(松韻を聴く、新たな旅へより続く)

 

静岡のクロマツに学ぶ

 

今年のGWに、気持ちも新たに自らの写真家テーマとして全国の「松韻を聴く」旅を始めたことをブログに記した。

今回の旅先は日本緑化センターの「身近な松原散策ガイド」に加えて、「全国巨樹探訪記」という個人のサイトを参考にした。この巨樹のサイトは、現在も更新されておりとても検索閲覧しやすいサイトである。

この巨樹サイトの情報から浮かんできたのは、東海道の名残りなのか、焼津、藤枝エリアに状態の良いクロマツの巨樹が集中しており、加えてクロマツの巨樹が多い沼津市戸田の御浜岬を今回の新規の撮影エリアと見定め、また沼津の御用邸や千本松原も深堀するため向かうことにした。

基本的には、防砂や防風のために植樹された松原を対象とし、まさに地域社会を育むクロマツやアカマツの存在感を、写真家の力量として浮かび上がらせることが目的であり、松原の意義を伝えたいという思いである。

前回の秋田、山形、新潟の海岸林を撮影して実感した、時代に翻弄されながら飛砂と向き合い暮らしを守る松原を作り上げてきた先人の努力と、マツクイムシの襲来と向き合う現状。日本という国における松原の存在意義、単なる自然保全ではなく社会基盤としての松原であること。これを言葉で伝えるのではなく写真の力で伝える。そのためにどのように松と向き合い表現するのか。この瞑想のような撮影プロジェクト、いわば”生き甲斐”がようやく見えてきた。今回は、これから活動を本格化させるための準備というか覚悟というか学び多き機会となった。

なお、本格的な撮影旅に向けて、レンタカーもタウンエースを改造したトヨタモビリティ神奈川の「アルトピアーノ」にした。

 

11月6日(日)、1日目。御浜岬の巨樹たち

 

この季節の日の出は遅い。まだ暗い5時に自宅を出て沼津に向かう。7時ごろに最初の目的地である「御浜岬」に到着。Google Mapのストリートビューで目星をつけていたクロマツなどを確認。天然の良港のため幕末にはロシアとの交流の物語があり、実際に撮影を始めると続々と樹勢の良い年輪を重ねたクロマツが立ち現れ、極めて魅力的なエリアであることがわかった。

ここでの学びは、一本の年輪を重ねた松とファインダー(モニター)を通して向き合い瞑想を深めシャッターを切ることである。数百年と重ねた歳月、見てきたであろう歴史、そして生きる力、これらを感じて撮影する。ただ今日は日曜でかつ地元のお祭がコロナにより3年ぶりに開催され松林にテントが張られている。気が付けば昼を回ってしまったが、まだ撮影足りないので平日である明後日の朝から再撮影をしようと決め移動する。

途中、井田のクロマツも気にかかり寄り道。集落を歩くとまるで夏のような日差しでTシャツで十分、この季節にしては冠雪が少ない富士山が綺麗に晴れ渡る。斜めの光が射す「沼津御用邸」に到着し、昨年GWの撮影を踏まえて、「御浜岬」での学びを活かして撮影を深める。明日は曇天から雨の予報のため、どこを撮影するか迷いながら沼津の御用邸近くの海岸で車中泊。全く照明はないが月明かりに照らされ生暖かい夜である。

 

御浜岬(撮影:Hasselblad 907X CFV II 50C + XCD4/45P)

 

11月7日(月)、2日目。クロマツの巨樹たち

 

4時起床。明るくなって来るのを待って千本松原で少し撮影。天気予報に反して富士山がくっきりと見え下り坂の天気には思えない。次に焼津、藤枝に向かい巨樹の撮影を開始する頃にはいよいよ青空が広がった。

樹勢のある4カ所を選ぶ。まず焼津市にある「旭傳院のクロマツ」で推定300年、幹囲5m、枝振りも迫力があり撮影1時間を要した。次に藤枝市の大慶寺にある「久遠のクロマツ」は推定700年。こちらは広く枝を広げているため支柱があり撮影にはひと工夫が必要であるが学びを深める機会となる。続いて同じく藤枝市の「宗乗寺のクロマツ」は樹齢は不明で樹高21mあるがすっきりした立ち姿で撮影は短時間で終えた。

最後に焼津市下小田にある推定300年以上の「下小田のクロマツ」。この木の足元にはお墓があるのだが、寺院があるわけでもなく周りを囲むように建つ家々の土地から入ることができる。まるで地域の共有地のような状態。木の樹勢はもちろんだが樹形がとても良く1時間は撮影に没頭。ここで気づいたのは、松の個性というか人格である。それぞれの方向から見ると全く違う表情が見えて来る。表側と裏側があるような、躁と鬱があるような、喜びと悲しみがあるような、外交性と内交性というか、同じ木であるのに正反対の表情が存在するように感じる。これを表現することを学ぶ。

そして松韻である。風が吹くたびにこの1本の木からなんとも奥深い優しい音が聞こえる。この音が聞こえて来る風景を表現するのかそもそもの目的である。果たして撮れているだろうか。隣接する家の方と話すことが出来た。数年前に地元の植木屋さんが、鬱蒼としたこの松樹の剪定し、周辺の地面10m程を掘り返して根の状態を確認し肥料を入れたそうである。とても状態が良いとの判断だったようで、数百年の歴史の一コマに接する人々としての役目を果たしている様子が感じられ、今後も代々地域の人々と共に生きていくであろうと想像する。

短い太陽の時間を生かすため、急ぎ「千本松原」に戻り、夜には戸田に向かうこととする。ここでは、ドラマチックで強い西日を受けた松たちが存在感を強烈に発揮していた。ここでも樹形によって様々な感情を持っていることが見えた。個性というよりも人格が見えるように感じるのだ。今日はこの時間までTシャツで過ごせる非常に良い天気。

明日は快晴の予報で夜明けから「御浜岬」の再撮影を行うため戸田に向かう。リサーチ不足にも程があるのだが、戸田には「くるら戸田」という温泉付きの道の駅があった。迷わず温泉に入る。この周辺には他に道の駅がなくシーズンには相当な混雑をするようだが、この季節でさらに平日とあって駐車場も空いているのでここで車中泊とする。

 

下小田のクロマツ(撮影:Hasselblad 907X CFV II 50C + XCD4/45P)

 

11月8日(火)、3日目。伊豆の日没

 

4時起床。暗いうちに「御浜岬」に移動。夜明けと共に撮影を開始する。今回初めて三脚を活用。日差しの変化に合わせて移動し目星を付けていた松樹をめぐる。名も無い多くの松の巨樹が並ぶ景観に完全に魅せられてしまった。学び多き時間となる。

ここで、思考を言語化していかねばならないと思った。1本1本の松樹の個性や人格を浮かび上がらせるため瞑想するようにファインダー(モニター)を通して向き合う。そして松樹たちによって構成される景観の魅力を浮かび上がらせ撮影する。「松韻を聴く旅」というのは、そういう写真を撮ることだと、この旅では一旦整理しておく。今後も多くの気づきによって言語化することが出来たらと願う。

さて、4時からすでに8時間をこの「御浜岬」で過ごし明るくなった6時から6時間は撮影をしている。この季節とはいえ太陽も真上に来ているので、この時間帯に移動すべく切り上げしばし検討し、東伊豆にある海防のために植樹された松の巨樹を撮影して今回の旅を終えることとした。東側のため、日差しが残っている時間に着けるよう先を急ぎたいが、伊豆の移動は南北はもちろん東西はさらに厳しい。のんびりと県道の山越えである。

幸いにも西日に照らされた東伊豆町にある「海防の松」に会えた。看板によると、江戸時代の中期に海防問題が高まり巡視した結果、幕府の指示で海上から村々の防御の様子が見えないように当時で40年生の大きな松を植えたとある。よって推定の樹齢は250年、明治初期には数百本が残っていたようだが、周辺には多くの切り株があり巨樹は2本のみ。言い伝えでは若い男女の悲恋がありはりつけの松という名称でも呼ばれている。沈みゆく夕日を利用して様々なアングルを試みて日没を迎えた。

ここから茅ヶ崎へ戻ることとする。途中、伊東で休憩するが、駐車場で多くの人が月を見上げているのを見て今日が皆既月食であることを知る。完全に欠けて赤い月になるのを見届けてから、平日の夜なので空いていることを見越してR135、R1、R134と地道で帰ることとした。

 

海防の松(撮影:Hasselblad 907X CFV II 50C + XCD4/45P)

 

(松韻を聴く旅 大乗寺(応挙寺)で撮影へ続く)