(冬の東北でマタギを想う(1)より続く)

 

4日目(1月17日)117に想う

 

阪神淡路大震災から29年。神戸の東遊園地で毎年開催されている追悼行事の今年の言葉は「ともに」。今も余震が続く能登半島地震で被災された方々へのメッセージでもある。災害大国の日本では、いつどこが被災地なるかわからない。

「被災地」と言っても人ぞれぞれ思い浮かべる風景や土地は違うのではないだろうか。風化させてはいけない。そんな思いで毎年この日に文章を記してきた。しかし旅先で迎えるのは初めてのことである。

今日は七戸から国道4号を走り青森県の浅虫へ。山中にある国有林の「馬場山」で推定樹齢700年以上、幹回り7mもある赤松の巨樹の撮影。この赤松は林野庁の「森の巨人たち百選」に選ばれており、マツクイムシ被害で軒並み日本最大級の松の巨樹が倒れていったため、現段階で日本で最大の赤松だと思われる。

ここは前回の撮影旅で雪が深くて断念した場所だ。今回は青森の友人で、2010年より青森県で発生したマツクイムシの被害拡大を抑え込んできた森林アドバイザーでもあり樹木医でもある木村公樹さんに同行してもらえた。

青森県の最初のマツクイムシ被害は2010年1月8日に蓬田村の玉松台スポーツガーデンにある防風林のクロマツ1本に発生。この時、発見した樹木医が枝を採取し青森県産業技術センター林業研究所に持ち込んだ時に対応したのが木村さんだった。以降、診断キットなどを使い、被害が疑われる松の樹液を採集し診断するなどして徹底して被害を抑え込んできた。

本来、マツノマダラカミキリはなかなか見つけることができない珍しい昆虫だったが、北米から入ってきたマツノザイセンチュウとのマッチング効果が抜群で、マツノザイセンチュウによって弱った松の匂いに惹きつけられてマツノマダラカミキリが集まり交尾して繁殖する。

すると体内にたっぷりとマツノザイセンチュウが寄生した成虫が飛び立ち他の弱った松へと移りそこで繁殖するということを繰り返し被害が圧倒的に拡大した。この仕組みを理解して徹底して抑えることをしてきたのが木村さんたちの仕事だった。

現在も青森県の職員の日々の努力によって松が美しい青森県が守られている。前回、そして今回、全くと言っていいほど青森県内ではマツクイムシ被害で立ち枯れた松を見ることもなく、黒々というか青々とした健全な松だけを見ることができている。

そんなことから、推定樹齢700年で日本最大の赤松がここ浅虫で健全に育成できている。

木村さんも冬の「馬場山」に登るのは初めてとのことで、雪でコースがわからず迷いながら進む男2人の雪山での楽しい山登りのようなハイキングとなった。途中、他の場所であれば、銘木として保全対象になるのではないかと思われるような大きな松が何本も現れる。

しかし、その先に遥にスケールの大きな松の天辺が見えた。その大きさは圧倒的だった。この赤松も「三頭木」で、周辺は昔は薪炭林として活用され、その中で「山ノ神」として大切に守られてきたのだろうと、木村さんはいう。

今は枯山に青々とした巨樹の全貌が現れているが、夏であれば他の樹木が生い茂り姿全体が見えないのではないかと思える。しかしクロモジをはじめとした低木に遮られ近づくことができない。

撮影の足場を確保するのに一苦労なのだ。数カ所でなんとか撮影できるポイントを見つけるが、細かい枝が入り込んでしまいスッキリと見通すことは難しい。赤松だけを見て移動すると小枝のパンチを何発も喰らう。これが結構痛い。それと他の樹木が赤松に絡みついたりしており、これまで見てきた周辺を整備された山ノ神たちとは違い荒れた風景に佇んでいる。

他の松の巨樹たちは自治体や民間組織が整備できる立地条件なのだが、ここは国有林であり山を資源として管理することが目的の林野庁の管轄となる。環境省のように自然を保全し景観を見せる仕事ではないのだ。「森の巨人たち百選」にも指定したのだから、林野庁には山の産業への理解を深めるためにも山を魅せることにも予算を取ってもらいたいと切に願う。

9時半にハイキング入り口にある駐車場から山に入って、じっくり撮影して12時半に車に戻った。とても充実した時間だった。浅虫温泉街の食堂で昼ごはんを食べる。

さて、117である。木村さんとの会話で「なぜ松を撮るのか」と聞かれた。

この返事こそ、あの日、芦屋の実家で被災しタンスの下敷きになったことから語ることになるのだ。揺れている20秒ほどがとても長く感じ、あまりの揺れに床と壁に叩きつけられながら「死ぬ?」「地球が終わった?」と思ったことも忘れてはいけないと毎年この日に文章を記してきた。

数日経って、写真とは記録であり記憶であると呪文のように頭の中で繰り返しながら、被災した生まれ故郷を記録するつもりでカメラを持って近所を歩くと、「お前、何撮っとるんや、それはわしの家や。フイルム抜け!」と怒鳴られたり、こつかれたりして、さすがに心が疲れてしまった。

気がついたら子どもの頃よく遊んだ松林の「芦屋公園」に座っていた。子どもの頃に聞きながら遊んだ松の風の音「松韻」。あの日以降、音のある記憶の風景に癒されていたことに気がついたのだ。風景も、他の樹木とは違い個性豊かな樹形で佇む多くの松たちであり、公園として管理されているため下草もなく綺麗に清掃され荒い砂の上に松葉と松ぼっくりしか落ちていない。これが記憶にある松の原風景なのだ。

ちなみに、その芦屋公園には「震災に 耐えし芦屋の 松涼し」と刻まれたモニュメントがありる。今朝、芦屋の親友が「雪道と熊に気をつけて」とのメッセージと共にその写真を送ってきてくれた。持つべき友に感謝である。

以来、この音と風景に癒されていることに気づき、松が豊かな町に住み、松のある風景に関心を持ち、日本人と松に関する書籍も読み漁るようになった。東日本大震災の後はレンタカーを借りて、足掛け7年かけて被害を受けた松林を撮影し、震災から10年後に写真集「松韻を聴く」を出版し写真展を開催した。そしてこの撮影プロジェクトを計画するに至ったのだ。

さらに旅に出てから多くの松や関係する人に出会い日本における松の実情を深く知ることとなった。木村さんとの出会いも大きな出来事であり、その木村さんと約束したのがたまたま117だったのだが、これも良き巡り合わせなのだろう。感謝。

さて、明日はもともと行き先の一つにしていたが、木村さんも良い松が多いと勧めてくれたので「弘前城」に東北自動車道で向かい、すぐ隣に有名な田んぼアートがある「道の駅いなかだて弥生の里」で車中泊。恒例の日帰り温泉は、黒石の浅瀬石川沿いにある公衆浴場「岩木温泉」。地下1200メートルからくみ上げる源泉100%掛け流しで、低張性弱アルカリ性高温泉。家族経営で高齢により廃業したが、地域住民に愛され最近リニュアルした快適な施設で正解。また足を運びたい温泉だ。

 

馬場山のアカマツ(撮影:Hasselblad 907X CFV II 50C + XCD4/45P)

 

(冬の東北でマタギを想う(3)山々が微笑む東北に続く)