(暖冬の日本海をゆく(1)心許ない降雪より続く)

 

4日目 2月18日 雨晴海岸、その名称と景観のマッチング

 

日の出前に動き始め魚津市から滑川市へ移動すると、宿場回廊という看板が至る所に立つので寄り道を誘う。芭蕉が奥の細道で読んだ「早稲の香や わけ入右は ありそ海」の句碑が芭蕉の70回忌である1764年に建立されたものだという。

海沿いを走る県道1号の富山魚津線で富山市に入ると「古志の松原」が続き、中でも道路に沿って佇む長寿の松は「浜黒崎の松並木」と名付けられ、江戸時代に前田利長の参勤交代のため街路美しい景観のために植えられたと看板に記されている。現在の街並みに背の高い老松が並び、その背景には立山連峰がチラチラと望める。

今日は13時半に「雨晴海岸」の松林を維持管理する嶋茂さんにお会いする約束。「雨晴海岸」は3,000m級の雪を被った立山連峰が海に浮かび女岩が佇む絶景ポイントで、世界でも類を見ない景観とされている。いわゆる観光地の景観は「天橋立」に続く2カ所目の撮影になる。ここで意識をしたいのは義経岩に佇む松である。若い観光客が圧倒的に多く早めに着いたのでその中に紛れて自分らしさを思案しながら撮影。

嶋さんは、10年ほど前に地域の松林でマツクイムシ被害が一気に広がったため、多くの松を伐倒したら海の風がダイレクトに家屋に吹き付けるようになってしまったので、県庁から松の苗木を用意してもらって町内会で植樹を開始。本業で様々な重機を扱ってきたので、活動はすんなり始めることができたそうだ。

その後は清潔で明るい松林を維持するため定期的に活動を続けてきた。その理由は、松の健全な成長を促すのはもちろんだが、不法投棄から観光地を守るためでもある。そして何より風光明媚な「雨晴海岸」の白砂青松を維持したいとの思いからだ。今年77歳になる嶋さんだが、この活動の世代交代をしたくても、これほどポテンシャルのある観光地にも関わらず、町に若者がいないと厳しい現状を聞かせてくれた。

嶋さんから「今日は夕方が美しくなるぞ」と教えてもらい日没まで撮影。しかし暗くなっても人が途切れず思うような撮影ができなかったので夜間撮影をすることとし、早めに夕ご飯を食べて撮影データの処理を先に行った。

恒例の日帰り温泉は氷見温泉郷「総湯」。泉質はナトリウムー塩化物強塩温泉(高張性中性高温泉)で、源泉67.7℃の掛け流しと強い温泉のため長湯は注意とある。

車中泊は「道の駅雨晴」にして夜間撮影に備えた。そろそろ釣り人も減っていい頃合いかなと外に出ると気温は10℃。無風で快晴という恵まれた条件。条件が整うと撮影がうまく運ぶように感じるが、あくまでも感性と忍耐が欠かせないことを痛感するのである。

 

観光名所を背景に立つ嶋茂さん(撮影:Hasselblad 907X CFV II 50C + XCD4/45P)

 

5日目 2月19日 雨晴海岸から東尋坊へ

 

まだ暗い日の出前から雨晴海岸でポジション確保。数時間だけ横になった感じの睡眠不足だが全く眠たくない。3000m級の雪を被った連山が海に浮かぶのは富山湾だけではないかと思うと、少しでも撮影をしておきたいとの思いが圧倒的に勝る。日の出前の劇的な空の演技に圧倒され、その余韻に浸りながら撮影を続ける。JR氷見線のキハ40系のディーゼルも入れ込んだ鉄分多めのシーンも収めて、昼前に頭を切り替えて前進することにして福井県の東尋坊へ向けて北陸道を走り始めた。

まだ一度も訪れたことがない能登半島。全く伝手もなく、新規で取材訪問するべきではないと考え改めて巡ることとする。途中、安宅SAで休憩した際にふと北前船の船主を排出した集落として日本遺産にも指定された石川県加賀市橋立のことを思い出す。地図を確認すると一つ先の片山津ICで降りるという絶妙な位置にあり「北前船の里資料館」に向かう。ここは大正5年の雑誌「生活」に日本一の富豪村として紹介されたと北前船の資料に書かれている。

橋立から地道を走り雨模様の東尋坊には14時半ごろに到着。東尋坊の景観をモノクロで撮影するには打ってつけの天気で気温は15℃はありそう。薄着にレインウェアを羽織り日没近くまで粘る。歩き始めてみれば予想以上に樹齢を重ねた松も多く、この撮影取材プロジェクトに欠かせない場所であることを再認識。次回は松に関係する人をぜひ訪ねたい。

福井に来たら連絡せずにはいられない大切な友人の佐竹正範くんがいるので、連絡してみたら18時からはガラ空きとの返信。良い波長である。30分ほどで福井市内に到着し一緒に晩御飯へ。福井駅至近のおばんざい屋さん「ななと実」はとっても美味しく素敵。出張などで駅前のホテルに宿泊するパターンなら間違いなく足を運びたくなるお店。

佐竹くんとは環境コミュニケーション領域で出会って20年来の付き合い。今は故郷である福井県の地方創生を観光から推進するキーパーソンで「福井県観光連盟」観光地域づくりマネージャー。「日本人と松」をテーマに旅をしていると各地の基礎情報が欠かせないので、その知見がありがたい。

恒例の日帰り温泉は越前市の「しきぶ温泉湯楽里」。泉質はナトリウム炭酸水素塩泉で肌のぬめり感が良い感じ。青森や秋田で高温度の温泉に鍛えられたので45℃まで湯船ごとに段階的に設定されているのは有り難い。

車中泊は明日の展開を考えて「道の駅たけふ」へ。ここは3月開業の北陸新幹線の越前たけふ駅の目の前で抜群に良い施設。

 

東尋坊の松(撮影:Hasselblad 907X CFV II 50C + XCD4/45P)

 

6日目 2月20日 新幹線開業で観光事業が活性化の前触れを体感

 

雨のなか日本で唯一の紙の神様を祀った「岡太神社・大瀧神社」へ。ここは1500年という長い歴史を持った越前和紙のふるさと今立地区。社殿は江戸時代後期の社殿建築の粋をを集めた何層にも波が寄せるような檜皮葺きの屋根が特徴。今は雪除けのため社殿に覆いが付けられていて撮影はできず。

佐竹くんの紹介で、越前和紙の老舗「杉浦商会」の社長で和紙ソムリエの杉原吉直さんとお会いできた。「日本人と松」をテーマに撮影しているので、可能であればアウトプットには日本の技が良いのではないかと考えており、たまたま今なら時間があるとのことで、速攻で駆けつけた次第である。大正6年に建てられた蔵が予約制の「和紙屋」ギャラリーとなっており、そこで1時間以上お話しをさせていただけるという幸運。作品ファイルを見ていただき、インクジェット対応の和紙の特性から、活用している海外の写真家の話まで聞かせていただいた。今は撮影して作品を構築していく段階で、まだアウトプットのボリュームや構成など白紙に近い状態ではあるが、どのように見せるのかは妄想しておく必要はあるので、大変に刺激的な時間を過ごすことができ有難い。

お昼近くなったので近くにある「越前そばの里」で腹ごしらえ。

次は「気比の松原」を管理する林野庁近畿中国森林管理局福井森林管理署の方々とお会いする約束。地域林政調整官の平井さんとメールと電話でやり取りして今日の約束となったのだが、お会いできたのは平井さんに加えて署長の寺岡さんと森林官の熊崎さん。寺岡さんは2歳年下の芦屋生まれで一気に親近感。「気比の松原」は全体がほぼ国有林のため森林管理署の方からお話を聞くのはここが初めて。

「気比の松原」は古代より気比神宮の神苑であった。聖武天皇の時代に異族が攻めて来た際、敦賀の地が振動し一夜にして数千の松原が浜辺に出現したという「松原の一夜伝説」もある。戦国時代には織田信長によって松原は気比神社から没収され、江戸時代に入って小浜藩の支配下となって藩有林となり、藩への納税のため燃料となる松葉かきを地域住民が行ってきた。明治時代になって国有林となった頃は76haほどの広さだったが現在は32haが維持されている。静岡「三保の松原」、佐賀「虹の松原」と共に日本の三大松原として知られ、昭和9年に国の天然記念物に指定された。

そのような歴史ある松原も、時代の変遷によって人の手が入らず広葉樹の侵入により人が立ち入れない環境へと遷移しつつあり、さらにこの地特有の水分の多い雪による雪害によって多くの松が折れる被害や、各地を襲うマツクイムシの被害も拡大して衰退しつつある。このような状況を踏まえて、2013年に福井森林管理署、有識者、市民団体、地元行政と連携し「気比の松原100年構想」が取りまとめられている。

「気比の松原」は黒松と赤松が混在するのが特徴的な海岸林ともいえ、基本的には3ゾーンにわけて管理している。「海辺のクロマツゾーン」は、黒松の単一林とし松葉かきができる林床を目指している。その内側は「気比のアカマツゾーン」は園路沿いの低木樹は残す他は赤松の単一林とし松葉かきができる林床を目指す。そして「内陸に広がるアカマツ高木林」は松の育成上支障となる広葉樹は伐採する程度としてあくまでもアカマツを中心とした混交林を維持する考えだ。

しかし、100年構想を立てた頃に活動していた市民団体も高齢化で活動が停滞してしまい、森林管理署が奮起する状態が続いているという。このため、細やかな目配せが行き届かず観光資源としては少し雑然とした林相になってしまっているのだと理解した。何より、松原を歩いて目につくのは雪害による倒木の多さであった。ここ10年で最悪の被害だったようで清掃撤去が進められている。それとこの松原の特徴だと感じたが、波打ち際に近いところに樹齢を重ねた松が多く佇んでいる。港湾施設の影響で砂浜の減少がここでも進んでいるためか、松の根元がえぐられる被害も続いているようで、杭を打ち柵を儲けることで保全しているが、イタチごっことなっているため、港湾管理と相談して流出した砂を人工的に戻す作業を進めることも検討している。

最後に、海側のゾーンを皆さんと歩いて感じたのは、計画通りほぼ黒松だけで明るい状態を維持していることだ。松葉がない散歩コースが松を縫うように続き快適な空間。実際に管理している人の声を聞くことで、ようやく前回訪れた際に気づかなかった特徴を把握し風景が見えてくることを実感する。

恒例の日帰り温泉は「みかた温泉きららの湯」で泉質はナトリウム-塩化物強塩泉で肌に良い感じで、足の裏からジンジンと温まる感じが気持ちいい。すっかり癒してもらえた。車中泊は昨年できたばかりの「道の駅美浜はまびより」。福井県は、新幹線開業に向けて観光施設の充実を進めているようで、旅する人間にとても優しいと感じる。

これで新潟、富山、福井の取材は完了。明日以降は天候と体調次第で、山陰へ向かい最後は山口県に至れるか検討する。

 

日本の三大松原「気比の松原」を守る福井森林管理署の面々(撮影:Hasselblad 907X CFV II 50C + XCD4/45P)

 

(暖冬の日本海をゆく(3)いよいよ山陰海岸へ続く)