(写真集『芦屋桜、咲く。Ashiya sakura, 30 Years After』より続く)

 

2005年12月7日の神戸新聞の地域ニュースに「芦屋再生の記録写真 芦屋出身の川廷さん出版」という表題で掲載された記事。記者は西井由比子さん。阪神淡路大震災から10年の節目に出版した写真集「一年後の桜」について書いてもらえたものだ。その西井さんに震災30年の節目に出版した写真集「芦屋桜、咲く。」も書いてもらえた。2025年4月1日の神戸新聞に「復興する芦屋の街と桜、撮り続けた96点 桜は同志のような存在」という表題で記事になっている。この2つの記事の間に20年の歳月が流れていた。一人の記者に写真家の歩みを記してもらえたのは貴重な体験でありとても幸せなことだと実感する。この記事によって客観的にこれまでの作品を見ることができ、一つのハードルを超えたような感覚を持っている。

さらにその記事を読んだ関西テレビの高橋玄太郎さんから連絡をもらい取材を受けた。高橋さんは震災を経験していない世代だった。4月5日(土)の昼過ぎからロケが始まる。茶屋さくら通りを歩き、芦屋川に向かい川沿いをしばらく歩き、最後は宮塚公園だった。高橋さんは震災直後の行動や、桜を撮り続けた理由を語らせたいと考えていたようだった。こちらもその場その場で思いつくままに語った。4月11日(金)「newsランナー」でその映像は流れた。その日のうちにYoutubeにもアップされ多くの視聴回数が刻まれ始めた。

僕が語った言葉が印象深くテロップで流れた。

「一本桜を撮るとその先に桜が見えてさらにその先に桜が見えてっていう感じで」「桜に呼ばれるように町を歩いて行くのが故郷の芦屋だな」

「ずっとモノクロにこだわって撮ってますね」「それぞれの人の中に、記憶の中に桜の色ってあると思うんですよ」「それはもうその人にゆだねて僕は桜の存在感を出したくて」

「震災の年は桜には気付かなかったんですよね」「夏ごろに桜を見てなかったなと気が付いて」

「それまでは壊れた町を撮るとかどうしてもうつむいて撮ることが多かった」「桜ってやっぱり見上げるというか上を向くことが多いのでこれからの復興していく町を見ていきたいという気持ちにさせられた」「まさに励まされた」

「桜を通して町を見ることで震災復興と直接的なメッセージじゃなくても」「故郷をいつまでも見続ける一つのフィルターとして、桜がある」

最後のナレーション「川廷さんが写す芦屋の桜には震災と復興の記憶が刻まれています」は、震災を経験していない世代の高橋さんが、僕の写真から感じとってくれたメッセージだ。これは一つの継承だと思っており、写真家冥利に尽きる。撮り続けてきて良かったと思えたのだった。写真家としてトンネルを抜けたと感じることはなかなかないのだが、西井さんの記事と高橋さんの映像によって達成感を抱くことができた。お二人には感謝しかない。

しかし、これは満足感ではなく、次への歩みを始める勇気をもらえたという感覚なのだった。