(松韻を聴く旅 大乗寺(応挙寺)で撮影より続く)

 

松韻を聞く旅に出る

 

2023年6月末に定年退職し、フリーの身になっていよいよ本格的に撮影取材に取り組めることとなった。全国各地の松の林や松の巨樹、そして松の縁を訪ねて行くが、それぞれの地域の特徴が出る季節に巡ることとして、梅雨後半の湿度を含んだ空気感は瀬戸内に期待しようと考え計画を立てた。計画といっても、「身近な松原散策ガイド」を基本にしながら、「松と日本人」で松による日本文化を理解し、「全国巨樹探訪記」で紹介されている黒松と赤松の巨樹を地図上にプロットするなどである。この「全国巨樹探訪記」は個人で運営されているサイトだが大変な力作で非常に重宝している。ぜひいつかはご本人と松の巨樹の前でお会いしたいものだ。

7月10日の朝5時に茅ヶ崎の自宅を発ち、新東名を快適に走っていたらパートナーから「リビングに洗面用具とかが入った黄色いエコバッグが置いてあるけど」との電話。やはり忘れ物。宅配便の淡路島営業所に配送を手配してもらう。感謝。

明石海峡大橋を渡るときは、巨大な橋の構造体を見上げ、これから始まる松との出会いの旅のゲートをくぐるようなトキメキがあった。淡路島に入ってから災害級の豪雨に打たれたが、目的地に着くと雨は上がり青空が広がる。徹底して晴れ男のようである。会社時代はとても有り難い運を持っていると思ったが写真家としては複雑な気持ちである。今回は梅雨のモアっとした写真を期待してこの時期を選んだのだが、さあ、これからどうなるか。まず目指したのは『慶野松原』。我が愛機のHasselblad とGitzoの三脚を持って歩くと、一気にモードに入ってしまった。

話は飛ぶがこの旅の最終日22日に、10年ほど前からこの松原の管理計画を指導する兵庫県立大学の藤原道郎教授と日程調整ができご教示いただいた。実地でお話を伺うと、見えている風景の意味を深く理解でき撮影には好影響である。砂浜に沿って海岸林機能を持たせるために間隔を狭く並ぶように管理。樹齢を重ねた磯馴松(そなれまつ)の周辺は枝が干渉しないように管理。植樹の苗と実生発芽を適切に管理。さらには海浜植物との共生を管理。これら総合管理により100年後のこの地らしい松原の状態を創造するという。保全活動と林業経営の両輪のような話にとても刺激を受ける。この松林は、細かい真砂の砂浜で足元にはアリ地獄がいくつもあり、まさに白砂青松という言葉の由来とも言われる典型のような風景が広がる。その中を迷いながら歩き見事な樹形が突然現れる出会いを楽しむ。南北に約2.5kmあり、60haも広がる。ほぼ中央を貫く遊歩道ではなく、裸足で歩きたくなるような松の樹幹を彷徨うと、この土地特有の磯馴松が忽然と現れる。多数の出会いがあり飽きることがない。磯馴松とは、海の強い潮風のために枝や幹が低くなびき傾いて生えている松のことで、ここ『慶野松原』は冬の西風が播磨灘を渡って吹き付ける。地域の気候風土を知るだけでなく一本一本に個性が感じられ、被写体としての松の魅力を伝えることができる立地である。

 

慶野松原 磯馴松(撮影:Hasselblad 907X CFV II 50C + XCD4/45P)

 

この松原周辺から、歴史的価値が高い松帆銅鐸が出土していることを知り保管展示されている滝川記念美術館玉青館にも足を運んだ。ここで一つの出会いがあった。銅鐸にも感動したが障壁画に目を奪われたのだ。一目見て、被写体として見つめているこの地の磯馴松そのものであることはすぐにわかった。まさに松の縁である。聞けば、このスペースに展示するため直原玉青(じきはらぎょくせい)が、この施設が完成した後に描いたものだと言う。完成時で87歳だったので、とてもそんな高齢で描いたとは思えない力強さを感じる。玉青については今回初めて知った人物なのだが、南画の第一人者であり禅僧であり俳人。とても独創的な生き方をして2005年に101歳で亡くなっている。この玉青館は南あわじ市の施設で教育委員会が管轄しており、説明をしてくださった学芸員に撮影したい旨を申し出た。基本的には当日の申請では撮影許可が出せないという。そう簡単に許可が取れるとは思っていなかったがこちらも先々の予定がある。なんとか自分のプロジェクトを説明し、電話で上席の方に願い出る機会を設けていただき特別に許可をいただいた。もちろん申請書も書き使用する際には必ず連絡する約束もした。とても丁寧に対応いただき忘れ難い日となった。思えば今年2月に行った、兵庫県香住の大乗寺での円山応挙の重要文化財「松に孔雀図」の撮影と行動が重なる。こちらは自然光とはいかないが、それでも作品そのものに力があり、また『慶野松原』の良い状態の時代を描いたもので、昨日今日と向き合ってきた数本の魅力ある松が、とても多く生き生きと描かれているのだ。1時間集中して向き合い充実した撮影をすることができた。

FBで会社の先輩が教えてくれたベーカリーカフェミサキに行き、おすすめの淡路産厚切り玉ねぎパンが絶品。その後、宅配便の淡路営業所に行って忘れ物のバッグをピックアップ。便利で有難い時代だ。これならどこにいても忘れ物を受け取ることができる。次に向かったのは国造りの島である淡路島のハイライトの一つで日本最古の神社と言われる「伊弉諾(いざなぎ)神宮」で参拝。日没前に『慶野松原』にある国民宿舎の日帰り温泉はナトリウム炭酸水素塩泉でヌルヌル。貸切状態で松並木を眺めながらの贅沢な湯。この癒しは撮影の原動力になった。結局、ここ慶野松原では3泊し、10日は14時半から18時半、11日は5時半から8時半、18時から19時、12日は6時から10時まで、加えてこの旅の最終日22日は9時から11時まで撮影。延べ14時間も熱中してもまだ心残りな場所であった。

次に向かったのは洲本市の『大浜海岸』。ここは松原越しに洲本城を見上げる海岸で、淡路島では一番に賑わう中心地でもあるがまだシーズン前ということもあり、白砂青松の海水浴場の典型のような風景をじっくり探究。西浦(淡路島の西側)の『慶野松原』と違い、東浦(淡路島の東側)にあるこの松原は、比較的穏やかな紀伊水道に面しており松も背が高くまっすぐに伸びている。何やら心なしか懐かしいロケーションで、多分、幼少の頃に珍しく家族で泊まりがけの海水浴に来たのではないかと古いアルバムの記憶が蘇る。自分の中にある少年の頃の物語が、被写体を通して感じられることを期待して撮影に没頭。名残惜しい淡路島を後にして、7月12日の夕暮れの鳴門大橋を四国に渡った。

 

大浜海岸 少年の記憶の松(撮影:Hasselblad 907X CFV II 50C + XCD4/45P)

 

(瀬戸内紀行 四国編に続く)