(七尾で等伯の松たちに会うより続く)

 

11月17日(月) 彦根城いろは松

 

彦根城に「いろは松」と呼ばれる松並木がある。彦根城のウェブサイトによると、彦根城は徳川時代に入った慶長9(1604)年から20年の歳月をかけて築城された近世城郭で全体の保存状態が良好だったため、昭和26年に国の「史跡」、昭和31年には「特別史跡」に指定され、現在は、世界遺産暫定一覧表に記載され、世界遺産登録を目指しているとある。

彦根市のサイトによると、いろは松は中濠沿いに二代藩主直孝の頃に植えられ、”いろは”の文字数と同じ47本の松があったことから命名されたと言われている。この道は江戸時代「松の下」と呼ばれ藩主の参勤、着城で必ず通った。現在は、植え替えされた松もあるが、300年を超える老松を含め32本が佇む。

いろは松は、彦根城運営管理センターによる”こも巻き”が風物詩とうたわれ例年ニュースになっている。例えば地域メディアの彦根経済新聞では、「こも巻きは、マツカレハの幼虫などの害虫を駆除するために、松の木の地上1メートルほどの高さに「こも」を巻く伝統的な技法。冬の寒さに負けないよう腹巻きのように見えるのが特徴で、各地で行われている。」と説明され、松の保全の知識を伝える良質な機会とも言える。こも巻きは立冬、こも外しは啓蟄と二十四節気で伝えているのも素敵だ。

茅ヶ崎の自宅を午後に出て日没後に彦根城に着き、幸いにも城壁のライトアップでいろは松も浮かび上がっていた。「道の駅近江母の郷」で車中泊。

 

いろは松(撮影:Hasselblad 907X CFV II 50C + XCD4/45P)

 

11月18日(火)めでたい松!

 

日の出前に小雨の中をいろは松の撮影。

11時に兵庫県西宮市にある西宮市大谷記念美術館で開催されている「西宮市100周年 めでたい松展 祝いましょう。松の絵さまざま」へ。

特設ページはこのような文章で始まる。

〜「松」は雪中にも青々として徳を示すとともに、めでたい画題として、親しまれてきました。本展では、様々な「松」が描かれた江戸時代の作品を紹介します。「松」にまつわる様々な絵をお楽しみください。〜

この企画を手掛けた学芸課長の枝松亜子さんにお会いする。苗字が素敵なのだ。大きく3つのポイントをお聞きした。「企画背景について」「展示内容について」「実際の松について」である。

企画立案の経緯からお聞きした。

『1993年に出版され2022年に文庫本になったロングセラーの「松と日本人」(有岡利幸)。特に企画にしようとは考えなかったが面白い本だと思って手元にあったことが、思い返せば今回の企画につながるのかも知れない。平成26(2014)年2月~5月に、黒川古文化研究所、大和文華館、泉屋博古館の三館連携展「松竹梅」が開催され、「松」は黒川古文化研究所が担当し学術的な観点から名品が展示されていたことが印象深くあった。それから10年近く、様々なテーマで近世絵画の展覧会を企画し実施してきたが、その流れで松をやってみようかなという思いはあって、”いつかやりたいシリーズ”のひとつだった。例えば、2023年10月21日(土)〜11月26日(日)に開催した「画人たちの仏教絵画ー如春斎再び!」もその一つとして実現したが、この時も松とどちらをテーマにするか考えた。今回、西宮市100周年の”めでたい”に合わせて松を実現することとなった。企画に合わせて実施した講演会には、三館連携展「松竹梅」の際、黒川古文化研究所で松を担当されていた研究員で東北大学大学院文学研究科教授の杉本欣久さんに依頼した。』

枝松さんの中で「松」の企画が醸成されていくのが「松と日本人」がはじまりかもと聞いて自分ごとのように染み込んできた。展示内容についてお聞きした。

『そもそも日本美術に松が描かれたものは多いため、企画段階でたくさんあるけどどうするという話もありいろんな松が集まる予測をしていたが、有名作品を中心にした構成にはせずこの美術館ならではの展示をしたいと考えた。例えば今回の展示作品で重要文化財は「雪裡三友図」のみだったが、この作品は「歳寒三友図」の日本での現存最古の作例として知られとても意義深い。修復したばかりということもあり今がベストな状態で展示できたが半期となった。このようなくすんだ絵を見てそこになにがあるかを見るのは訓練しないと難しいかも知れないし、華やかなモチーフが描かれた作品はそちらに目がいきがちだが、いずれも松を見て欲しいと意図した。描かれる松は、主役でもあり脇役でもある万能選手ようでどんな役割でも担えるとは思っていたが、作品を並べてみて確信が持てた。』(ちなみに、歳寒三友(松・竹・梅)は中国の文人画で好まれる題材の一つ。松と竹は寒さにも色あせず、梅は寒い中に花を咲かせることから、文人の理想である清廉潔白を表現するとされているが、日本では独自の解釈で吉祥、おめでたいことの象徴となった。)

実際の松が作りだす景観が厳しい状況にあることについてもお聞きした。

『絵の中の松だけでなく、実際の松がどうなのかは、絵画表現を考える上でも大切で、興味が広がるのは大切だと思っている。今回の展示も「実在の松」という章立てをした。実際に見ることができて、素晴らしかった松があり、それが有名な歌枕になり、名勝地や景勝地として引き継がれてきたが、時代とともに空想の場所になっている。今は写真で見たものを確認することが目的になった旅行があるように、実際に見て感動する体験ができたらいいが、昔の多くの人は移動手段がなく気軽に行ける場所は少なかったために、理想の景色として歌枕に託していただろう。時代も移り変わり歌枕や日本美術で親しまれてきた昔のあるべき姿は難しいかも知れないが、今ならここなら面影があるというような場所が守られているかどうかは、松に興味がある者としては気になる。』

日本の暮らしと松を考える上で欠かせないお話を聞くことができた。日本に暮らす者として、どのように実際の松と向き合い撮影するのか、その姿勢や思考を磨く機会になった。勝手ながら枝松さんに大変に親近感を持ったというか、今後も近世日本絵画の観点からヒントをいただきたいと思うのだった。記念にカタログにサインをしていただいた。

枝松さんが実例として挙げた地元の西宮市の「鳴尾ひとつ松」について旧跡の看板を参考に記しておく。古くから和歌などでうたわれ、晴れた日には西は須磨まで東は天王寺や奈良まで見ることができ、陸路を行き交う旅人には目印として、武庫の海と言われた沖を通る船の目印として、特に漁師たちには守り神でもあった一本松が実在したと言われている。その大きさや美しさで人々を助け、人々から親しまれたが枯死。現在は5代目と言われる松が「一本松公園」にある。能の代表作「高砂」に「高砂や この浦舟に帆を上げて 月もろともに出汐の 波の淡路の島影や 遠く鳴尾の沖過ぎて はや住之江に着きにけり」という一節があることが西宮市のウェブサイトに記されている。

今回の展示で2点、印象深い作品があった。

一つは狩野永岳の「老松若松図」だ。飛騨の富農に伝わる作品と解説にありどこで描かれたものかは不明。六曲一双の左側には幹が太いどっしりとした老松が描かれ、右側には実生発芽したであろう若松が描かれている。世界観が違うような別々の絵のようだがバランスが取れているようにも見える。不思議な絵だと感じた。老松図はひとつの様式として確立して様々な作品を見ることができるが、若松が主題になっている作品は初めてだったので新鮮で、写真作品としても十分に成立するぞと教えられた。

もう一つは尾形乾山の「松燕子花図」だ。国宝「燕子花図屏風」を描いた兄の尾形光琳に対して弟の乾山は陶芸という印象だったが、このような作品を残していることが新鮮だった。六曲一隻に描かれた燕子花は左右に広がり比較的に写実的に描かれているのに対して、その手前に存在感たっぷりに描かれた松の枝葉の緑は完全に意匠化された描かれ方をしている。いわゆる”The MATSU”なのだ。当然ながらカタログの表紙にも使われ何の違和感もない。このモダンなセンスに参ったのはもちろんだが、マツという植物はどんな表現にも使えるというか生き様がいいとも感じたのだった。

じっくりと響いてきて味わい深く記憶に残る素敵な美術展だった。これが枝松さんのいうこの美術館らしい展示ということなのかもしれない。

 

西宮市大谷記念美術館(撮影:Hasselblad 907X CFV II 50C + XCD4/45P)

西宮の街中を北上して中国道に入る。島根の出雲日御碕灯台に向かう今回の撮影旅。行程上、立ち寄りやすいと思いつき真庭市の「華蔵庵の松」に向かう。ちょうど日没時間に間に合い古い街並みに推定樹齢380年が佇む様子を粘る。恒例の日帰り温泉は「法勝寺温泉」へ。車中泊は米子まで出て「道の駅あらエッサ」とした。

 

(日御碕灯台で写真を探求へ続く)