は台風被害でできてしまった松原の大きな空き地に車をとめて、ドアに網戸を被せて窓全開にすると冷んやりした風が抜けていく。外は真っ暗でドアを全開にして見上げれば松原の上空は満天の星空で天の川もしっかり見え多数の流れ星が。これを撮影してたら寝る時間がなくなってしまうので横になろうと言いながら三脚を立てる。聞こえてくるのは、波の音、鈴虫、クツワムシなど多数の虫の声。ワクワクして眠れない。ああ自由だ。

 

8月22日、3日目。昨夜は天の川を見上げながら、天然の音楽と涼風に吹かれ爆睡。

 

なんだか暑いぞと思って目を覚ましたら8時過ぎ。目覚ましをセットし忘れカンカン照りの中を汗だくで目覚めた。朝焼け早朝の絶好の撮影タイムを逃してしまい写真家失格である。まあ、しっかり睡眠を取り返したのでよしとして、ここ「大里松原」の再生活動を推進している斎藤正さんに10時にお会いする。飛び込み電話アポに快諾くださった方の第一弾だ。約束の場所に中島治二(はるじ)さんと2人で来てくださった。中島さん曰くは斎藤さんと40年来のお付き合いで兄弟のようなものとのこと。

さて、この松原は2021年に書かれた朝波文香の徳島大学での博士論文「海岸マツ林の保全管理とローカルガバナンス」で松原保全や祭りの維持による地域コミュニティのモデルとして記された場所。その論文発表の後でさらにローカルガバナンスを発揮する事態が起こってしまったのだ。千葉県に多大な被害を及ぼした2019年の台風15号は、はるか四国沖を通過し雨も風ももたらさなかったにも関わらず80年に一度と言われる大波がここ大里に襲いかかり、松原全体の1/3が浸水し大量の砂が打ち上げられてしまった。いわば白砂青松の理想的な風景のような状態になったが、水が引いてしばらくすると黒々としていた松が浸水エリアのみ一気に赤く枯れ始めたそうだ。ネットで検索すると2020年2月の大里海岸の写真があり松原は真っ赤になっているのがわかる。台風被害の直後は徳島県が機敏に動き大量の砂を押し戻したり松原再生に向けた支援があり県民連携で今に至っている。

そんな話を現場で聞きながら、ポートレイトを撮影しようと思ってカメラを持って思案していると段々と視界が真っ白になっていき、その場に立っていられないほどの急激な貧血、立ちくらみがしてきて座り込んでしまった。それでも逃してはならないチャンスと数枚シャッターを切ったが、何のアイデアも浮かばずただポーズをお願いするのが精一杯。とうとう斎藤さんに甘えてご自宅で休ませていただくことになった。いやはやこれが熱中症か、肝心な時に参った。今日はどうも写真家失格と思うことが続く。エアコンの効いた部屋で冷たいお茶をいただきながらゆっくり座らせてもらい、斎藤さんが地元の小学校で話す際のppt資料(この内容が濃い!)や被災写真を拝見しながらお話を聞かせていただく。小学生に話して聞かせるレベルのものが大人にも理解が行き届いていいんだよと納得の説明。

この地は1600年代には松原が存在し、1800年ごろには松露が産物として記録されていた。明治に入り地方自治のあり方が変化する中、村議会で5地区からなる大里部落の住民の共有地となり、その後の政策で町有林となったあとは部落に「地上権」が認められたという全国でも稀な場所。今も引き継がれている大里部落は、浜崎、中小路、飯持、前田、松原の 5 地区に在住し活動趣旨に賛同する約 700世帯で構成されており、「基本活動趣意書」には農業支援、祭り維持、松原保全が3本柱として記載されガバナンスが維持されている。このガバナンスのおかげで、2019年の災害の後、徳島県を始め様々な支援を取り付けて再生事業を推進できている。この時に松の管理を整理し、10万本と言われていた松は胸高直径10cm以上は15,000本程度であったことがわかり、道路側はクスノキを中心とした広葉樹、海側の前線は黒松となっている。現在、稲科の草が繁茂しているが9月に入れば草刈りをして草履でも歩ける松原にし、クスノキの種も集めて道路側に植林していく計画だと言う。まさに住民主体による官民連携と外部連携を行う地方自治のモデルとも言える。しかし言葉で書くと綺麗な話になるが、斎藤さんのご苦労は想像以上だと言葉の端々から感じ取ることができる。何より世代交代が大きな課題で、斎藤さん73歳、中島さん76歳、ズバリ僕らの世代に渡すべきバトン。多分、全国各地ともこの60歳前後の世代が継承する時にあるのだと、我がことに置き換えると他人事に思ってはならない課題である。

お昼時になり、体調も良くなったので、夕方に撮影チャンスをいただくことにして斎藤さんのご自宅を辞した。その直後に激しい雨が降り出し、落ち着くのを待って行動開始。一人で眺めていた時に感じようとしてた「大里松原」は、斎藤さんと中島さんの話を聞いた後では全く見え方が変わり、感じようとしなくても人の手による姿となって風景が立ち現れ撮影モードに入っていく。これが写真に必要な「物語」と言うものなのだ。そうこうするうち斎藤さんから電話があり再撮影である。情報を得ただけではなく肉声によって深みが感じられるようになって魅力が理解できた風景に、どのように立ってもらえば納得の作品になるかが見え、試し撮り1枚のあとその通りにリクエストして1枚勝負のシャッターで納得の終了。多分、写される側もその意図が当然と感じるから、ポーズのリクエストも必要ないぐらいに阿吽の呼吸で行けるのではないかと感じたほどの1枚だった。こうしてコミュニケーションを重ねポートレイトをストックすることで、このプロジェクトの姿形が出来上がっていくという手応えを感じる出来事だった。別れ際、なんと斎藤さんFacebookのプロフィール写真を見ていたので、丸々と大きなスイカを持って来られ気持ちが嬉しく有り難く受け取った。

次の取材先である芸西村役場に連絡し、天気が下り坂で読めないが明日の午後お会いすることにした。少し気がかりな場所を見て歩いていると雨が降り出し車に戻ると豪雨。今日も撮影時は降らず晴れ男のジンクスは維持。雨の中を旅を進めようかと迷ったが、今日の体調も考え昨日の日帰り温泉に行く。連日の貸切状態で疲れを存分に癒し、昨日は営業していなかったレストランが開いていたので阿波地鶏の定食を味わえた。大里海岸の端っこにある集落からはかなり離れた駐車場で車中泊。

 

大里松原の斎藤正さん(熱中症でダウンしながら撮影したバージョン)(撮影:Hasselblad 907X CFV II 50C + XCD4/45P)

 

(四国黒潮紀行 高知県をゆく編に続く)