(松韻を聴く、静岡で学びの旅より続く)

 

大乗寺、別の名を応挙寺

 

在所は、兵庫県の日本海側にある香住漁港の少し内陸に入った集落である。このあたりの建物は漆喰と木板の統一された意匠で建てられているものが多く見ていて心地が良い。昔の日本各地の景観は、このように調和が取れていたであろうと思いを馳せてしまう。大乗寺はその中で小高い山を背に石垣を組んで佇んでいる。

円山応挙が京都で苦学していたころに、当時大乗寺の住職であった密蔵上人が才覚を見込んで支援した。その恩返しに、1787年に大乗寺が再建される際、応挙は弟子たちと2人の息子とチームを組み8年をかけて襖絵を制作した。しかし応挙自身は大乗寺には足を運んでおらず、図面を頼りにすべての空間演出を行っている。そのプロデュース能力は現場に足を運べば思い知らされる。それを今回身を持って体験した。その全てが重要文化財に指定され普段は厳重に保存されているが、現在13年ぶりに客殿に戻され本物たちが静かに佇んでいるのだ。

 

応挙が迎えてくれる(撮影:Hasselblad 907X CFV II 50C + XCD4/45P)

 

僕の個人的なプロジェクトとして、全国の松の林、松の巨樹、松の縁などを訪ねて撮影する「松韻を聴く旅」を少しずつ取り組み始め、今年の夏から本格的に開始する予定でいるが、今回の応挙はこのプロジェクトにとって格別な意味を持つ「松の縁」となると感じたのだった。

長谷川等伯の「松林図(国宝)」、応挙の「雪松図屏風(国宝)」と「松に孔雀図(重要文化財)」は何をおいても松を撮影する僕にはイメージの源泉であり、心の刺激でもあり癒やしでもある。特に応挙は徹底した写生で描くと言わている。勝手ながら決め台詞のように言えば「雪を描かずに雪を再現し、墨で描いて色を再現する」のである。その技法や科学的知識と妄想力を基礎体力に持っている。今どきの企業人のスキルで言えばイノベーターとクリエイターとプロデューサーだと思っている。

兵庫県の日本海側は、小学校の臨海学校や大学生の夏休みなどで親しんだ土地であるが、茅ヶ崎に住む現在は旅である。大乗寺のウェブサイトや報道を見て、展示期間中のもっとも寒そうで拝観者が少なそうな時期を狙って行こうと決め今回スケジュール調整して足を運んだ。さすがに三脚の使用は難しいだろうと考えて最低限の機材だけを抱えて。

豊岡駅からレンタカーを借りて撮影機材を持って大乗寺に入った。入り口の立て看板に撮影禁止とある。ここまで来てようやく空気感を察し、そりゃそうだ当たり前だと受け止める。僕は写真家として基本認識がなってない。

他の拝観者の方たちと一緒に、案内の係の人の話を聞きながらすべての襖絵を見る。一度では満足できず二度。「松に孔雀図」には、絵としての奥行きと墨の使われ方、そして空間の活かし方を、自然光で見て圧倒された。加えて、全ての襖絵の空間の使い方の見事さは美術館のガラスケースに収められていては体感できない。これが日本美術の真髄ではないか。人間の暮らしの空間に存在してこそ価値を知ることができる。体験だけでも至福の時間である。しかし本来の目的は撮影である。

係の方が落ち着かれてから撮影のお願いをしてみる。「副住職に聞かねば答えられない。あいにく今日は対応できない。お話があったことは伝えておくので明日再訪されては。」と言っていただき、さらに拝観者が途切れた時間帯には、「松に孔雀図」を自然光で眺めながら僕の話を聞いてくだった。光の変化によって絵の印象も変化する。京都からお越しで、応挙の追っかけと自負されている天野さんという女性も応援してくださった。

さて翌朝、ご教示いただいた「撮影許可申請書」をしたため、「プロジェクト企画書」と合わせて近くのコンビニで出力をして再訪した。誠に便利で有り難い時代である。係の方にご挨拶をして別室に通していただくと、山岨眞應(やまそばしんのう)副住職が笑顔で入って来られた。 昨日ご対応くださった係の方はなんと副住職の奥様だった。確かに話を聞いてくださっていて、改めてお願いすると「是非あなたらしい作品を残してごらん」という趣旨のことを言っていただいた。本物が佇む空間の記録を残すことの意義を、本気で考えていらっしゃるからこその大きな心だと感じる。

副住職も、折を見てはあらゆる光線で撮影をされているという。その機材を見せていただいたがこれは素人ではない。出力されたファイルも拝見したが見事の一言である。お話を伺えば、化学メーカーの研究所に勤めていらっしゃったこともあり、墨や絵の具など彩色の知識から、その印刷や出力などの再現の知識まで、それこそ圧倒された。あまりに興味深く楽しいのである。

肝心の僕の撮影は、なんと副住職の監修の元で行えた。加えて三脚を貸してくださったのである。昨日がロケハンだとすれば、撮影を積み重ねた方の原体験のアドバイスが加わるのである。さらにはうかつな写真家に機材の補充まで。昨日ご一緒だった天野さんが、応挙を見る良い時間と言いながらアシスタントのように手伝ってくださる。天野さんから「副住職は襖絵は見る人によって違う。それは最後の一筆は自分が入れるからだ。というようなことを言っていた」と教えてもらった。これを応挙の絵の前で聞くと伝え聞きでも重みが違う。気がつけばご挨拶をしてから少しの休憩を挟んで4時間は過ぎていた。

応挙は、金箔の上に墨を入れる難しさだけでなく、何度か筆を入れることで深みだけでなく色も入れている。250年前に描かれた墨が今も色を分けて語りかけてくるのである。松から取ったススを原料にした松煙墨(ショウエンボク)と、植物油などを原料にした油煙墨(ユエンボク)を使っている。それぞれ光の反射次第で青を感じる色と茶を感じる色に見えるという。応挙はこの特性を使い分けて、孔雀は光沢ある青みがかった色に、松の幹や枝は茶色に、そして松葉は緑色に見えるよう描いているという。すべて副住職からお聞きしたことだ。

今日は雲の流れが早く障子越しに強い光と弱い光が不定期に差し込む。その変化に加えて時間の経過で角度も変わり、立ち位置によっては青、茶、緑の色を強く感じる場所があることがわかる。撮影したデータをモニターで見ると肉眼より鮮やかに色が再現されているものがある。

拝観者が来られると撮影は中断する。しかし移動されたらすぐに撮影できるようセッティングはそのままである。本物を相手に自分を試すことを許された最高に幸せな時間となった。これで「あなたらしい作品」が残せなかったら、僕の個人プロジェクト「松韻を聴く旅」は大した成果は出せないだろう。そんな恵まれたスタートとなったのだ。これを励みに後半生を賭けるぞと気力が湧いた。副住職ご夫妻に感謝をしてもしきれない日となった。

自分の眼力を信じるのみである。

「松に孔雀図」の前で山岨副住職(撮影:Hasselblad 907X CFV II 50C + XCD4/45P)

 

(松韻を聴く旅 瀬戸内紀行 淡路島編へ続く)