(「三保松原と富士山」より続く)

 

4月14日(月) 1日目 東北桜道

 

朝の渋滞がおさまった頃を見計らって出発。とてもスムーズに東北道に入る。しばらく走っていると沿道は桜があちこちで咲き誇り桜前線と共に北上していることに気づく。東北桜道と名付けたくなるような花見道路でこれならばと向かったのは松島。「西行戻しの松公園」から桜越しの眺望を期待。昨年は散った後だったがロケハンはしておいた。

到着してみると期待通りの8分咲きから満開という感じで観光客も多いが松が引き立つアングルが少しつかめた。冷えた体を癒したく恒例の日帰り温泉は至近にある「芭蕉の湯」。泉質はアルカリ性単純泉、源泉は13.6℃。天然保湿成分「メタケイ酸」を多く含むようだ。ゆっくり温まって車中泊に備えようと思っていたら満月に近い月が浮かんできた。川瀬巴水の「月の松島」のような構図を考えていたので、早速湯冷め対策に着替えて去年ロケハンしておいた国道45号線の駐車場に向かう。雑木が多いが月明かりに思った以上に松のシルエットが浮かんでくれる。段々と薄雲が広がり月も昇ってしまい終了。

さて、「松島」はこの旅では欠かせない場所だと考えている。松島を撮るということは、誰もが知る日本三景をいかに捉えるのかが課題であり、それは海と松の魅力からなる風景を撮るということに尽きる。その理由を昨年のブログを再構成しながら整理したい。

まず、日本三景について「日本三景観光連絡協議会」のウェブサイトから引用し整理しておく。古くから景勝地として親しまれていた松島、天橋立、宮島が日本三景として登場するのは、江戸時代初期に幕府の儒官である林春斎が記した「日本国事跡考」(1643年)に「三処奇観」であると記したのが始まりで、その後「日本三景」と呼ばれるようになった。いずれも海に面し、松の深い緑の景観を有しており、青い海と緑の松が際立つ時期で林春斎の生まれた1618年7月21日にちなみ、7月21日を「日本三景の日」したそうだ。三景は、東北・近畿・中国と場所が離れ、海も太平洋、日本海、瀬戸内海と全く性質が異なる。

松島は、平安時代、雄島に見仏上人が12年間もとどまり法華経60,000部を読誦し多くの奇跡を起こした伝説がある。このため100を超える岩窟が掘られ、平安時代から明治時代まで極楽浄土の入り口として死者供養が行われ、多くの人骨が残る。特に女性は汚れがあるため浄土に行けないといわれていたため多くの女性の板碑が立つ。このように松島は霊場であり観光を目的として訪れるようになったのは、芭蕉の存在が変化のきっかけで明治時代に入ってからと言われている。

見仏上人の再来と言われた頼賢は雄島に22年とどまり生を終え、その徳行を後世に伝えるために建てられた頼賢碑が立つ丘からは、海に浮かぶ大小織り交ぜて260の島々には松が青々と茂るのがみえ、昔の人はこれを極楽浄土の風景と見たのかと思うと、日本人の心の拠り所になる風景には松が欠かせないとなるのだ。

松の風景の中に佇む歴史的建造物についても記しておく。国の重要文化財に指定されている「五大堂」は、大同2年(807)坂上田村麻呂の創建と伝えられ、慈覚大師が五大明王を安置した事から五大堂と呼ばれている。現在の建物は伊達政宗公が、瑞巌寺再建の折に紀州の大工を招請して再建したもので、 東北地方現存最古の桃山建築。 日本三景松島のシンボル的存在と言われている。

県の重要文化財である「観瀾亭」は、伏見桃山城内の1棟で、伊達政宗公が秀吉から拝領し江戸に移築し、忠宗がこの地に移築したもので歴代藩主の納涼や観月の場として利用された。いにしえの権力者も浄土の風景に癒しを求めていたのだろう。

この旅では、そんなことを頭に置いて松島という景観を見続けるのだ。そして日本三景をこの旅らしい作品として撮影したいのだ。

 

4月15日(火) 2日目 西行戻しの松

 

4時半起床で「西行戻しの松公園」の桜越しの眺望。朝の逆光に浮かぶ桜を期待。昨日の撮影ポイントを中心に撮影するがしっくりこないため、さまざまな光線で撮るため終日粘ることにする。松島らしさを求める撮影ポイントは月夜の撮影をした国道45号線の駐車場付近で、毘沙門島、布袋島、恵比寿島が浮かぶ場所。どうしても島々が折り重なってしまうのだが、本土側の大きな赤松の佇まいもよく組み合わせのパターンを積み重ねる。夕方一雨降ったあと日没まで桜越しの松島を撮影して終了。今日も芭蕉の湯で癒してもらう。

 

西行戻しの松公園からの眺め(撮影:Hasselblad 907X CFV II 50C + XCD4/45P)

 

4月16日(水) 3日目 うぬぼれとプライドの1枚があればいい

 

4時半起床。夜明け前から「西行の戻しの松公園」で桜越しの松島眺望。昨日と打って変わってすでに車が鈴なり三脚を立てた人も鈴なり。展望台のある高台に何十人という老若男女の方々の三脚がずらっと並んでいる。すごい迫力。ローカルニュースで流れたのか、天気予報を見て集まったのか、全国各地で撮影をしてきたがこの光景は初体験。松を主役にする場所を選んで撮影しているが桜との組み合わせを考えるといつかこの光景に遭遇しても不思議はなかった。

桜と松の組み合わせは小田原城と弘前城でも撮影したが、いずれも観光客に混じっての撮影だった。しかし今日のような光景はなかった。とても新鮮である。松を念頭に置いたこの旅らしいアングルを得られる場所には誰も三脚を立てなかった。構図は絞り込んだので、あとは雲の流れと光の差し込み方次第でただ粘るしかなく、おとといの夕方、昨日の終日、そして今日の午前中とさまざまな天候でさまざまな時間帯で撮影した。

1枚あればいいのだ。納得できる1枚があることを願う。旅を始めた頃は1つのアングルでこれほど時間帯を変えてシャッターを切ることはなかった。この風土ならではの1枚を撮らねばセレクトには残らないし力のある作品群にはならない。ようやくそのステージに立ち始めたのだろう。

午後から気仙沼在住のアーティスト三浦永年さんをご自身のアトリエでもある宮城芸術文化館に訪ねる。今年81歳だが全く年齢を感じさせないエネルギッシュな方。世界的なマーブルペーパーの制作者でありポスターコレクターで宮城県美術館に700点以上を寄贈している。

ロンドン大学卒、ドイツ、アメリカで長く生活。奥様はティニ・ミウラさん。世界的な製本装幀家。ノーベル賞の賞状を制作され川端康成の賞状も制作している。なんだかとんでもなくすごい芸術家夫妻なのだ。ご夫妻で川端康成ご家族との交流があり、永年さんは三島由紀夫や井上ひさしとも交流があった。永年さんのお兄さんの三浦功大さんはすにで故人だが、ルイ・アームストロング、ソニー・ロリンズ、アート・ブレイキー、デューク・エリントン、マイルス・デイビス、カウント・ベーシー、セロニア・モンクスなどあげればキリがないが名だたるジャズプレイヤーを撮影してきた写真家。

短時間だったが永年さんとお話ができ、「誰にも期待されていないけど自分ならではの表現で写真作品を作り続けたい」と話したら「写真家は写真集を出して自分を晒すものだ。本気で表現と向き合う人間は「うぬぼれ」と「プライド」を心に秘めているんだ」と言われ「気に入った」と言ってもらえて大いに勇気をいただいた。

ダイナミックで繊細な人。あのような境地に立つことができたらと思う。秘めたる思いはずっと持ち続けていたが、それを言語化することができずにもどかしい思いを抱いていたので、胸がスッとしたというか、我が意を得たりというか、霧が晴れるようなというか、そんな心持ちで貴重な機会となった。恐れ多いがまたお会いしたい。

 

(「桜前線と伴走の東北(2)南部アカマツの故郷」へ続く)