(暖冬の日本海をゆく(5)萩で松との新たな出会いより続く)

 

1日目(3月12日)土砂降りの雨が雪へ変わる中央道

 

豪雨の茅ヶ崎を午後出発し、強い雨に打たれながら中央道を走っていくと、須玉あたりからみぞれとなり標高1,000mあたりで一面雪化粧へと変わった。東北や日本海に続き雪化粧が似合う松を調べてみると、長野県に赤松の巨樹が多いことがわかったので、3月のなごり雪が降るという天気予報を待ちに待って満を持して出発した。

「全国巨樹探訪記」に基づき「松韻を聴く旅」で確認してきた現存する松を幹回りのランキング通りで記す。上位19位の中で岩手県はまだ全てを確認できていないが、今回の旅の結果から言うと長野県は7本残っていることが確認でき全国トップの赤松巨樹の宝庫であることがわかった。

 

(全国巨樹探訪記から引用し追記)

 

明日の撮影に備えて恒例の日帰り温泉は中央線塩尻駅の近くにある昭和の香りが漂う共同公衆浴場「桑の湯」。薪で温められたお湯はなんとなく肌に柔らかく感じ芯から温めてもらえた。しかし今年の6月末で閉館するようで残念。車中泊は早朝の行動を考え塩尻インターに近い「道の駅小坂田公園」。みるみるうちに車が雪で白くなっていく。

 

2日目(3月13日)雪山で鹿の群れに見られながら斜面を行く

 

4時半に起床し5時過ぎに移動開始。中央道の塩尻インターから乗り諏訪インターを降りて6時過ぎに茅野市の諏訪南行政事務組合の駐車場へ。前回の旅の帰りに視察に来ていたのでここまでは極めてスムーズにことが運んだ。ここから2km弱ほど山の中を歩くのだが、昨日の積雪で膝下まで埋まりながら一歩一歩ゆっくり進んでも息が上がってしまい何度も給水休憩。誰の足跡もない林道を行くのは心細さと優越感とが入り乱れる。ようやく視界が開け辿り着いた「からかさ松」。

ところが、ここまで誰の足跡もなかったのに一人の足跡が松の周辺だけに残っているではないか。しっかり調べたわけではないが雪が深く他のコースからアプローチができるようには見えず、不安というより解明できない不思議な感覚を抱いたまま、これはきっと山の神様の足跡ではないか?と呟いて気持ちを閉じておくことにする。

二本の幹に分かれておりそれぞれ男松と女松と呼ばれていて幹回りは6.4mあり推定樹齢は390年。先述のランキングでは国内トップ3の幹回りを誇る。春の重たい雪を被った姿が神々しく、あらゆる方向から撮影し個性的な姿を堪能した。ここまでの道のりを考えると立ち去り難く何度も振り返る。雪道だと帰路では己の往路の足跡を見るととても切ない気持ちになるということを知った。しかも自分の足跡だけが延々と見えるので今回は尚更だった。あとどのぐらいで着くだろうか、本当に存在するのだろうか、熊は出ないだろうか、など初めて歩く山道が雪道だと不安も倍増であり、全てを確認して帰路につきそんな足跡を見ると時空を旅している感覚というか、すぐ先の未来を心細く考え歩いている自分が可愛いというか愛おしく感るのだ。

 

山の神様の足跡?があった「からかさ松」(撮影:Hasselblad 907X CFV II 50C + XCD4/45P)

 

国道152号線を40kmほど南下し、伊那エースカントリークラブのコースに隣接する磯部神社の雪に埋まった参道を数百メートル歩くと推定樹齢400年の「久保田のアカマツ」が佇んでいた。看板には「大樹の枝張りを仰ぐと幾星霜の樹齢を思わせる」と記されており書き手の想いも辿りとても浪漫を感じた。斜面に立ち2mほど根上がりした松で、幹周りは4.5mと太く迫力があるのだがかなり衰弱し枯れているように見える。青い葉がほとんど見えないのだ。ゴルフ場がシーズンインしたら手を入れてもらい、なんとか生き延びて欲しいと願いつつその場を離れた。

長野県を縦にかなり南下したのと、春の太陽が照り始めたからか一気に雪が溶け始めていることに気づいた。まだまだ土地勘がないのだが、北上や標高を上げたら雪が残っているのではないかと考え、北佐久郡の山中に佇む「天狗松」に向かうことにした。伊北ICまで地道で走り岡谷ICを降りてからは国道142号線を北上で走行距離は90km弱。旧中山道で多数の宿場街が残りそれに合わせて道の駅も多い。中山道で最大の難所と言われた和田峠の麓にある「和田宿」を過ぎ笠取峠を越えて降りていくと「笠取峠の松並木」を見つける。公園にもなっており丁寧な保全活動があることが伺え帰路に寄ってみたい。周辺には多くの赤松が健やかに育成する山々が続き、目視ではマツクイムシ被害もほとんどなく爽快な気持ちになる。長野県のこの周辺は気候・風土・地質、そのいずれもが赤松に適しているのだろうか?巨樹が多く残る理由がわかるような気がする。

google mapで目当ての松の巨樹を検索して出てこない場合は、緯度・経度の座標で目的地設定している。名称で検索するとかなりの数の巨樹が地図情報に入っていること自体が驚きではある。しかし、この「天狗松」の場合は山中にあり座標で特定しないと辿り着けなかった。最も接近したと思われる周辺で駐車できる場所を見つけ、道路から人が歩ける急坂の道があったのだが森の入り口のような場所で完全に雪山の中に消えてしまった。

ここまで来て諦めるわけにもいかず、スマホの地図画面を見ながらピンが立つ場所を目指すが東西南北もわからずグルグルと回ってしまう。雪深い斜面に膝上まで埋まりながら木々をかき分け歩くというより這いつくばったり滑ったりしながら進む。するとキョン、キョンと鹿が警戒音を発しながら群れで目の前を横切る。丘の上から振り返りこちらの様子を見下ろしている。熊と思われる足跡はなく大丈夫だろうと思いながらも内心はビビりつつ、少しずつピンに近づいていることを確認しながら赤松や落葉樹の林を進むと、逆光の先にある斜面の上の方に特徴ある樹冠が見えた。息を切らしながら這うように斜面をよじ上り根元に近づいてみると「天狗松」は尾根筋にある実に平穏な山道の脇に立っていた。

昔、この山は草山で峰の上に大きな松が一本だけ佇んでいたようで、その姿から「天狗松」と呼ぶようになった。山仕事に来た人の雨風をしのぐ場所として親しまれたと看板に記されている。平成5年の看板で推定樹齢が300年とあるので今は330年としておく。幹周り4.7m樹高25mと近づくと迫力がある。きっと雪のない季節ならなんてことなく山道を歩いて着ける立地なのだろう。しかしながら、雪で道は消えていたが落葉しているので見通しがよく容易に見つけることができた。この季節にこだわる理由はそこにあり、赤松だけは黒々と写るので存在感が出せると考えている。苦労は買ってでもしろを持論に辿り着いただけに、徹底して「天狗松」の周りを移動しアングルを求めた。この方向の樹形もいいなと思うと隣の山の稜線に立つ鉄塔が写り込んだり、この方向の樹形もいい感じだと思うと完全な逆光だったり、樹形全体をファインダーに入れ込もうと後退りすると周辺の樹木が入り込んでしまう。

なかなか思うような撮影ができないが、それが当たり前というかそこで工夫するのが面白いのだ。人間の気配がなく、どこからか鹿たちが様子をみている中で、大きな声で独り言をいいながら撮影している自分を楽しんでいる。これが幸せというものなんだろう。何百年も生きてきた地球の大先輩を相手にわずか数十年で培った力で向き合う。どんな作品になっているかということよりこの行為を楽しむことが大事だと思っている。そうすれば結果はついてくるだろう。まだまだ向き合いが足りないかもしれないが、だいぶ太陽も傾いてきたので切り上げることにする。斜面を滑りおり登ってきたであろう山道の入り口を目指す。道が見えると日常に戻っていくような感覚になった。

 

雪山の斜面を這うようによじ登って対面した「天狗松」(撮影:Hasselblad 907X CFV II 50C + XCD4/45P)

 

往路で偶然に見つけた旧中山道の「笠取峠の松並木」。歌川広重の木曽海道六十九次「あし田」に笠取峠が描かれている。長野県の天然記念物に指定されており脇には赤松の苗育成圃場があり後世に残す努力が伝わる。その昔、峠の茶店からは浅間山が展望できたようだが、今はかろうじて望める角度にあり思うような構図を得ることはできず。しかし江戸時代の旅人が峠を下るときに見たであろう雄大な風景を同じようにみれたのは旅の醍醐味と言えるだろう。ちなみに歌川広重の浮世絵については、恵那市にある「中山道広重美術館」に足を運び学芸員の方々と交流させていただいたことがあり、その時に東海道と木曽海道のカタログを入手した。これが「松韻を聴く旅」で非常に役立っており、撮影の時の想像力をサポートしてもらっている感じなのだ。

日没間際にたどり着いたのは、「笠取峠の松並木」から約30kmほど南東に向かった佐久市の古い佇まいを残す小田切の集落を抜けた旧道に立つ「お神明の三本松」。神明は江戸時代のこの辺りの地名で、開拓事業の成功を祈るため神明社を祀ったことから名付けられた。この松を地元の人は神木として大事に守り続けていると伊那市の資料にあった。夕暮れの弱い光がまわるのを良しとして今日の撮影は終了。1日で5カ所も撮影できたのは終わってみてびっくりだが、それだけ赤松の巨樹が密集しているとも言える。

恒例の日帰り温泉は、明日の撮影場所に備えて「あさしな温泉穂の香乃湯」。泉質はナトリウム・カルシウム塩化物温泉、泉温は30.1℃。ここは露天が大きく外気は氷点下だが泉温43℃で快適。雪山を歩いて疲れた体を芯から温めてもらった。車中泊は明日の最初の目的地に至近の「道の駅雷電くるみの里」

 

(信州の老松たち(2)長野は赤松の老松の宝庫だったへ続く)