(瀬戸内紀行 本州後編より続く)

 

今回の撮影取材「松韻を聴く旅」は、フリーとなって初めて解き放たれたように移動と撮影を行うことができた。各地での松との出会い、人との出会いに、心がとても豊かになった。そして、つくづくと松という樹木が好きであり、移動することが好きであり、撮影するという行為が何よりも好きであることがよくわかった旅でもあった。こういうことをするために生きているんだ、とまで思えたのは何よりも幸せであり、生きる力が体の中から湧き出す感じさえした。そんな旅で忘れえぬ経験をすることもできた。これからの人生という旅に向けて大切にしたい松とのコミュニケーションだった。

 

岡山県総社市の角力取山の大松は、周辺の幹線道路からも見つけることができる素敵なロケーションにあった。少し北側には西国街道(山陽道)が残る。ここは古墳時代の5世紀ごろに築かれた全国でも珍しい方型古墳で、かつての地域を支配した豪族の陵墓ではないかと看板にある。名前の由来は古くから古墳の横に土俵を設けて氏神の秋祭りに奉納角力が戦前まで行われたからだと記されている。高さ7m、東西南北それぞれ約35mの小高い丘で、その頂に大松がある。左右にはいずれもそれなりの樹齢を重ねた松があるが、圧倒的な存在感を誇っている。高さ約20m、周幹5.4m、樹齢約500年、昭和の初期には同じ大松が4本あったそうだが現在残るはこの1本。みるからに樹勢が良くてまだまだ元気でいてくれそうだ。これまで多数の松の巨樹を巡ってきたが極めて立派な姿である。今から50年前の1972年(昭和47年)には、岡山県指定天然記念物になっている。

 

それまでは考えてもいなかったのだが、その立ち姿に思わず会釈をしてから「お会いできて嬉しいです」と声を出して話しかけた。そして、生きる力を分けてもらおうと思ってその力強い幹に触れながら、「松ぼっくりを記念に持ち帰ってもいいですか?」と声にして問いかけた。すると、“カサカサカサ、コツッ”。なんと驚いたことに枝から音を立てて松ぼっくりがひとつ落ちくるではないか!唖然として大松を見上げてから慌てて拾い上げると、枝にくっついていた部分の果柄(かへい)には松脂が光っている。ゾクっと鳥肌が立った。きっと偶然だとは思うが、こちらとしては完全にコンタクトができたと信じたくて、記念にその松ぼっくりを持ち帰ることにした。数歩下がって改めて大松を見上げると、じっと上から見つめてくれているような気がする。

 

松の木は、一年中緑の葉を茂らせていることからも、古くから生命力や長寿の象徴と言われ、縁起の良い樹木、神の宿る樹木、神聖なる樹木とされ、精神面でも日本人の心の中に存在してきた。小高い丘の上に500年も生きる大松。言葉は発しないが、人間の様々な営みをじっと見守ってきてくれたことだろう。きっと代々にわたって地域の人に守られながら、多くの人を癒し、また励ましてくれたことだろう。この暑さからか誰もいないので、まるでおとぎ話に出てきそうな場所で一人だけなのである。丘の裾まで降りて大松を見上げていると、風が吹き優しい松韻が聴こえてくる。とうとうおとぎ話の中に入ってしまった感覚を抱いた。自分が存在することで、ひとつの物語ができた感動に心が震えたのだった。

 

気がついたら1時間半たっていた。願わくばこの根元で一晩を明かしたいぐらいの素敵な場所。地球上の命あるものは、みな何らかのコミュニケーションを営んでいると言われているが、きっと多くの人も樹木たちとの言葉を超えたコンタクトの経験があるのではないだろうか。

 

これからも「日本人と松」をテーマとし、持続可能性という概念を松の写真で感じてもらえるよう、全国各地へ「松韻を聴く旅」に出かけ、松の力強さや美しさをファインダー(イメージセンサー)を通して探究していく。

 

角力取山の大松(撮影:Hasselblad 907X CFV II 50C + XCD4/45P)

 

(四国黒潮紀行 徳島をゆく編に続く)