(信州の老松たち(1)長野の雪山で老松たちに会うより続く)

 

3日目(3月14日)今日も老松との出会いが続く

 

昨日は夜明けから日没まで5カ所の撮影&移動で過ごし、夜は撮影したデータが多いため現像作業が夜中の2時までかかってしまい今日は寝坊とした。

8時に出発し向かった先は真田の里を20kmほど走った上田市真田町傍陽穴沢の集落に佇む「穴沢弾正塚の一本松」。標高が高い山あいに穴沢集落はあり、味わい深い景観を抜ける細い急坂を奥へ奥へと登っていくと、山に向けて視界が広がったところに巨大な松が佇んでいた。しかしながら、サイトで見た10年ほど前の写真と比べると枝の数が減り、松葉は青々としているがボリュームもかなり減っており、幹は痛々しく支えられていた。推定樹齢500年。ここ数年で一気に年老いてしまったのだろうか。そう思うと会えてよかったと素直に思う。あまりにものどかで人や車の往来は全くなく時間が止まったような場所。撮影がひと段落したら、道路に座り込み風に吹かれ松韻を聴きながら枝から雪を落とす一本松をしばらく眺めていた。松の根元には「弾正塚宝篋印塔」がある。宝篋印塔は、延命や減罪など生前または死後に供養するために建てられた供養塔。弾正は真田家血縁の半田家の人物とされているが定かではないようだ。

せっかく真田の里に来たのだからと思って、松があることを期待して真田昌幸が上田城に移るまで、真田家の本拠地であったと言われている「真田氏本城跡」へ。ちなみに町中の案内板の全てに六文銭があしらわれていた。時代劇や小説によってカリスマ性が増しているかただと思うが真田一族に対する愛が強い町。そのシビックプライドを素直に素敵だと思う。城跡の中心部は予想通り赤松の丘。樹齢は壮年といった感じで、真田家ゆかりの松ではなく近年に植えられたものだろう。しかし残雪で良い雰囲気を醸し出していて、広々とした丘の上は快適すぎて時間を忘れる。本城跡からは真田の郷を一望できここを本拠地にした理由がわかる気がする。それにしても真田町の田畑が広がる南向きの斜面には新しいオシャレな一軒家が多数並んでおり新たな町が出来つつあるようだ。

中山道を60kmほど南下して向かったのは、諏訪湖サービスエリアから仰ぎ見ると佇んでいる老松。連携をしている「一般財団法人日本緑化センター」の方から、数年前にその姿を見つけたことを思い出したと連絡をいただき、google mapで探すと「神送りの一本松」だと判明しその存在を確かめるため向かった。近くまで行くと「諏訪湖スマートIC」のための大掛かりな工事現場の中に佇んでいるのが見え、ナビ通りの西側からは通行止めで近づけず大きく迂回して東側からだとすぐ横まで来れた。樹齢は不明。日没が迫り「神送りの松」の背景では八ヶ岳が淡い色に染まっていく。このあたりは、中央高速ができる前までは眺望の良い標高835mの「神送り山」に遺跡があったらしいが、サービスエリアの工事でこの一本松を残して煙滅したようだ。神無月に諏訪に集まった神々がそれぞれ国に帰る際にこの山で見送ったと伝えられており、歴史的に重要な場所で「お天井」という地名も残っていると「豊田村史」にあるらしい。この松がいつ頃からのものなのか不明だが、それほど樹齢は重ねていないように思われる。しかし丘の上に伸び伸びと1本で佇み、住環境としては抜群によく樹形が見事。工事現場の様々な障害物があるのだが、それを工夫してクリアすると予想外に手応えのある撮影ができた。

今日もいい出会いが続いた。明日は12ある現存天守で8つの国宝天守の一つである「松本城」で良い松がないか確かめることにした。そのため日帰り温泉は下諏訪温泉の「旦過の湯」へ。地元の人が通う温泉で280円。泉質はナトリウムカルシム硫酸塩・塩化物温泉で源泉は52℃の掛け流し。湯船は44℃ぐらい。少し硫黄のような匂いを感じるので傷口に良いらしく柔らかく滑り感がある。ジンジンと足裏や腰のあたりから温まり、今日の疲れを癒してもらった。あたりは雰囲気の良い温泉街。車中泊は一気に走って安曇野市の「道の駅アルプス安曇野ほりがねの里」。

 

「穴沢弾正塚の一本松」(撮影:Hasselblad 907X CFV II 50C + XCD4/45P)

 

4日目(3月15日)快晴のもと日本アルプスを仰ぎ見る

 

まだ暗い中を走り出すと北アルプスが淡い色に染まり始めた。「松本城」には天守閣に絡む迫力のある松の木はなくどのアングルだとこのプロジェクトに入れ込めるか撮影を楽むことにした。天守は平坦なロケーションに佇むからか、他の城のような戦闘性を感じず平和な時代に建設された公園施設のように感じた。

2日目に撮影する予定だったが、雪を求めて北上したため断念していた大鹿村の河合集落に佇む「夜泣き松」に向かうため、松本から長野自動車道と中央高速と一気に100kmほど南下する。松本城からも美しく望めた北アルプスに別れを告げたと思ったら、中央アルプスを仰ぎ見ているうちに南アルプスが見えてくる。「日本アルプス」をこのように1本の道を走りながら堪能できるとは知らなかった。その裾野の山々には赤松林が無数に続くのが段々と気になってくる。あまりに健康的で美しいのだ。地質や気候がマッチしているのか、これまで見た限りで言えば長野の赤松は本当に元気でマツクイムシ被害が広がっているようには見えない。

日本アルプスを背景に赤松林を撮影できないかとたまらず駒ヶ根ICで降りてしまったが、なかなか良いロケーションが得られず再び高速に上がって予定通り松川ICで降りようとしたら、その少し手前の与田切川の両岸に赤松が点在し背景に中央アルプスが展望できることがわかり向かってみることにした。高速の足元は「与田切キャンプ場」になっているが、冬季閉鎖中にも関わらず河岸の林道を奥へと走ることができ何とか撮影ができた。

道すがら、自分で決めたテーマの大好きな被写体を探し、自分の指示判断で日付も曜日も関係なく行動し、日本アルプスに挟まれた幸せに満ちたような高原を抜ける清々しい農道を走り、なんと幸せな人生なんだろうと気がつく。しっかりと結果を出すためにこの命を大切にしようと思った。こんなことは会社勤めの時に感じたことはなかった。自分のことは自分で守る個人事業主の感覚なのだろうか。

松川町から天竜川に注ぐ小渋川に沿って県道59号を走ると、両岸は険しい岩山のようで青々と立ち並ぶのは全て赤松という景観に驚きながら走り国道152号線に合流したあたりで大鹿村に入る。国道をそれてすれ違いができない細い林道のような山道をひたすら登って峠を越えると、急に視界が開けてぽつんぽつんと河合集落の家が見え人も車も見かけないなと思ったら道路には猿の集団がいる。「夜泣き松」はそんな集落の急な斜面に佇み、西に見える山の稜線に並ぶ赤松のシルエットを背景に逆光で浮かび上がっていた。松のハーモニーが美しい。

「夜泣き松」の命名の由来は、この地にある駿木城に1344年から30年も住み、その後再び戻り1385年にここが終焉の地となったとも言われている後醍醐天皇の皇子である宗良親王にまつわる話となる。「南北朝時代」にまで遡るのだ。南朝方で信濃の国を治めていた宗良親王に仕えた姫が産んだ女児の夜泣きがひどく、その話を聞いた河合集落の村人が近くの観音堂に祈ると観音菩薩が夢枕に立ち、「堂前の松の小枝を枕元に置くと夜泣きが止む」と告げたことから命名されたとされている。このため推定樹齢は700年となっている。それにしても山深いこの地で南北朝時代のエピソードが語れていることに感銘を受ける。

都市中心の現在と違い全国各地が均一に豊かに暮らしていたことに思を馳せるのは勘違いだろうか。地域を巡り松に関するエピソードに耳を澄ませるとあまりの勉強不足を痛感する。若い頃に学んでいればもっと記憶に定着していただろうが、せめて日本史だけでもこうして地域で触れる度に学び直したい。初めて訪れた山郷の風景に立って、この思いを抱くと人生が豊かになるとしみじみと思うのだ。

日没が迫り、今日の車中泊は約30kmほど走り、先ほど幸せを感じた中央アルプスと南アルプスを左右に仰ぎ見ながら走れる高原の県道15号線沿線に位置する「道の駅花の里いいじま」とした。付近にはおしゃれなカフェやレストランがあるのでたまにはと思って気になった「カントリーファーム伊那谷」へ。

山小屋に大きな薪ストーブが置かれた店内には厳しい視線で追い込んだ美しく迫力のある山岳写真のパネルが壁を埋めていた。キャプションに記された「伊原明弘」さんが店主であった。飛び込んだ店は山岳写真家が営むレストランだったのだ。大好物のご縁である。嬉しくなって「全国各地に松を求めて移動している写真家です」と話すと「松が写真の題材になるのですか?」といきなり興味津々で話を聞いてもらえた。

伊原さんは名古屋で何店舗もレストランを経営していたが、60歳を機に故郷の飯田市に近いこの地に移住したという。年齢は一回り先輩だった。25年ほど前から始めていた山岳写真を本格的に深掘りするようになり2021年に初個展を開催。今は軽自動車のキャンピングカーで奥様もご一緒に全国の山々へ被写体を求めて何週間も旅をしているという。例えばフェリーだと4m未満で料金も安くなるので軽自動車にした。その間は当然ながらお店は臨時休業。何とも素敵な暮らしぶりだが、数年前に病に倒れ後遺症もあるという。全くそのようには見えないのだが、やはり山岳撮影に備えた基礎体力づくりが病に勝つ要因なのだろう。毎日朝夕とも3km歩くという。

伊原さんの研ぎ澄まされた写真に大いに刺激をうけ、とても幸せな会話をしてお店自慢の美味しいオムライスを食べて満足満腹。やはりこの地は幸せな空気に満ちていると思っていたら、薪ストーブの薪の多くは、近所の高齢の果物農家さんが子どもさんが会社勤めの方が安定しているからと後を継がないため、果樹園の木々の伐採を依頼されたものだと伊原さんの笑顔も少し陰る。幸せな空気感が満ちていると思っていたこの地も日本社会そのものの課題を抱えていたのだ。

再会を約束し、撮影プロジェクトの成果報告も一方的に約束して店を出た。こういった出会いがプロジェクト続行のエネルギーになるのだ。恒例の日帰り温泉は、駒ヶ根市にある早太郎温泉郷の「こぶしの湯」。泉質は「アルカリ性単純温泉」。無臭でやわらかい肌触り。源泉は30℃前後で加熱。 熱めの湯船で芯から温めてもらった。

 

「夜泣き松」と観音堂(撮影:Hasselblad 907X CFV II 50C + XCD4/45P)

 

5日目(3月16日)長野の老松巡り最終日

 

昨夜のデータ現像作業がまたもや1時を過ぎ寝袋に入ったのは2時を過ぎていたが、寝坊ばかりしていられないので3時間ほどで起床。

昨日見つけた中央アルプスを背景に松林が撮影できる与田切川が近いので日の出に合わせて撮影。この高原地帯が居心地が良いので、ここ下伊那郡飯島町を起点に2ヶ所の老松に向かうことにした。最初は昨日の午後に撮影した「夜泣き松」にいき念のため午前の日差しも撮影しておくことに。30kmほどの距離を45分程度の移動で大鹿町へ。しかし昨日の逆光の方が撮影には適していることを確認する撮影となった。

続いて向かったのは前回の旅で雪が深くで断念した「長谷溝口のカラカサ松」だ。本来なら国道152号戦で大鹿町から伊那市に1本で行けるのだが崖崩れで通行止めになっているため、ここ飯島町に戻って県道18号線で高遠町を経由する迂回しか手段がない。中央アルプスと南アルプスを展望できる飯島町に一旦戻ってガソリンスタンドで給油した際、あまりにも良いお天気で洗車したくなる。雪でドロドロだったので久しぶりにリフレッシュした。

県道18号をいくと駒ヶ根市の火山峠というところに大きな赤松が佇んでいたので寄り道。「火山峠芭蕉の松」と呼ばれ推定樹齢は300年。この松は手持ちのリストになく嬉しい出会いだ。古くから火山峠を往来する人々に親しまれたと看板にあり、命名の由来はこの辺りは圧倒的に赤松林が多く松茸の名産地であったことから、芭蕉の句の中からこの地にふさわしいものを地元の俳人たちが選んで句碑を建てたためで、芭蕉がここに来たわけではなかった。「松茸や 志良ぬ 木乃葉能 遍はり 都支」道のすぐ脇にあるこんもりとした丘に佇んでいるがその丘を覆うような見事な枝ぶり。

「長谷溝口のカラカサ松」は、「道の駅南アルプスむら長谷」がある伊那市長谷の集落から市道鹿嶺線でわずか6kmほどの距離なのだが、時間にすると30分ほどかかる細くて曲がりくねった山道。前回に来た時と同様に除雪されていないため日陰はまだ雪が多く残っているが、積雪後に何台も走った轍があるので意を決して慎重に運転して向かうことにした。ガードレールがない場所が多く倒木や落ちた枝も多い。へピンカーブをやり過ごすたびに標高をあげていくと、日陰の雪も心なしか深くなり不安と緊張で慎重に運転を続けるが、とうとう道路脇の看板に辿り着く。左を見ると雪が残り光り輝く丘の上に佇んでいた。見事な枝ぶりと樹形でようやくの感激の対面である。周辺は落葉しており「長谷溝口のカラカサ松」だけが浮かんで見える。気がついたら2時間近く撮影。日差しが段々と良くなり雪の照り返しがレフ板の役割を果たしてくれた。この季節で正解であった。慎重に里へ降りる際は運転はもちろん慎重だが心は軽快である。ただし、先ほどピカピカにした車体はすっかりドロドロである。

この松で撮影は終了だ。今回は取材を設定せずただひたすらに長野県に佇む老松に会いに行くという計画だった。実質4日間。リスト化していた茅野市「からかさ松」、伊那市「久保田の赤松」、北佐久郡「天狗松」、佐久市「お神明の三本松」、上田市真田町「穴沢弾正塚の一本松」、下伊那郡「夜泣き松」、伊那市「長谷溝口のカラカサ松」の7ヶ所は全て存命であった。これに加えて、駒ヶ根市「火山峠芭蕉の松」、諏訪市「神送りの一本松」と合わせて9ヶ所の老松に会えた。それと北佐久郡旧中山道「笠取峠の松並木」、上田市真田町「真田本城跡」の赤松たち、松本市「松本城」の松たち、上伊那郡「与田切川」からの眺望と合わせ13ヶ所の撮影で十分に満足である。マツクイムシ被害で軒並み全国の黒松赤松の巨樹が斃れているが、これを見ても長野県は赤松の宝庫であることがわかる。次回は長野県の松に関するエキスパートを取材する。「道の駅南アルプスむら長谷」から自宅へ向かった。今回の走行距離は1,189km。

 

「長谷溝口のカラカサ松」(撮影:Hasselblad 907X CFV II 50C + XCD4/45P)

 

(信州の老松たち(3)引き続き長野の赤松の老松を巡るに続く)